Daily Archives: 12/09/2016

何を食べて生きていきますか?


シンギングリンとピアノのコラボ演奏会に行きました。
シンギングリン初体験のお友達と共に。

しとしとと音を立てているかのような、雨模様、空気を浄化してくれている中、京田辺のシュタイナー学校の講堂で演奏会ははじまりました。
ピアノは重松壮一郎さん。
指一本一本に意思があるように指が鍵盤の上で踊っているようにみえました。
シンギングリンは、白井貴之さん。
音を奏でるのが楽しくて仕方がない様子。
お二人とも、音を食べて生きてるんだなぁと思いながら聞いていました。

精神的に追い詰められた時期に、なんとか楽にならないかといろいろと調べた結果、どれも結局、瞑想すればよいというところにたどり着いた。何はなくても瞑想らしい。しかし、どうすれば瞑想できたことになるのか、ちっともわからず、現在に至る。
しかし、何度かシンギングリンの施術を受けたりしたので、その間は瞑想できていたことになるのか?
何が瞑想で、どうやったらできたことになるのかわからないうちは、瞑想になっていないのだろう。
しかし、瞑想のような時間を過ごすときの楽しみ方のようなものは発見した。
瞑想は無になるらしいが、無には全くなれなくて、その代わりに、その時間にどんな思いが自分の中に生まれるのかを楽しみにするようになった。
(さあ、今回は、私は何を思うだろう)と、瞑想の時間になると思うのだ。

シンギングリンとピアノは、瞑想の世界へ誘ってくれるような音。
気持ちの良い音だった。

雑念だらけの私の心に、浮かぶもの。

あっちでも、こっちでも、素敵な音を皆が聴いているのに、自分が音をだすという行為をする人がいた。
(しんじられん・・・)と思いながら、そればかり気になり、あ~~無になれない。と思いながら、
(いやいや、無になるってこういうことも何もかも気にならないということだよなぁ)と思い直す。
無になれないことを、外部のせいにしているようでは、全く無ではないのである。ややこしや。

そんなこんなを考え出して、(あっ私、今回は、こんなことを考えてるんやぁ)と自分を客観視する。
私だったら、絶対、こんな場所で音を発しない。でも、あの人も、この人も、発している。
こんな繊細な音を聴きに来ているのに、なぜ今、自分のカバンを触るのか。
なぜ今、ペットボトルから飲み物を口に流し込むのか。
そう思っていると、私は、あの人のようなことを絶対しない。私は、あの人ではない。私は、私だ!と、
なぜか、そこに行きついた。

そうだ、そうだ。
私は、唯一無二の私なのだ。

そのことを私に感じさせてくれるために、あの人はカバンを触り、あの人はのどを潤したに違いない。

そんなことを感じた瞑想の時間。

隣の初体験の知人は、なんだか後ろ向きの気持ちが前向きになったと感想を述べられた。
お誘いしてよかった。

それにしても、音を食べて生きていると感じるほどのお二人の様子に羨ましさを感じた。

私は、何を食べて生きるのか?

【一言メッセージ】
チゲスープ

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