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京田辺「第九」コンサート2016


ちょうど2年前、京田辺「第九」コンサート2014を鑑賞した。
特に、知り合いが出るというわけでもなかったが、興味があったのでチケットを購入。
知り合いがいれば、チケットをいただけたようだが、それは今回初めて知る。
そして、鑑賞。
【観るよりも出る側になりたい】と思って帰ってきた。

この第九コンサートは、4年前に第1回目を開催。2年に一度、開催され今年は3回目だった。
私は第2回を鑑賞したということ。
鑑賞したとき、舞台までの座席は近くはなかったのに、「あれ?あの人、知り合いじゃない?」と思う人が何名かいるのを発見。(こんなに遠くても知り合いだったらわかるんだな)と思った。そのうちの一人は、同じ職場の人だった。
その後さっそく、職場で第九の話になり、今度は一緒に出ましょうと誘ってくださった。
そして、それから、約1年経ち、第3回のメンバー結成の時期になり、思い切って申し込んでみた。
同じ職場で働く仲間が、私のほかに4人参加の意思表明をした。
この機会に参加せず、いつ、参加するというのだ。そういう思いで参加した。
今年1月に結成。それから月2回の練習が始まった。
最初は、何が何だか、わからなかった。
ドイツ語。読めない。
まわりは、初心者はあまりいないようだったので、丁寧に読み方を教えてくれる時間はなかった。
少しずつ隣の知人に聞くも、練習の間はなかなか聞けず、だからと言って、特別に教えてもらう時間もなかなか取れない。
職場が一緒でも第九の話はほとんどできない。

CDと楽譜は配られるものの、このCD、いったいどこからどこまで自分が歌うというのだ?
この楽譜、全部が第4楽章?うそでしょ?こんな長い楽譜を全部覚えるの?

練習に参加しても、最初は練習時間が長く感じられた。
なぜなら、その時間中ほとんどが歌えないのだ。
ドイツ語をカタカナで楽譜に記入していく。
周りは待ってくれない。
そして、ドイツ語をカタカナで書いている間に、今どこをうたっているのか見失う。

最初は休まず練習に参加したが、4,5月は私用や体調不良もあったが、もうひとつテンションが上がらない日々を過ごした。
唯一の救いは、先生が面白かった。
ユーモアを交えて指導してくださる。そのことだけが救いだった。
2か月ぶりに練習に訪れた時、テナーとバスが上手くなっていて驚いた。

夏前。「夏休みで何とかおぼえなくちゃね」と知人がいった。
車ではいつも第九を流す。そして、第九だけではなく、第一ステージで歌うタンホイザーにも参加表明をしていたため、そちらの練習もあった。無謀なことをしているのではないかとここへきて思った。
9月、いよいよ本番参加の意思表示をする時がやってきた。
この時はいまだ覚えられておらず、楽譜が頭に入っていなかったため、不安の意思を表した。
「まだ2か月あるから、大丈夫よ」とパートリーダーさんはおっしゃった。

この2か月。いよいよおしりに火が付いた。
歌詞をすべて書き出すこともやってみた。ボイスレコーダーに自分の歌声を録音したり、車で出かける際は、時間より早めに出発し、現地の車内でしばらく歌の練習をするようにした。車の中というのは、うたの練習に最適なのだ。
このころになると、月二回の練習の時間が短く感じられた。あっという間に時間が過ぎる。タンホイザーも歌うことにしていたので、午前は第九、午後はタンホイザーの練習という日も何回かあった。
それでも、時間があっという間に過ぎるのだ。
歌えて来ると楽しくなってくる。
CDもどこをうたうのか、ようやくどういう風に音を入れてくれているのかがようやくわかってきた。
あんなに長いと思った楽譜も、半分の長さに感じられた。

メンバーの皆さんの平均年齢は高く、うちの母も十分に参加できる年齢層。
母は、「ぼけてあかんわ」を毎日連発しているのに、ここに集っている皆さんは楽譜片手に歌をうたう。どうして、こんなに違うのか。
一度母に、この方々の様子を見てもらいたいと思っていたら、そういう機会が訪れ、母を練習場へ連れて行った。
母は心底驚いていた。
「すごいなぁ。男の人もすごいなぁ」母は小声で私に耳打ちした。
そして、一時間もたたないうちに、疲れたといった。
母の話はおいといて。

本番前の一週間。
オーケストラと合わせる。
ソリストの先生方も来てくれる。
聞きほれてしまい、自分の出番を忘れる(笑)

会場の同志社女子大学の新島記念講堂には客席の後方に大きなパイプオルガンがある。
ステージに上がって歌をうたっていると、そのパイプオルガンが私たちを見下ろしている。
なんかわかんないけど、あ~~神様~~と思ってしまう。
パイプオルガンってなんだか、高貴な感じがするのだ。

とうとう、ここまでやってきた。
パイプオルガンを見上げながら思う。

本番当日。定員を超えるお客様がご来場。三階席にまで人があふれる。
パイプオルガンも私たちを見守ってくれている。

歌いながら思う。

あ~~神様。
聴こえてますか?
2年前の神様、ありがとうございます。
あの時「今度は出る側になりたいです」と言った願いを聞き入れてくださり、ありがとうございました。
あ~~そして、今の神様、ありがとうございます。
あれ?私、2年前の神様と、今の神様違うと思ってるんだ~~

曲の間奏の間にこんなことを思う。

そして、あ~もうおわる。もうおわる。と、思って歌っていた。
あんなに練習を重ねたのに、本番はたった一回で終わる。
あたりまえだが、あっけない。
なんとか、暗譜もできた。
音程に少々自信のないところもあった。
歌詞が一瞬とんだ。
声が一瞬裏返る。
長い時間立ちっぱなしで、足もしびれる。
いろいろあったが、とうとう終わってしまう。

交響曲第九番 ニ短調は第4楽章からなっており、
第一楽章では自分の運命には逆らえないという人間の苦しみや悲しみを悲劇的に表現。
第二楽章は悲劇は常に喜劇と背中合わせということを表現。
第三楽章は神への祈りが込められた静かで美しい音楽。
第四楽章では人間愛を表現。
この人間愛を表現するのに楽器の音だけでは表現しきれず、交響曲では異例の合唱を導入。
祝福や喜びが「ことば」と「おと」で表現されている。
約160名の声が響き渡り、歓喜の歌は歓喜とともに終了。

二年後が楽しみである。
今度は、初めから練習を楽しめるだろう。
今から二年後、いや、練習が始まるのは一年後だ。
先生は、2024年に第九ができて200年を迎える。そこへ向けて走っていくつもりらしい。
あと8年後だ。
8年後まで一緒に走っていけたらなぁと思う。

2年前、第九のチケットを購入までして見に行った私、よくやった!
8年後までの楽しみができました。
8年後の神様、待っててね。

【一言メッセージ】
コンサートマスターは、指揮者が倒れた時に代わりに指揮をする人です。
餃子
ソールが外れる

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2 Responses to 京田辺「第九」コンサート2016

  • hanakobaby says:

    すごいね。よく頑張ったね〜。わたしも聴きに行きたい。
    クリスマスは息子が幼稚園の頃はそこに聴きに行ってたんやけどなぁ。

  • maya says:

    2年後にお待ちしております^^

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