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今日までありがとうございます。

引き続き 
http://maya-com.net で おつきあい願います。

みなさま 本当にごめんなさい。

昨日、ある人と食事をしていて、

「私の言葉で傷ついている人 いろんなところにいるかもしれん」というと、

「それ、私の事?」と突っ込まれました。

「え?傷ついてるの?」というと、どうやら、そうらしい。


傷つけようなんて、思ったことないですが、私はあちこちで人を傷つけているようです。


先日も、良かれと思ってした言動で、「あなたの言葉で傷つきました」という告白を受け、衝撃を受けていたのですが、昨日の衝撃もかなりのものでした。


黙っていればいいことを、私は口に出してしまうのですね。


もちろん傷つける内容を話そうと思っているのではなく、知らないままだと不利益になったり、不安がっている人に不安を取り除いてあげようとおもってとった言動なのです。

私の言葉は、直球の剛速球で、相手が受け取る準備をしていないところに、投げ込んでいるようで。

いやいや本当に驚きました。


ミットも持っていない人に、受け取る体制になっていない人に、剛速球を投げ込んではいけません。

本当に、悪いことをしたと反省しております。


自覚しなければならないのは、私の言葉は剛速球だということ。

そして、周りの人は普段、ミットは持ち合わせていないということなんだなと思い、

今後は、自分の口から発する言動を慎んでいこうと思う所存です。



気が付いたことは、言わないといけないと思っているところがあったのですが、人を傷つけてまですることではないですね。


傷つけていたという自覚がなかったことが、本当に申し訳なく思っております。


私に対して、傷ついたという告白をしていない方々も、どうぞ、今までのご無礼をお許しください。


人間を45年もやってきていますが、日本語の使い方、人とのコミュニケーションの取り方がわかっていないようなので、これから、精進していこうと思います。


傷つけてしまっていた皆様、本当にごめんなさい。

今後、気を付けます<(_ _)>



一番大切にしなければいけないのは自分です

生きているといろいろあります。

自分一人で生きてるわけじゃないので。

だいたいの人が、他者とかかわっているのだけれど、他者は自分ではないので、自分とは違う常識の中で生きている。

大きく見ると、他者も自分だとかいう考え方もあるようだけど、他者と自分とはやっぱり違うと私は思う。

自分とは違う他者とかかわって、自分を知るのだ。

おなじ出来事があっても、強く悲しみを感じる人もいれば、それほどでもない人もいる。

自分がどう感じたかをうやむやにしたりごまかしたりしないで生きていきたいと思う。

100人いて99人がたいした悲しみではないと言っても、自分一人がものすごく悲しいのなら、それはものすごく悲しい出来事だ。

みんなは悲しくないと言っているから、悲しんでる私は悲しみすぎだとか思わなくてもよい。

一番大事にしなければならないのは、物事が起こった時に感じた自分だけの感情を大事にすることだ。

大事にする方法は簡単。

悲しんでいることを話す。私はこう感じたんです。と話すことだ。

その際、こんなこと言ったら、今後の関係が悪くなるかな?とか思わなくてもよい。

悪くなるものは、それまでの関係。

さらに良くなるのなら、そこからの関係。

一番大事にしなければいけないのは、他者との関係ではなく、自分自身です。

自分を大事に。

自分を大事にできるのは自分だけです。

自分を大事にしないで、誰が大事にしてくれるのか。

さあ、自分さん 今日もよろしくお願いします。

一緒に生きていきましょう。

毎日届くギフト

私が、へとへとに疲れて帰ってきた日。

今から米を炊くのか…と、米がある有難さ、水がある有難さ、炊く道具がある有難さにまったく感謝もせず、米を炊かなければならないと思っていた時、今すぐ食べられるものを、いろんな方からいただき、ありがたき幸せを感じた日から、どこかの誰かにしていただいたことを意識してみた。

サンタさんありがとう。

そう思い、暮らしてみると、私の周りには何人ものサンタさんが、ひっきりなしにやってきて、私にいろんなものを届けてくれていることを改めて認識した。

サンタさん〜♪と言い出してから、改めて、私はいつもなにかをいただいて生きているということを感じている今日この頃。

先日は、温泉に連れて行ってもらい(私が連れて行きましたが料金をだしてくれるという結果に)次の日は、晩御飯を食べにおいでと言ってもらうという。

また、最近気になっている、陶器作家さんの連絡先を教えてもらったり、これも自分ではたどり着かなかったことで、すごいギフトが来たと思います。

そして『インナーピース』という初めて聞く言葉を教えてもらったり、けれどそれは、つい最近私が知り合いに話していたことだったりして、あ〜このことをインナーピースというのかと知りました。


これは、たった一人の、サンタさんの仕業ではなさそうで、おんくろだなうの神様とタッグを組んでいるに違いないと思う今日この頃。


改めて意識しなければ、こんなありがたい行為の数々を、『日常』にしてしまい、それほど意識していなかったような気がしてそちらに驚く今日この頃。

「今日空いてる?お茶しない?」と言ってもらえることも、ありがたき幸せで、素晴らしいギフトだ。

帰る家があることも、私が自分が思うことができるということも、私がしたいことに何の制約もないということも、すべてギフトだ。

きっと、自分が気が付いていないだけで、今までずっとギフトを受け取ってきているのだとおもう。ただ、それが自分にとっては当たり前すぎて、『日常』になっているだけで。

私にとっては、『夫婦喧嘩をする』というのは美しい行為で、あこがれの一つだ。

夫婦喧嘩をしてみたかった。

意見交流と言おうか、意見のぶつけ合いと言おうか。

そういうことも、日常でやっている方々には、何を言ってるのだろうと思われるかもしれないが、それがとても美しいクリエイティブな行為だということにぜひ、気が付いていただきたい。

そういうことができるのもギフトだ。


この世は、贈り物だらけで成り立っているのか。


悲しい出来事もギフトにさえ思えてくる。

こんなに悲しい思いを経験することができたなんて。

たぶん、人生に良い悪いは無くて、魂をどれだけ震わせたかということなんだと思う。

とてもうれしいこともとても悲しいことも、魂の震えるふり幅みたいなものは同じなような気がする。

一番、つまらんのは、魂が揺さぶられない状態だと思う今日この頃。

魂を揺さぶられながら、そこで、しっかり立って自分を見つめることができたら、心は平和だ。


さあ 今日のギフトも、しっかり受け取りましょう。

あなたのところにも、きっと毎日届いています。

今の瞬間も。

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摩耶
京田辺在住です。

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