12歳になった娘

2003年2月16日。13時31分。

3日間の陣痛の末、生まれてきてくれた娘ちゃん。

私の第一声は「はじめまして〜」でした。

あれから、12年。


一人っ子で12歳になった娘さん。

【おぼこい】という言葉がぴったりな娘に成長しているようにおもいます。

いまだに、父親とお風呂に入り、抱っこされてお布団に寝かされるという生活をしており、これはいつまでやるんやろ?と私は少々冷ややかに見ております。

私自身は小さい家に暮らしており、幼いときなんて自分の部屋がもらえるなんて夢のまた夢でしたが、娘に至っては3年生の頃に部屋を設えましたが、特に部屋で過ごすことはなく、一応ここが部屋ですよという状態になっておりました。

12歳になったから、もう中学生だからというくくりで、けじめをつけさせるということはせず、こうなったら、どこまで、甘えちゃんで過ごすのか見てみたいという気持ちが私のなかでいつしか芽生えておりました。


12歳記念旅行の鈴鹿サーキット。ここ3年ほどは毎年鈴鹿なのですが、今年はもうすぐ着くというときになって、

「兄弟もいないのに、こんな大きい人が来てるかな?」と言い出しました。

一人っ子なのに。小さい子のお付きで来てるわけじゃないのに…という意味なのです。

ひえ〜〜そんなん思うんか!!自分で行きたいと言い出しておいて(笑)

去年には聞かれなかった言葉です。


そして、数日後には突然。

「ままぁ のんちゃん 中学生になったら、自分の部屋で寝るようにするわ」

お〜〜こんな感じで?急に?こんな風に宣言して一人で寝るようになるのか〜

そう宣言してから、間もなく、私が帰宅するといつもの部屋に娘の姿がなく、どこに行ったのか?今日は塾も何もないはずなのにと思っていると、2階から物音が聞こえてきて、降りてくる娘。

なんと2階の自分の部屋で勉強していたというのです。

なんとなんと。

トイレに行くのが怖いと言って、室内用小さい三輪車にのってトイレまでの廊下をすっ飛ばしていっていた娘が、2階でひとりで勉強?

アメージング✨


また、今まで塾の送り迎えをさせていただいておりましたが、そちらの方も自分で自転車や電車で行ってくれるようになりました。

アメージング✨


小学校を卒業するとき、記念に旅行に行こう!と前から言っていたのに、子供会のボーリングと重なったと言って母親をふる12歳。

娘は確実に親と一緒じゃなくてもいいという世界に突入しています。


こうやって、だんだん親の元を離れていくのですね。


もう、私と一緒に寝て

「まま シンデレラのお話して〜」と言われることはないんやろなぁ…と思っていたら、つい先日、一緒に寝る機会があり、「シンデレラのお話して〜」と言われました。

毎日毎晩言われていた時は、また?たまには違うお話はあかんのかい?と思っていましたが、もう、言われることもないと思っているとうれしいものでした。

しかし、以前と違うのは、お話をはじめてすぐにお互いが眠ってしまったこと。

いつも舞踏会に行くあたりまではお話できていたのに、今回は舞踏会の案内も受けとらない間に夢の中へ。

お互い昔よりも疲れております(笑)


またいつかお布団に入ってお話をしてほしいと言ってくれる日があるでしょうか?

終わりが近づいていると思うと、またかよ!と思う気持ちがなく、何度でもお話をしてあげるよという気持ちになるから不思議です。

いつが最後になるかわかりませんが、もうこの間が最後だったかもしれないですが、今度もしお話をせがまれたら、シンデレラが王子様と幸せになるまで、お話してあげようと思います。

【子どもにお話をせがまれるという幸せ】を私に経験させてくれた娘さん。

【塾に送って〜と言われる幸せ】

【トイレついてきて〜と言われる幸せ】

いろんな幸せを私に経験させてくれた娘さん。

今度は、また別の幸せ頂戴ね(笑)

娘の住む世界

11月の後半から12月にかけて、毎週土曜日に幼稚園免許更新に大学に通っておりました。

久しぶりに講義を受ける。一コマ2時間。それを15コマ。30時間の講義を受けて免許の更新ができます。

なんといいますか。一言でいうなら、「感動」しました。


2時間立ちっぱなしで、話をしてくださる。

それだけで、ありがたく感じる私は、年齢を重ねたと言わざる負えません(笑)


〈教育の最新事情〉

〈発達障害のある児童・生徒の理解と対応〜教育と医療の視点から〜〉

〈禅の生活〜「かたち」と「こころ」〉

〈児童虐待と生活貧困家庭への支援〉

という4つの大きなテーマがあり、

教育の最新事情の中には

●スクールソーシャルワーカーとのかかわりを通して、子どもの生活の変化に応じた支援の在り方を考える。

●いじめ、不登校、非行、犯罪等の問題についての背景・原因の分析や教員の具体的な取り組みの在り方、また報道の統計の活用を通して現代社会の問題を考える。

●学校における危機管理の課題〜付属池田小学校事件から学ぶ〜

●子どもの発達を心理学の知見から見つめ直し、その問題点、課題、子どもの変化についての理解を深める。

●教育政策の動向を考える。教員のコミュニケーション、地域社会との連携を考える。

●教師とスクールカウンセラーの協業のあり方等を考える。

というテーマで、合計30時間の講義が行われました。


このような勉強から、20年近くも離れていたのですが、昔は孤独に子どもとかかわっていたなぁと感じました。

今は、いろんな角度から子どもたちを守り育てる仕組みが出来上がっています。

やはり、家庭でも教育現場でも、一人で抱え込まないことが大切だなと思いました。


15コマの講義のうち3コマは泣けました。

子どもたちは、苦しい世界で生きています。

収容所にとらわれているわけでもないのに、苦しい世界で生きているのです。

夜回り先生と呼ばれている水谷修先生が講義をしてくださった中で、今までは夜に外を回れば、助けを必要としている子どもたちに出会えたと。だから、回ればよかった。見た目もわかりやすかった。髪の毛は金髪。服装も。しかし、今は外見からは何の問題もないと思われる子どもが袖をまくるとリストカットの後。部屋にこもってでてこない。夜の街を回っても出会えない。
そのような子どもたちがたくさんいると。

更生して学校の先生になった子が、3年前の東北の震災で大きな被害のあった学校で働いていて津波に巻き込まれ命を落としてしまわれた話。

講義をしてくださる先生方が、壮絶な体験をしていて、生の話をしてくださっているという印象。

池田小学校の事件にかかわった先生の話。

リアルすぎて気分が悪くなれば退席してよいというほど。

いろんな事件が世の中で起こっていますが、池田小学校の事件はいつも私の心の近くにあって、すぐにあの事件を思い出してしまいます。

事件は娘が生まれる前に起こっているのです。同じくらいの子どもがいるわけではなかったのに、いつまでも心の中にある事件。

事件で命を落としてしまった子のひとりは、その日、「学校に行きたくない」と言ったそう。そんなことは珍しかったらしく、親は取り合わず、学校にいかせ、事件に遭った。

このエピソードが私の心から離れないのです。

今でも、娘が学校に行きたくないと言ったら、すぐに「わかった。休みなさい」というのはこの事件があったから。

これは余談ですが。


講義を受けて泣けるというのは、それだけ子どもを取り巻く環境、世界が苦しい辛い世界になっているということなのかと思っておりました。

先生が質問されました。

「どんな言葉をかけていますか?家で、子どもに、早くしなさい。だめでしょ。わかってないわね。などという言葉を多くかけているか。よかったねぇ。頑張ってるね。大好き。などの言葉をかける方が多いか、どっちが多いですか?」

この質問、ほとんどの人が前者だったのです。

私は衝撃でした。

教育現場で働いている人たちですよ。

それなのに、マイナスの言葉をかけている方が多い人が、多いなんて。

そのことを、帰宅してから、娘に話してみたのです。

すると、娘が驚の一言を放ちました。

「みんな、恥ずかしかったんちゃう?正直に手をあげるのが。みんな家では、良い言葉を言うてると思う」


娘の住む世界が2015年も幸せな世界でありますように祈ります。

登校拒否児童の朝

それは、土曜日のことでした。

この日は、高槻にドラムを習いに行く日でした。

時間は13時。

初回、到着までに2時間かかってしまった経験から、お弁当持参で11時ごろ家を出て、現地に12時ごろ到着し、車の中でお弁当を食べ、時間があれば、高槻の西武百貨店でウロウロし、そして、ドラム教室へ。

本来、ドラムのレッスンは30分で、月2回なのですが、月に2回通える自信がなく、月1回で1時間というレッスンに特別にしてもらっていました。

そもそも、ドラムを習いに行き始めたのは、去年サンタさんがドラムをプレゼントしてくれて、友人に、最初少しだけ習った方がいいよとアドバイスをもらい、月に一度は連れて行ってあげたいと思っていた温泉が高槻にあったので、そこと抱き合わせで、私がレッスンを進めたのでした。

小学生の間だけ、習ってみよか。温泉も行けるし

そのような感じでした。

そもそも、なぜ、ドラムがやってきたかと申しますと、去年の12月。ディズニーシーのミッキーがたたくドラムのかっこよさに「あ〜のんちゃんがこんな風にドラムがたたけたらなぁと」一言言ったことを覚えていたのです。

それで、お願いが「ドラム」

このいきさつは、去年の12月のブログに書いていたと思いますが、そんなわけで、娘が、何かに感動して、「ドラムがほしい!ドラムが習いたい!」となったわけではなく、流れでそうなっていったという感じでした。


さてさて、土曜日の朝、娘はなかなか起きてきませんでした。

私は、学校の日は起きられず、休みの朝には早く目が覚めるというのが子どもと思っておりましたが、つい先日、友人が、「たくさん眠るのが子どもじゃないの?」といわれて、なかなか起きてこない娘を「子どもだから寝るのね」とそのままにしておきました。

10時半ごろ、友人が来訪し、「のんちゃんは?」と娘の気配がないのを感じて声をかけてくれましたが、「まだ寝てるねん」と話をしていました。

友人が帰られて、しばらくしても起きてこないので、娘が寝ている部屋の戸をあけながら、

「もう起きてや〜〜」というと、

なんということでしょう

娘は、へ〜〜んな顔をしています。

ん??どうしたん??

というと、

ふえ〜〜〜ん(泣)

え????

布団をかぶって、

「行きたくない…」

お〜〜〜〜〜

これ、よく見るやつやん(笑)

いやいや、その時は笑ってませんよ。

登校拒否の子が、朝起きてこないでぐずるの図じゃないですか!!!

「何で嫌なん?難しくなってきたから?」

娘は先月、そろそろ終わるころだと迎えに行ったら、いっぱいいっぱいの顔でドラムをたたいており、レッスンが終わって、挨拶をして、私と二人きりになると、泣き出していたのでした。難しかったらしい。

30分のレッスンを1時間受けるというのも、結構エネルギーがいるようで、疲れるんやなぁと感じていました。

「なんで、嫌なん?ちゃんとお話して」

まだ泣いている娘の頭をひざに乗せて、ずいぶん伸びてきた髪の毛を撫でながらたずねました。

「だって…ヒック  のんちゃんが行きたいと…ヒック  いったわけじゃないもんヒックヒック」

そのとおり、そのとおり。

「そんな嫌やったら、いかんでいいやん。習い事行きたくない言うて、泣くことないわ〜」

「ちょっとだけ、習ってみようっていうてただけやし、電話するわ」

「昨日のうちに言うてくれたらいいやんか。先生も、急に休むっていうたら迷惑やで」

「ままが…シングシング…のんちゃんがドラム…するの…」

「あ〜〜ままが楽しみにしてるからやめられへんとおもったんか?そんなん嫌々やらんでいいのに」

「ほな、今日は、鳥獣戯画みにいこか。水族館も近いかな?両方いこか?」

そういうと、娘は泣き止みました。

教室に電話をかけると、退会手続きの為に一度足を運ばなければならないということでした。

先生にも、急に辞めるといって挨拶もしないというのは嫌だしな…。娘の皮膚の為に温泉にはいきたいし、ということで、娘に、「辞める手続きしなあかんから、いかなあかんし、のんちゃんもちゃんと最後の挨拶しなさい」といいました。

娘は、そのことには納得したようで、ぐずることなく、高槻に行くこととなりました。


今までと一緒。

11時の家を出ました。

お弁当を作ってあったので、お弁当をもって。

車中、娘が最初の体験でドラムをたたいてくれた日のことを思い出しました。

シングシングの曲が好きだというと、娘に簡単なリズムを教えて、先生はピアノを弾いて合わせてくれたのです。

「今日、最後に先生にお願いしてシングシングたたいてくれへん?」と運転しながら後ろに座る娘に声をかけましたら、不思議と涙が出てきました。

やめてほしくない!と思っているわけではないのです。最初にたたいてくれた時の感動を思い出して、あの時も涙が出たのでした。

あ〜やっぱり歳をとったのでしょう。

涙がどんどこどんどこ溢れてきました。

「やっぱり いいわ」私が言うと、「泣くから?」と言われました。

そのとおり。

「これでドラムをやめたとしても、大きくなってたたきたくなるかもしれないし、何かの役に立つかもしれないしな。これで、ドラムができひんというわけではないもんな。いつか、大きくなったら、シングシング叩いてくれるかもしれないし、その日を楽しみにしとくわ」

自分で言いながら、そうだ。そうだ。そうじゃないか。

と思っておりました。


いつものように1時間ほどで高槻につき、車の中でお弁当を食べました。

娘の心は軽いようで、顔が曇るということはありませんでした。

教室の受付の行くと、退会もあるけれど、休会もできること、1時間のレッスンではなく30分のレッスンにできることなどの説明を受けると、娘は、それならやりたいというような雰囲気を醸し出してきました。

やめたい理由は1時間がつらかったのか。

ドラムをたたくことや、来ることが嫌だということではないようです。

その後、先生にも会いました。

先生は驚いておられました。辞める理由が見当たらないと。

しかし、先月の様子をお話しすると、娘は難しいリズムを教えると叩けるのでで、どんどん次々進めて行ってしまったところがあったと、おっしゃいました。

遠くから来てくれてるし、一時間あるし、これできる?というとできるので、次々と。


先生と話していると、時間を変更して、もう少し遅い時間で1回30分のレッスンにしてみようかということになりました。

娘もそれならやりたいということでした。

昼前からでて、帰りは6時ごろになるので、丸一日土曜日がつぶれるのも嫌だったようで。

やめてしまうのではなく、ちょっとやり方を変更という形で続けることに。

でも「今日もやっていく?」といわれても、かたくなに断っていました(笑)

休会手続きは、先生との話し合いの前に記入していたので、12月はお休みして、1月から仕切り直しでスタートいたします。

娘は、春から始めたことを、一旦「結び」ました。


それにしても、登校拒否児童の朝の様子を見せてくれるとは思いませんでした。

娘は学校に行きにくい日がありましたが、起きてこないということは今までありませんでした。

恒例の温泉に浸かりながら、

「ままが悲しむからって、嫌な気持ちを我慢して続けていたことを後からわかったほうが、ままは悲しいねんで。これからは、すぐにいうてや」というと、「うん」うなづきました。

「今日、○○さん朝きたはったやろ?のんちゃん聞こえててん」

目は覚めているのに起き上がりたくないと、ずっと布団にもぐっていたのです。

「ほんとに、登校拒否する子みたいなことしててんな。普通学校行きたくない言うて、そういうことするんちゃうの?のんちゃん学校の日は、早く起きて勉強するやん(笑)」そういうと、

「学校は、楽しいもん」

楽しくないのか?ドラムは(笑)


行かなきゃならないところでもないのに、真面目な子です。


サンタさん。あなたの住む町には、リサイクルセンターありますか?













最後の学習発表会

いろんな行事が、最後です。

いえいえ、いつも最後ですね。

人生の今日は、いつの時も、もう二度とやってこないのですから。


さてさて、体育館で発表会には、苦い思い出が…。

一年生の秋ごろ、ファミリー参観ということで、おじいちゃんおばあちゃんにも見てもらおうと一年生がみな、体育館に集まって、言葉と鍵盤ハーモニカか何かを発表するというものでした。

横一列にずらっと並び、どの子の顔もよく見えるような体系でした。

この時間のすぐ前の休み時間、娘は友達にぶつかって転ぶか何かをして、泣くということがあり、少々テンション下がり気味でのスタートでした。

きれいに横一列に並んでいたのですが、中央付近の娘だけ、少し奥まった感じで、後ずさりしているような感じでした。

ほんの半歩くらいのことですが。

皆が並び、ざわついていたのが、しーんと静まり返った途端、うわ〜〜〜〜〜〜んと泣き出した娘。

発表の一番手は、娘の鳴き声??という感じでした(笑)

あらららあららら

他のお母さんたち、おじいちゃんばあちゃんたちもご覧になられているのですよ娘さん。

発表は始まりましたが、娘の穴を他の子が上手に埋めます。

その様子を見て、(ははぁん こやつ毎回泣いておるのだな)と簡単に想像できました。


そんなことを思い出しながら、最後の体育館での発表でした。

今年は、今までと違い趣向を変えて、音楽発表会というものでした。

学年ごとの発表ではなく、低学年、中学年、高学年のブロックで、発表。

はっきり言って見応えはありませんでした。


娘は背が一番低いので、一番前だったから、ずっと姿が見えていたのがよかった(笑)

壇上にも上がらない隊形だったので、後ろの子たちは全然見えませんでした。


低学年から順番にはじまって特に感無量という気持ちはなかったのに、高学年の発表の途中、隣に座っていた母が

「あの子泣いてるわ」といい、見てみると、最前列の女の子が、リコーダーを吹けないくらい泣いているのです。

それを見た瞬間、私の目からもじゃーじゃーと涙があふれてきました。

あららら、なんでかな、いっぱい出るね。

いろいろ思い出したわけでもなく、もらい泣き。

これがいわゆる【年をとって涙腺が緩む】という状態なのでしょうか?

高学年の発表が終わっても、涙止まらず、全体で合唱する『花は咲く』がはじまって、私も歌おうと思ってたのに、歌えないほど止まらず。

なにか、溜まっていたのでしょうか?


いっぱい流して、発表会が終わりました。


娘は途中で泣き出すことなく、滞りなく発表を終えました。


ちゃんと歌えなかった『花は咲く』

最近考えていた、私の中のキーワード「私は何を残しただろう」という歌詞が出てきます。



『花は咲く』

真っ白な 雪道に 春風香る
わたしは なつかしい
あの街を 思い出す

叶えたい 夢もあった
変わりたい 自分もいた
今はただ なつかしい
あの人を 思い出す

誰かの歌が聞こえる
誰かを励ましてる
誰かの笑顔が見える
悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
私は何を残しただろう


夜空の 向こうの 朝の気配に
わたしは なつかしい
あの日々を 思い出す

傷ついて 傷つけて
報われず 泣いたりして
今はただ 愛おしい
あの人を 思い出す

誰かの想いが見える
誰かと結ばれてる
誰かの未来が見える
悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
私は何を残しただろう

花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう

花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
いつか恋する君のために



この六年間、私は娘に何を残したでしょう。

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摩耶
京田辺在住です。

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