のんちゃん 歯歯歯物語

先日、娘、最後の乳歯が抜けました。

京都、宇治にある太陽が丘というところの陸上競技場で、京田辺市の6年生全員で行われた陸上交歓会が行われた、その日、その場所で。

「わ〜〜すごいなぁ 思い出に残るようなところで、最後の歯が抜けたな〜〜」と言っていたのですが、何日か経って、もう一度驚きました。


娘と一緒にお風呂に入っていた時のこと、

娘の歯が全部抜けたという話になり、

「ままはなぁ。最初の頃は、のんちゃんの歯がどの場所で抜けたか覚えてたんやけどなぁ…もう、今は思い出せへんなぁ…どこかに書いておけばよかったわ…母子手帳に書いてたかなぁ?」

と、話していました。

「一番最初は、植物園やったなぁ。あれは、感動したなぁ〜」

「2番目は、どこやったかな?ままが無理矢理、抜いた歯もあったなぁ。あれはよくなかったな」

「学童でも抜けたことあったなぁ…」

「最後は、太陽が丘か…ん?太陽が丘?一番最初が植物園。植物園って、太陽が丘のとなりやで!!え〜〜〜〜〜〜ほとんど同じ場所で抜けたってことやんか!なんで、最初と最後が宇治なんやろな?え〜〜〜〜〜面白いなぁ。これ、ブログのネタにできるわ!」と湯船のお湯がバシャバシャ波を打ちながら、私一人で興奮していたのでした。

娘は一言「ブログに書いていいで」と。


生まれて初めて、人間を育ててきて、生後5か月の頃、一番最初の歯が歯茎から白く顔を出してきたときは、

「早すぎる〜〜〜まだ、はえんでいいのに〜〜〜」と、思ったのを覚えています。

まだまだ、おっぱいだけで大きくしようと思っており、そして、私のおっぱいの出具合と、娘の吸引力がなかなか相性が良いとは言えず、試行錯誤の毎日を過ごしておりました。

助産所で出産したため、母乳で育てましょうというスローガンのもと育児をしておりました。1歳ごろまでは母乳中心の方がよいという話や、早く離乳食をあげてしまうと、腸の成長が遅れるとか、いろいろと話を聞いていたため、5か月頃に歯が生えてきたときは、

「まだ、食べへんのに、生えて来んでもいいやん」ということと、

「今の毎日の生活に、歯磨きも加わるなんて、考えられへん」という気持ちが入り乱れました(笑)

そんな、気持ちでスタートした娘の乳歯ちゃんデビュー。

上の歯も、少し生えたころには面白いことがありました。

ペットボトルの蓋を噛んでいた娘。

その蓋が、上の歯と下の歯に見事にロックオン。

小さなお口、いっぱいにペットボトルのキャップがはまっている状態。

娘自力では、どうしても取れなくて、パニック。

本人は何が起こったかわからなかったのでしょう。

上手いこと、挟まったなぁと大笑いしたのを覚えています。

そんな乳歯ちゃん。

3歳のお誕生日を迎えるまでは、虫歯はありませんでした。

もちろん、小さいときから、親が口にしたものを食べさせるということはしなかったですし、親が使ったスプーンを使うこともしてきませんでしたので、娘の歯には、虫ばい菌が住み着かなかったのだと、油断していた矢先、4歳の誕生日には、虫歯が見つかり、ショックを受けました。

虫歯め!!と、虫ばい菌に私が意識を向けた途端、娘の口の中には虫ばい菌がどんどん増えて、あっという間に、虫歯が増えていきました。

そのころ、自分がフォーカスしたものが、目の前に現れるような話を聞いていたので、私の意識が娘の歯に虫歯を作ったのではないか?くらいに思っており、あの話は、ほんまなんや…。と思いました。

フォーカスしたものが目の前に現れるなら、一万円札にフォーカスすればよかったなと今になって思います。

しかし、しばらくして、虫歯くらいで死ぬことはないと思い直し、気にしないことにしました(笑)


歯医者さんデビューは、京都駅近くまで行きました。

薬を出さない歯医者だったのか?

なぜ、そこに行ったのか?

ホメオパシー的な考え方の歯医者さんだったような気がします。

そして、なぜ、行かなくなったのか?忘れましたが、遠かったからでしょう。

最近は、家の近くの歯医者さんに行っております。


今の歯医者さんは、明るくて、優しくて、痛くなくて、また、歯医者に行ってもいいなと思わせるような感じなのがいけません。

もっと、怖くて、暗くて、痛くて、二度と歯医者になんかくるもんか!と、思わせるようでなくてはいけないと思うのです。

娘は、衛生士さんに歯磨き指導をしてもらって、にこにこと「歯を磨きます」と答えて、三日も持たず、すぐに歯を磨かなくなります。


もっと、歯の治療を痛くしてくれないといけません。

虫歯になったら、嫌だと思わないといけないのです。


あ!そうしたら、歯医者はやっていけませんね。歯医者は虫歯にならないとダメなんですね。だから、優しくして、明るくして、痛くないようにして、また来てもらおうとしているのです。

脱線しました。


娘は、その後、順調に虫歯になり、順調に大人の歯に生え変わっていきました。

そして、この度、最後の乳歯が抜けたというわけなのでした。


いつどこで抜けたか全部は記憶していないし記録もしてなかったけど、一番最初と最後が、近い場所で、それも自宅ではない場所で驚いたので、こうしてブログに書くことにいたしました(笑)

あんまり驚いたので、こうして綴ってしまいましたが、この話、誰かの役に立つでしょうか?

なんの役にもたたなかったとしても、ハハハと笑っていただければ、幸いです。


のんちゃん 歯歯歯物語でした。


のんちゃんの乳歯ちゃん、さようなら。

今までお世話になりました<(_ _)>

のんちゃん かけっこ物語 

娘が六年生になり、ひとつの大きな成長を感じた出来事がありました。


かけっこに関して、娘は今までにいろんなドラマがありました。

このブログに書いていたかもしれませんが、ちょっとまとめてみようと思う気持ちになりました。

娘のかけっこ一番最初の思い出は、未入園児の頃のかけっこ。

来年度入園する子が走るというもので、娘は、

ぴゅーっと走って ぴゅーっと戻ってきたのを思い出しました。

あっという間に終わって、あっけない感じでした。

他の子は、かわいくトコトコ トコトコ。

中には座り込む子。泣く子。途中で振り替える子。いろいろな姿を見せてくれます。

が、娘はサッと目的達成。お土産の折り紙かなにかをもらって帰ってきました。


幼稚園の年長の時、リレーのアンカーになりました。

幼稚園の子のリレーなんて、いつも順番なんか決まってなくて、適当に走っているんだと思ったら、いつも同じ順番で、そしていつも娘のクラスがビリになっているようでした。

それも、競り合ってビリになるのではなく、ほとんど娘が一人で走るというような感じ。

なので、いつもアンカーの娘は、誰も走っていないところをひとりで走らなければならないということを何度も体験していたようです。

そんなことは知らなかったのですが、運動会の前の日、初めて私に、リレーが嫌だということを話してくれました。そんなことを嫌がるほど大きくなったのだなと、その当時はそれはそれで感動したように思います。嫌だという気持ちが芽生え、それを黙っておけなくて、親に告白。

娘の心の中には、どんなあらしが吹いていたのでしょうか。何日も黙っている日があったということなのです。

娘は、あまり自分のことを話してくれる子ではなかったので、よっぽど嫌だったんだなと思いましたが、当日は何とか励まして、幼稚園に行かせました。

娘は、予想通り、一番最後にバトンをもらいましたが、腐ることなく、一生懸命ゴールに向かいました。泣き出すことなく、終わってもそれは大丈夫でした。娘の全力で走っていたと思います。
その時に撮影した写真を父親が今でも飾っているのですが、私はその写真が嫌いです。そこに写っているギャラリーのほとんどが、娘を見ていないのが写っているのです。

一人ぼっちで一生懸命走っている娘。その写真を見るたびに、なんだか、かわいそうになるのです。


一年生になり、かけっこで1等賞をとり、娘は足が速いのかとこのときに初めて思ったのを覚えています。

二年生では一等賞ではなかったから悔しがっていたような気がします。

三年生では、リレー選手に選ばれ、私は幼稚園の時にいい思い出のないリレーなので、どうかな?と思っていましたら、楽しい思い出になったようでした。

しかし、四年生ではリレー選手になりたくないと言い始めました。
緊張すると言い出したのです。
足の速い子はリレー選手に選ばれてうれしいだけだと思っていましたが、うれしくない子がいるんだと初めて知りました。

第一走者になりたくないと言っていましたが、四年生は第一走者にはならないやんというと、よかった〜といった感じでした。

五年生の時は、わざとタイムを計るときにゆっくり走ろうかなと言い始めました。
そんなことしたらあかんやんと言いましたが、結局リレー選手になってしまいました。
しかし本番で、娘が、一人を抜くという好走を見せてくれました。

六年生でも、タイムを計るときに力を抜いて走ろうかという話をしており、そんなんしたらあかんと言いましたが、でも、娘が毎年出ているために、出られない子がいて、リレー選手になってみたいと思っている子もいると思うので、やる気がないなら、タイムを計るときにゆっくり走ったほうがいいという話をしていました。
娘が嫌々走るより、走りたくてたまらない子がリレーを走るほうがよっぽどいいやんと。それでも、娘がリレー選手に選ばれると、思っていましたが、なんと選ばれませんでした。
娘に、「嫌がっていたけど、いざ選ばれないとなると残念な気持ちする?」と聞いてみたら、「そんなことない」という返事。しかし、親としては、見る種目が一つ減って残念でした。
小学校最後の運動会でもリレー選手の娘の姿を見たかったなぁと、心残りができてしまいました。

小さいときから、ずっとリレーで走る姿を見てきたのに、最後がなんだか、拍子抜けしたなと思っていましたら、今度、市内の小学六年生の陸上大会があるようで、そこでのリレー選手に選ばれたというではありませんか。

最近学校の放課後にリレーを練習しているらしいのですが、娘が先日、こんなことを言いました。
「のんちゃん、第一走者じゃないねんけど、第一走者の○○ちゃんと替わってあげようかなとおもうねん」と。

理由を聞くと、第一走者の子は、慣れていないようなので、のんちゃんが走ったほうがうまくいくと思うと。

お〜〜なんと!!

あれだけ、今までリレーは嫌だとか、第一走者が嫌だと言っていた娘が、替わってあげようと思うなんて。

「そうか、じゃあ、その子に替わってあげようか?というてみたらどうや?」と言いました。

「のんちゃんは、今まで第一走者が嫌だと思ってたけど、その子は嫌だと思ってるかはわからないし、もし、替わってほしいと思ってるんやったら、その子はうれしいけど、そうじゃないかもしれんからな。相手がどう思ってるか、まずは確かめなあかんで」と添えて。


幼稚園のリレーでの思い出。今までの体験。何度もいろんな気持ちを感じてきた娘から出たこのような言葉に、娘の大きな心の成長を感じたのでした。


のんちゃんの最後のかけっこ。

もう、見ることはないと思っていたリレーで走る姿を見ることができることになり、私の心残りが解消されます。

最近私の頭の中によみがえった、娘の入園前のかけっこのスピード。

あのスピードが今につながっているんだと感じる今日この頃です。

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摩耶
京田辺在住です。

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