折紙

娘は、折紙を綺麗に折りたいらしい。

折り方を、教えてくれ と、いうので、教えるが、きっちり、折り目をつけるということをしないので、だんだんずれて、最後の仕上がりが、美しくない。

美しくないことに、気が付かなければいいのに、そこに、気が付いて、

「きれいにおれへん!!」と、イライラする。

私は、思わず、

「綺麗におらへんから おれへんのや!綺麗に折ったら、綺麗に折れる。自分がしたようになるんや。綺麗に折ったのに、綺麗じゃないなんてことはない。」と、

わかるような、わからんような、早口言葉か?と思うような、説明をした。

説明をしながら、どこかから、

「自分の今は、自分がしてきた結果で、してきていないことは、結果として現れない。」と、自分に誰かがいっているような気がした。

娘にいっているようで、その言葉、そのままお返しします。という感じだ。

そうおもったら、少々、娘に丁寧におしえてやろうという気になり、

「きっちり、おって、指で折り目を押さえていくんやで・・・」と、いいながら、折ってやった。

「ほらな。綺麗に折ったら、綺麗になるやろ?」と、私はいった。

(はい。そのとおりです・・・)と、私が、心の中で、返事をした。

本当に好きなこと

私たちは 本当に好きなことを やるためにここにいる

本当に好きなことは 時間がなくても どうしてもやってしまうこと。

時間があれば、できるのに・・・・。というのは、本当に好きなことではない。

毎日 どうしても してしまうことって 何ですか?

それをして だれか、自分以外の人が 一人でも喜びますか?

一人でも 喜ぶものであれば それをどうぞ続けてください。

動く

ひとつ 動いたら

どんどん 動く

今日は 元気だ

あっ またやってしまった

自分が何かに夢中になって、それを娘に邪魔されて

イラッ〜〜〜と する

なんだろ?

たいしたことでもないのに


ちょこちょこ それが たまっていく

そして、

大して痛くもないのに

ちょっと痛いことをされただけで、

爆発!

ものすごく痛かったのではなく

その前の 自分の思い通りに行かなかったことが たまっているのである。


あらら

この感じ 昔よくあったなぁ・・・と 思う

そして、大反省。


あ〜〜〜 ずっと いい感じで 穏やかに 過ごしていたのに

こんな ちょっとした たいしたことないことで

イラッとくるなんて・・・・

どうして いい感じを キープできないんだろう・・・・


そう おもっていたら  

キープする必要なんて ないんだと

友達が教えてくれた

また やってしまって

また 穏やかな日々を 大切に感じる

それが いいのだと

そうか・・・

そうなのか


そういわれると やってしまう 前と 後では

娘をより 愛おしく思っている

お〜〜すごい

そうなのか 

キープしなくてもいいのだ

と 思ったら

自分のすべてが それでいいと思えた





自分の色

自分 一人では 自分の色が 何色なのか わからなかった

仲間ができると 仲間の色が見えて

そして 自分は 何色なのかも 見えてきた

仲間がいるって すごいなぁ


仲間が 一生懸命 生きていると

なんだか その 一生懸命が こっちまで 漂ってきていて

一生懸命 していることは知らないのに

私まで あらら 不思議

同じ事をしてしまっていて・・・・

面白いなぁ  

みんなで どんどん 階段をあがっていっているのかな?

自分の色で キラキラ 輝く

綺麗な 虹が見える

音が鳴る

ドン!

音が鳴る

あっ こうしたら おとがなるんだ

ドン! ドン!

もっと してみよう 

ドン! ドン! ドン! ドン!

おもしろい おもしろい 

ぼくが うごくと おとがなるんだ

自分の そのままで

なぜか 自分で 自分の理想のようなものを作っていて

いま これをいったら いけないかな?

こうしたら いけないかな?

と 考えて

言葉を たくさん 選んで  

そして、いつのまにか 自分の本心とは 違う動きをしていてね。

綺麗に 生きているつもりでも

それって 自分を そのまま出していないから 

なんだか 架空の自分を演じているような気がしない?


どう思われようが、自分を隠すことなく 表現するとね、

痛い目も 見るけどね。

でも、それは 本当の自分を表現したことだからね、

良くないことだったら、良くなかったとすぐに分かるしね。

なんだか、嬉しくなるよ。

確かに、綺麗に取り繕って 生きるときよりも、波風はあるけどね。

でも、その方が、本当の自分で生きているから、自分の人生を生きているよね。

自分が 自分で 生まれてきたんだから、

何も 取り繕ったりしないで 他の誰かになろうとしないで

自分で 生きてください。

時とは 不思議なもので 自分の心の具合で 進み方が違うようだ。

最近は 時が私にあわせてくれていると思える。

なので 時間に遅れるとか 急がねばとか 

そういうことで イライラしたり 焦ったりすることが 

殆どない

穏やかな時を過ごしているといえる。

話し方

我が家では、朝、主人が出勤するとき、手をパチンと合わせて、

「いってらっしゃい」の 挨拶をしている。

右手と右手 あわせて パチン

娘が一回。 私が一回。

しかし、今朝、

主人が、「行ってくるよ〜〜」といったら、

娘が、コタツに入ったまま、たまごっち を 触りながら、

主人の顔もみず、「うん」と答えた。

私は、娘に、「その挨拶の仕方はなに?」と、少々強い口調で言った。

娘は すぐにたまごっちを おいて

いつもどおり、パチン と手を合わせて、いってらっしゃいの挨拶をした。



5分ほどたって・・・・


「まま さっきの いいかた いやなきもちした」

といい始めた。

私は、「ちゃんと挨拶してなかったからやん」 と いったら、

娘は、そうじゃないんだ ということを 言葉を捜して、話してくれた。

自分の態度がわるかった。

そんなことは、娘は、わかっているのだ。

娘が 言いたいことは、私の話し方に 問題があるということなのだ。

そのことを、言葉を捜しながら、話してくれる。

「この・・・きもちがな・・・・いやなきもちになるねん・・・・」


「ままの 言い方がきついから、その言い方はやめてといってるんやな。

  ままが悪かったわ。

  もっと、優しく、『そんな挨拶の仕方は おかしいよ』といったら、

  よかったんやな。ごめんな。」と、謝った。


娘は、自分が注意された内容は、間違っていないが 言い方に問題があると、指摘してくれたのだ。

5歳の娘に 教えられる毎日。

話し方は 大事です。

おかあさんへ

私が、今、わが子がこんなにも愛おしいと感じるのは、

あなたが、私のことを 一生懸命愛してくれたからなのですね。

周りの子達よりも、物質的には恵まれていなかったけれど、

溢れる愛情を もらっていたのだと、

今になって やっと わかりました。

わが子がかわいくて かわいくて たまらないと 思える私に育ててくれて、ありがとう。

悲しい笑い声

大きな声を出してごめんね。

怖かったよね。

怖がらせてごめんね。

心が縮んでしまうよね。

あなたが泣きたいのを我慢して、大声で笑う声を聞いて、

私の心が張り裂けそうになったよ。

泣きたいときに笑ってしまう。

そんなことが、できるようにしてしまった・・・・。

その笑い声は、泣き声よりも悲しい声だったよ。

悲しい笑い声ってあるんだね。

こんな悲しい笑い声をはじめて聞いたよ。

心と体が、バラバラのことをしていたね。

そんなことしてたら病気になってしまうよ。

ごめんね。

もう 二度と 悲しい笑い声は出させないからね。

すべて よい

いじめる側 いじめられる側 傍観者

傍観者に、勇気を持ってもらいたいと思った。

けれど、傍観することは、決して逃げていることではない。

その位置にいることで、自分の役目を果たしている。



うちの娘は、夏に、仲間はずれにされた経験があり、いまも、少々そのときのことをひきづっているようで、そのこたちが、うちに遊びに来ると、テンションが下がる。

遊びたくないともいわず、なんとなく、その場の雰囲気で少し一緒に過ごし、そして、別れる。

傍から見ていてちっとも 楽しくなさそうである。

それならば、遊びたくない とか 意思表示をすればいいのに・・・と思っていた。


暮れに、その友達とは違う子供たちが、大勢遊びに来た。

そこで、また仲間はずれが行われた。

今度は娘は、傍観者である。

自分が、仲間はずれにされて、嫌な思いをしたのではないのかい。

自分がされたことがあるから、傍観者になっているのか。

皆、除け者にした子が、怒られると思っていたようだが、私は、除け者にしたことをだまっているなら、一緒に除け者にしたのと、同じだと傍観者たちを怒った。


私は、傍観者が、勇気を持って、それはいけないことだといって欲しいと思った。
喧嘩するのはいいことだと思うが、仲間はずれでは、何も始まらない。喧嘩もできない。
仲間はずれは、一番いけないことだといった。

けれど、傍観者は、傍観という立場で、自己主張をしている。

入らない争いを、起こさないように。
黙っている方が、いいという、選択をしてそこにいる。

それがいい悪いではなく、そういう経験をさせてもらえたということ。

皆、役者なのだと思った。

娘に、そしてそれぞれの子供たちに、いろんな気持ちを経験するようにそれぞれの役割を演じてくれている。

ただ、それだけのことなのだ。

しかし、私は、娘に、仲間はずれにされて、嫌な気持ちを知っているならば、「そんなこといったらあかん」 とか、いえるような子になってほしいと、いってしまった。

私は、娘が、言えるような子でなくてもいい。普段はそう思っている。

そんなこといえない子は、大きくなってもいえないし、言える子は、小さいうちからいえる。

そんなことは、どうでもいいと思っていた。

思っていたのに、

娘に、自分の理想を語ってしまった・・・・。

理想あったんだ。私。


でも、それも、すべて よい ことなのだと、後から知った。

親が、子供に、理想を言って聞かせるのは、とてもいいことで、そのとおりにならなくても、親は、こういうことを思っているということを知らせるのは、いい。

なので、結局、すべて よい のである。

私たちは いろんなことを経験するために ここで生きている。

私が、いろんなことを経験するために、周りの人たちが、その役を演じてくれている。

娘に仲間はずれにされるという経験を味あわせてくれる子。

傍観者という立場を味わうようにしてくれる仲間。

一緒に、遊んでくれる友達。

どんなときの、どんな子達も、いろんな経験を、私たちにくれている。

すべて すべて それでいいのだ。


娘を、仲間はずれにしてくれた子よ。  ありがとう。

娘を傍観者にしてくれた子よ。  ありがとう。

私に、すべて それでいいのだと 教えてくれた人たちよ。 ありがとう。


すべて よいことばかりで すばらしい。

私たちは、すばらしい今を 生きている。





立ち位置がわかるということ

自分のことばかり考えていると、七代先の自分の子孫の生活が どうなるのか想像もつかない。

しかし、この地球上には、七代先のことを考えて、狩りをする種族がある。

狩る方も 狩られる方も七代先まで、続くように、今日、何をどれだけ狩ればいいのか、今日何をどうすればいいのか 考えて暮らしている。


今さえよければいいと その場しのぎの生き方をしている人間も、七代先まで考えて生きていこうとしている人間も、同じ人間。

日本では3代揃いの夫婦が、新しく作られた橋を一番初めに渡るという慣わしがある。

3代揃いの夫婦。

私は、3代揃いの夫婦が実現できるだろうか?

そういう暮らしを、していかなければならないということだと思った。

体も心も健康で、そして、それが3代続く。

3代揃いの夫婦。みんなで橋を渡る。

そのような生活を目指して、今日を生きる。

嫌な人には、嫌な一日

今日は、昼12人 夜13人のお客があった。

どちらも、食事をされるお客様。

商売ではない。うちが会場になっただけのことである。

私は、自宅に人が来ることが、嫌ではない。

なので、なんとも 思わない。

一人で部屋にこもっているわけではない。

お出迎え、接客、お茶 お酒 など、動き回り、

最終片付けもある。

が、

うちに人が来てくれ、この空間が、有効利用されていると思うと、なんか、嬉しいのだ。

しかし、私が、このような性格ではなかったら、どうだろう?と ふと 考えてみた。

うちが会場になる、と分かった日から、この日が、ストレスの原因になるのだろう・・・

そして、当日も、いい気持ちで過ごせないのだろう・・・・

夜、11時過ぎまで、ゆっくりとされ、今、食器洗い機が、ゴーゴーいいながら、たくさんのコップたちを洗ってくれている。

食器洗い機よ ありがとう。


つくづく、お客が多いのが苦にならない性格でよかったと思う。

この性格だから、ここにいるのか?もしれないなぁ。

ストレスの原因

原因は確かにある。

それが取り除けるなら、初めからストレスなんか感じないわ と いう。

そう思っているうちは、ストレスから逃れられないであろう。

話を聞いていると、相手が自分の思い通りにならない 自分の常識の範囲の行動をしない というところに一貫している。

そして、相手は頑固だからということのよう。

まるきり 自分自身をかたっているのではないか?と思えた。

その常識を、一つずつ取り去ると、一つずつ、ストレスの要因がなくなるように思う。

毎日、同じものを着ているのが、許せない?

着るものがあるだけ いいではないか。

人に物をもらってばかりいる?

泥棒したのでは ないから いいではないか。

自分の体が、悲鳴を上げるまで 心を縛り付けるくらいなら、

本当にそこから抜け出したいのなら、

自分が変わる努力がいると思う。

同じことを愚痴っていても、何も変わらない。

ストレスの原因を作っているのは、他の誰でもない、

自分の心なのだ。

窓から鳥が見える確率

うちには ちいさな窓がある。

ちいさな窓を、見上げると、ほぼ100%に近い確率で、鳥が羽ばたいてよこぎる。

うちの家の周りに、たくさん鳥が飛んでいるのか?

外にでてみると、そうでもない。


例えば、外で誰かが、鳥をはなす。

そして、私が、窓から、それを見る。

かならず、窓越しに見えるとは限らないだろう。

ということは・・・・。


鳥が、私が、窓を見上げたときに、見える範囲に飛んでいるというのは、

どんな確率なのだろう?

なんだか、すごい確率なのではないだろうか?


それを、いつも目にするというのは、どういうことだろう?

今日、いつもより早く起きて、窓を見たら、

また 鳥が羽ばたいて横切った。


いつも見えている私には、窓を見上げれば鳥が見えるのがあたりまえで、

あまり、そのことが、すごい確率だとは思わない。

いつも 見えない人にとっては、すごい!みえた!と、喜ぶ出来事かもしれない。


出来事は 同じでも、受け取る側がちがうと、喜びになる。

この世の出来事は、すべて、そういうことなのかもしれないと思う。

気付いていないのは・・・・

気付いていないのは 自分

道はつながっている

行き止まりだと思っているのは 自分

行く道は ある

少し離れて 落ち着いて眺めてみると

道が見える

行き止まりを感じたら

離れてみてみよ

ラビリンス

目的の場所は 目の前

しかし 壁が立ちはだかる

もうすぐなのに すぐそこなのに

目的地ばかりを見ていると 他に道があることに気が付かず

いつまでも 目的地付近を彷徨うだけ

少し 離れて 上から見てみよう

道は 障害ひとつなく 続いている

たどり着く方法は 何通りかある

もうだめだと思ったとき

そのときは 自分で道を 閉じてしまったということ

必ず方法は ある

必ずいけると信じて 少し離れてみればね

声を出してね

あなたの声を

誰かの真似ではなくてね

あなたがふと 思ったこと 感じたことを
そのまま声にしてみると

なにか あなたに帰ってくるよ

それはね あなたのそのままだからね そこから 何かを感じればいい

誰かの真似をして 声を出したら
その声に対するものが帰ってくるから

それは 本当の自分に対するメッセージではなくなるよ

だからね

自分の声を出そう

なにも 恐れることはないよ

ありのままの自分の声を出さないと
先にすすめない

隠しても 偽っても なんにもならない

今の自分は 今の自分でしかない

今の自分の声を 出してみてね

ものまねしても 先にすすめない

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摩耶
京田辺在住です。

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