笑顔

娘が小学生になって、
体がかゆいのがひどくなって、
学校から帰ってきたら、おやつは食べるけど、
それが終わってから、眠くなる。

眠くなり始めると、カイカイ カイカイ
がはじまる。

そして、ずっと なでなでタイムが始まる。

ちょっと最近、娘が帰ってくると、その時間が始まるかと思って、憂鬱な気分になっていた。

でも、そんなことばかり おもってちゃ 楽しくない。

そこで、昨日は、

今日は娘は、どんなことで一番笑うか?と、思ってみた。


そして、何で笑うだろう?が、どうやって笑わせてやろう?にかわっていった。


一番笑ったのは、帰宅後、食べたいおやつがないということで、近くのコンビニにおやつを買いにいくのに、自転車でいった時だった。

娘は、自分の自転車に乗り、私は私で乗り、連なって、走ったのが、とても、気持ちよく、娘は、終始ニコニコいい顔で、笑っていた。

なんだか、最近、こんな時間が、取れていなかったのかも・・・・と、思い、私が必死に笑わせようとしなくても、笑ってくれて、大満足。

嬉しい自転車の散歩であった。

それでも、帰って、おやつを食べて、眠くなると、カイカイタイムは やってくる。

まあ、笑顔が、見れただけ いいとしようか。

【扉】

扉はね いろんなところにあるんだね

自分が 透明な自分になって

自分が 自分の思いを持たなくなったら

その扉が いくつもあることに気がつく


自分に聞こえてきた言葉は すべて その扉

でも 扉に気がつかないことが 多いね


扉はいつも 開けて欲しいと思ってる

でも タイミングが肝心 

いつまでも そこにないからね

扉を感じて 即 行動

すばやい対処が 必要かな?

【ちょうどよい】

なにもかもちょうどよい

自分にちょうどいいようになっている

いいことばかりがそうではないよ

苦しい つらいとおもうことも 自分にちょうどよくできている


自分は自分なのだから 自分にちょうどよいことが起こるんだよ

あたりまえといえばあたりまえ

けれど その あたりまえのことを 改めて認識したとき

つらいことではない ちょうどよいが たくさんやってくる


全部のことが 自分にちょうどいいんだよ

そう思うと なんだか うれしいね


そのちょうどよい を 感じて 

自分が 自分を信じたら

どんどん ちょうどよい ばかりがあつまってくる


サラダ菜

サラダ菜が、うちの畑で出来てね。

うちの畑というのは、義父が作ったサラダ菜。

そして、それを、夕食に出しました。

サラダ菜って、畑で取れない間は、わざわざ買わないし、私の中では、飾り 敷物 みたいな、感覚だったの。

それで、豚しゃぶの下に、敷いたんです。

1枚丸ごと。

ちぎらないでね。

それを何枚か、しいて、その上にもやしをのせて、その上に、豚しゃぶ。

いいやん。

おいしそうやん!

と、おもったわけ。


すると、主人が、


これは、小さいほうが、食べやすいなぁ・・・と いってね。


なんだか、その言葉に、最初は、

私が、手抜きをしていて、ちぎるのが面倒で、そのまま1枚敷いているから、食べにくい!といわれた!!と、おもってね。

一瞬、ムカッときたわけ。

(ちぎりながら たべればいいやん)と、おもったの。

でも、

後から考えると、なんとまあ 気を使った言い方だなぁ・・・と、思ってね。

「細かくして、だしてくれよ!!」と、いわれたわけではなかったんでね、

よくよく 考えてみると、食べやすい方法を教えてくれているんだと思ってね。

でも、私は、そのときに、素直にありがとうといえなくて、

今日、お客さんに、サラダをお出しした時に、1枚で、敷くのではなく、サラダ菜も、食べやすいように、ちぎってその上に、たまねぎ ニンジン をスライスして出したの。

お客さんは、このサラダをとても気にいってくれてね。

主人が、サラダ菜が食べにくいっていってくれたおかげで、細かくちぎって出そうと思って、その結果、気に入ってもらえたんじゃないか?とおもってね。

そして、やっと、いえなかった。ありがとうが、いえたの。

「サラダ菜をちぎったほうがいいと言ってくれたから、そうしたら、お客さんが喜んでくれた」ってね。

サラダ菜をちぎったことが、喜んでくれたことにつながったかどうかは、本当のところ分からないんだけど、主人にありがとうが言えて、よかったなぁとおもってね。

「そんなん、自分でちぎって たべたら いいやん!!」と、いいそうなところを、ありがとうという言葉に出来て、よかったなぁと。

どうとるか。どうなるか。

自分次第だなぁと。

いやみを言われたととるか、いいこと、教えてくれたととるか。

いやみって自分が作ってるんだなぁと思いました。

愛だけがあるのです

すべて 愛だけ だったのです。

雨がふることが 愛だと気がつかなくても、それでも、雨は降ってくれていた。

雨が降って、体が濡れたじゃない!と、怒ったら、雨は嫌なもの。

雨が降って、生き物たちが喜ぶわ!と、思ったら、雨は天の恵み。

受け取り方の違いなだけで 雨は、良いものにも悪いものにもなる。

そこには 愛だけしかなくて 良いも悪いも 受け取る側が勝手に決めているだけだったんですね。

怖い私

娘に、「もう うっとおしいねん!」と、突き刺さるような言葉を言ってしまいました。

かわいくて、かわいくて たまらないはずの 娘なのに・・・・。

すると、しばらくして、私のお腹に激痛が走りました。

生理痛です。

もんのすごく痛い。

たまらない痛さでした。

うっとおしいねん!と、いわれた娘は、うっとおしいねんと言った、私のお腹に手を当てて、

「大丈夫 大丈夫 まま がんばって!!」と、繰り返し言ってくれました。

私は、あまりにも痛くて、痛い!痛い!と叫んでいました。

娘は、その間、ずっと 手を当てて 声をかけてくれました。

いつもは、娘が、かゆいかゆいといって、私が、なでてやります。

私は、娘のぐずる声に とてもイライラします。

そして、

「かゆいかゆい と 言っても かゆいのなおらへんやろ!!」と、

ぐずるな!!ということを いうことがあります。

ぐずる声を聞きたくないからです。


私のおなかが痛くなって、痛い 痛い という言葉が、自然に口から出ます。

出産のときも、私は、声を上げたほうだと思います。

言葉って、勝手に出るんです。

ただでさえ、痛くて、たまらないのに、その時に、

「その声 聞きたくないし だまってよ」と、言われたら、どんな気分でしょう・・・・。

私は、そんなことを 娘に言っていたのです。

そして、このことで、十分 反省したにもかかわらず、

その日の晩、夜中に、娘がぐずったとき、私は、無意識に、娘を叩いていたのです。

無意識だと思いましたが、無意識ではないのかもしれないと思います。

膝の裏を、掻く替わりに 叩く方が気持ちよいときもあり、たたいてやるときがありますが、

同じ調子で、いつまでも ぐずる娘の背中を叩いたのでした。

隣に寝ていた主人に、

「叩く事ないやろ!」と、いわれ、ハッとしました。

今、私、叩いたわ。

確かに、そのとき私は、「もう うるさい いい加減に 寝てよ!」と、思ってました。

だから、無意識ではないんです。

さらに、怖いのが、その後に、反省して、落ち込んだのではなく、

ものすごく、うらむというか、憎むというか 嫌うというか、そういうような気持ちが、私の中から 溢れてきました。

これが恐ろしい。

そして 次の朝、朝になって、自分のしたことが、恐ろしいことだとはっきり思いました。
なのに、主人も娘も、私に何も言わず、いつもどおりに接してくれました。

娘も、夜中のことを覚えていないのか、

「まま まま 」と 言ってくれます。

私は、また 許してもらっているんだ・・・・と、思いました。


なんで、こんなことをしてしまうんでしょう?

私は、なにがしたいのでしょう?

娘がいるのに、自分のことばかり、考えているのでしょうか?

反省しても、全く 変わらない自分。


自分が怖い。

畑の水遣り

畑を耕し、種や 苗を植えた。

植えたら、水遣りが日課になる。

雨の日の次の日、作物は驚くほど生長している。


今まで、雨の日は 嫌いだった私だが、大好きになった。

天が、雨を降らせてくれる。

水道からの水ではなく、天からの雨を吸い込んだ苗たちは、生き生きと喜ぶ姿をみせてくれる。

天気が続いた日は、苗たちも、のどが渇いたよ〜〜〜と 悲鳴を上げている気がする。

水遣りに行くと、自分の畑だけではなく、隣の畑にも、水をあげたくなる。

その隣も あげたくなる。

そして、自分のところ以外の畑に 水をあげると、自分がなんだか、天の神様になって、雨を降らせているような気になる。

いつも そうやって 天は、黙って、私たちに 雨という恵みを与え続けてくれたんだなぁと、今になってようやく思う。

今まで、雨が降ってきて、ありがとう と 感謝したことなんて一度もなかった。

一度も感謝しないのに、天は、私が植えた苗にも、雨を届けてくれている。

本当にいつも ありがとう。

おしゃべりな空

昨日の空。

あっ おとといだ。

朝から、空を見上げて、ドキン。とした。

なんだか、いろんな雲があって、面白い空だなぁと おもった。

この日は、一日中、こんな空だった。

畑に行くと、いつも空が、私に何か、言っているような気がする。

この間は、太陽に、大きな虹の輪ができていて、それを見つけたのも、畑で、

この日も、なんだか 上から、私に、アピールしている気がして、写真を撮った。

なにを話しかけてくれていたんだろう・・・・。

天の神様 ありがとう

私は、雨は、嫌いでした。

でも、今、畑に、苗や種を植えていて、

毎日畑にいって水をまくのが、日課です。

雨が、待ち遠しかった。



今、雨が降っています。

しとしと・・・・ざあざあ・・・

雨の音が、こんなに嬉しく思うのは、初めてです。

天の神様 ありがとう 

どうしたんだろ・・・?

最近 思ったことが、すぐ 口からでる。

ありがとう とか たのしかったとか 

こうしたいとか 

今までは、言葉にするまでに、いろいろ いろいろ

考えていることが多かったり、

はずかしかしくて いえないなぁとか

なにか、壁のようなものが あった。


それが、その壁が ない。

何がきっかけで、なくなったか、分からないが、

言った後に、素直に言葉に出していることに 自分で驚いている。


今日も、潮干狩りに行って、温泉に行って帰ってきたが、

「あ〜〜〜楽しかった。今日も楽しい1日だった。ありがとう。」と、いっていた。私が。

すると、主人が、とっても 嬉しそうな顔をして、

「それは よかった」と、いった。


今までも、「楽しかった」ということはあっても、「楽しかった。ありがとう」まで、いったことって、あったっけ?

勇気を出して、いおう と思ったわけでもなく、自然と、口からでた。

なんでだろ?

どうしたんだろ?私。

【メッセージ】

あなたのところに メッセージが来るよ
それは あなたを 幸せにするメッセージ

メッセージを伝えてくれるのは あなたの周りのすべてのものだよ

あなたに優しく 伝えてくれる場合もあるし
あなたに厳しく 伝えてくれるときもある

何かをなくしたときも メッセージ
何か 困ったことが起こるのも メッセージ

今日 あなたが見たものが メッセージ
今日 あなたが聞いた音も メッセージ

もしも なにか 選択を間違ったとしても
もしも ちょっと 違う道を歩いていたとしても

そのときも メッセージをくれるから
だから 大丈夫だよ

あれは メッセージだったんだって 分かるために
違う道を歩いたんだからね

あなたを ずっと 見守ってくれているんだね

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摩耶
京田辺在住です。

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