そのままで 生きなさい

【そのままの自分で 生きなさい】

娘がくれたメッセージ。同じ日に、別の方からも、同じメッセージを頂きました。


そうか、そうなのか

分かっているようで、行動できていないのは、私だったのか・・・・

と、思って、私が私のままで、自分が思っていることを、娘に伝えると、娘が変化しました。


メッセージが受け取れると、世界が変わるんですね。


靴を履き替えて、そのまま教室に入るので、ままは、振り返らずに帰って欲しいということでした。

靴箱までは、着いていくんですけど^^;


【自分のままで、良い】ということを、心の奥で受け取った気持ちです。

「本当のママって どんなママ?」

今朝 娘に聞いて見ました。

「本当のママって どんなママ?」

すると・・・

「かみさま」

と、いいました。


「・・・・・」


う〜〜〜ん  ちょっと 答えがずれている?

娘には、この質問 難しかったかな?

どう 答えていいかわからなかったのか????


娘が言った答えに、納得しない私が、そこにいました。


ということは、あらかじめ、私は答えを頭の中で想像していたと言うことになります。

そんなの おかしいね。



じゃぁ これが答えか?


「本当のママは かみさま」



じつは、私が、本当の自分で生きていないのではないか?と、おもったのは きっかけがあったことに気がつきました。


娘が、朝、教室の側までいって、私と離れがたくなるのですが、先生が来られたら、そこで、タッチ交代するということを、しているのですが、先生が来られても、なかなか、私から離れようとしないので、そこは、ちょっと、どうなのよと、思っているわたしがいるのです。

家から、集団登校を共にして、そして、教室の側まで行って、先生が来られるところまで、ついているのに・・・・

離れたら、なくんだけど、その後は、勉強もできているみたいだし、離れ際は、悲しくても、いつか、どこかで 踏ん切りをつけないといけなくて、

自分から、自然と離れるようになるまで、私がついている方がいいのだろうな・・・・と、思いながら、私の本当の心は、

「そこは、がんばって いかんかい!!先生が来られたら、よし 行こう!!と、切り替えてよ。」という 想いがふつふつと・・・・

娘を怒りたいわけではないけれど、気持ちを切り替えるきっかけを、私が、言葉で言ってもいいものか?

【どんな あなたでも 大好きなのよ ぐずぐずする あなたも すきだよ】

そういう思いもあるのですが、【しゃきっとしなさい!!】と思っているわたしもいます。

そんなことが あって 私は、「本当の自分で生きていないような・・・」気がしたのでした。



それでね。


そう感じて、その日の晩に、娘に、私が思っていることを、言ってみたのです。

「先生が来られてから、ぐずぐずしてたら、先生は、こまらはるやろ?寂しくなるのは 分かるけど いつはなれても さみしいんやから 一緒やん。」

「でも ないちゃうもん・・・・」


「ないちゃっても いいねん。泣くのは 我慢したらあかんねん。そんなん我慢したら病気になるから。だけど、離れよって 自分で決めな、あかんとおもうねん。そうおもわへん?」


娘は、「わかった そうする」 といって、その日の晩は眠りました。



次の日の朝、先生が来られて、娘は、私からすっと離れたのですが、そのときから、泣き始め、後から聞けば、1時間目と2時間目は、時々途中で泣いていたそうです。

しかし、それを 教えてくれた娘が、なんだか 明るい。

泣いてしまってん。 あっけらか〜〜〜んって感じでした。

それが 昨日の出来事。

そして、今朝、「本当のママって どんなママ?」と聞いてみたのです。



そしたらね。


今朝、学校についたら、

「うわぐつに はきかえるまでは いといてや。かばんを教室にいれるときに もう、そのまま 教室にはいるわ。そしたら 泣かへんし。」

というのです。

いつもは、一旦教室にかばんを置きに行って、また、出てきて、私にくっついていたのです。


驚きました。


自分で、踏ん切りをつけたではないですか!!


私が、本当に思っていることを娘に伝えたら、娘は、そのとおりに行動したのです。


娘は、このことを私に教えてくれるために このような行動を起こしていたのでしょうか?


【ママ 本音で生きなさい】


本音で生きる それが 自分を生きるということだと 分かっていながら できていない私がいたんです。


「本当のママは かみさま」


それは、【そのままで 生きなさい】と いうことなのだなぁと思いました。


本当の自分

なんだか、今日は、

自分が、本当の自分で生きていないような 気がしています。

なにが あった とかではないんです

なんか なんだろ 

なんでかな?


こうでなくてはならない 

こうあるべきだ


で 自分が 生きているような気がして

本当は 私は こんな私じゃない!!と

おもったのです。


私って なんでしょう。

なんだか、今日は、そんなことを 考えてます・・・。

キラキラ笑顔

素敵な笑顔に たくさん 出会う

そこに なんの思惑もない キラキラの 笑顔


自分が 気持ちよくて 自分が 楽しくて

その 心が 喜んでいるのが

自然と笑顔になっているようだった


その笑顔たちを みていると

こちらまで とっても うれしくなり

気持ちよくなるようだった


人の為に・・・喜んでもらえるように・・・・


そういう思いよりも


【あ〜〜気持ちいいなぁ〜〜】


が あふれている 笑顔は そこに なにも いらない物がくっついていない 笑顔だと思った


笑顔って いいなぁ

笑顔を くれた あなた 




    ありがとう




大阪城マラソン

3回目の挑戦の10キロマラソンでした。

普段の練習では、最近は、12,3キロを走っているので、10キロには慣れているはずが、

とてもしんどい10キロでした。


理由は・・・同じところを3周走るのです。

とっても 遅い私は、周回遅れで、抜かされるのです。

それが、とても、精神的ダメージを与えられるものだったのです。


早く走りたくても、走れないのです。

そういう人もいるのです。

もう、とっくにゴールをして、着替えまで済ませた人が、まだ走っている私をみて、

びっくりして、顔が止まってました。


その顔をみて 私は、とっても恥ずかしくなったのです。


そんな気持ちになるということは・・・・私は、今回、走るということを全く楽しんでいなかったことに気がつきました。

人と比べることばかりをしていました。

他の人と比べると、全く 楽しくない。


これは、同じ場所を3周走るということをしたから、感じられたことです。

貴重な体験でした。


同じ10キロ走るのでも、家の近くを走っているほうが、よっぽど楽しいのです。

誰とも、比べないからです。


普段の生活では、人と比べるということを、あまりしていないのだなぁと、思いました。


遅い自分を、「誰よりも長い時間 走ることを楽しめた」と、感じなかった所に、

本当は、もう少し、早く走りたいと思っている自分がいるんだと 気がつきました。

そして、早いのが良い 遅いのは悪い と、思っている私もいるような・・・・。


何のために走っているんだろう・・・と 思いながら走る10キロは、つらいものでした。

人生の中の、1時間半 もったいないことをしました。


これからは、楽しく走るを モットーに 走っていこうと、思ったのでした。















めがねの名前

こころって 態度に出るんですね。

態度や言葉って どんなに取り繕うとしても 

ごまかせないですね。


違和感を感じていたのは、そこだったんですね。


いつも 自分が正しいと 思っているんですね。

そんなに 負けたくないんですかね?

勝ち負けだと 思っているんですかね?

 
まずは 相手の話を そのまま そっくり 何色のめがねもかけないで、みてみることですよ。

ただそれだけを すればいいのですよ。

めがねをかけると ややこしいですよ。

まずは めがねをはずしてみてください。


めがねを かけていることは こちらからは 丸見えでね。

そんなのは、あなたに似合わない。

何にも かけない 綺麗なあなたの 裸眼でみてください。

そしたらね 

トマトの色が 何色か分かります。

赤だと思っていたトマトが 黄色だったりするんですよ。

何にも かけないで そのままで みてくださいね。


それからですよね。

それからが はじまりです。

そのめがね 【我】っていうんですかね?

15日のメッセージ

15日は、不思議なことに、【父】3人と会う日でした。

しかし、そのうちの、一人の父には、会えませんでした。



15日に お会いした人たちは、私に、

「自分の発言に責任を持つように」



教えてくれました。


ありがとうございます。


自分の行動 発言には 気をつけたいと思います。

走るときに、音楽を聴くか否か そのA  ここは、ホノルル?

イヤホンをセットして、走りはじめました。


・1曲目は、ドリカムの「その先へ」

(その先へ・・・・最近よく目にする言葉だ・・・と、思いながら、聞いていました。

・2曲目は、24時間テレビでおなじみの、「サライ」

   24時間マラソンを、自分が挑戦しているようだと、おもって、笑えました。

・3曲目は「負けないで」

  これも、24時間テレビで、走っている絵のバックに流れていることが多いですよね。


ここまでは、よかったんです。

走るときに、聴く曲だな。と、納得できたんです。

そしたら、4曲目に なんと 「また逢う日まで」が流れてきました。

尾崎紀世彦さんの曲です。イントロが流れた瞬間、爆笑してしまいました。このとき完全に、走っている私は、どこかに行ってました。この曲は、主人が大好きな曲で、昔カラオケでよく歌っていました。
お風呂でも、歌っているかな?とにかく、この曲といえば、主人なんです。

いくら好きだといっても、走るときに、この曲聞きたいか?と、思って、この曲の間中、はしっていることを忘れ、こみ上げる笑いを、こらえながら、すれ違うランナーの皆さんに、変に思われないように、必死でこらえました。

・5曲目は 美空ひばりの 「愛燦々」これは、私の母が好きな曲です。こうくるか・・・と、だんだん 私は、次は、どんな曲をいれているんだろう?と、期待しはじめました。

・6曲目は、NHKの大河ドラマ「天地人」のオープニングテーマ曲でした。
毎週楽しみにみているので、これを、入れたのか・・・と、思っていました。

そして、その次に 入っていた曲に、やられてしまったのです。


【 愛すべき〜〜人と出逢い 全てを失って〜〜 】

コブクロのSTAYという曲です。

聞いたことはあるような・・・・・程度ぐらいしか知らなかったのです。

この歌が、心に響いて・・・・もちろん、歌がすばらしい、声が素敵・・・なのですが、この曲を聴いて、主人の優しさを感じてしまったのです・・・・


あ〜〜〜私は いま ここで 走っている

どこも痛いところもなく

何の不足もなく 不満もなく

ただ 走るということを してもいいという幸せ

それを、陰で応援してくれている人がいる

私は いつも 応援してもらっているのだ

走ることだけじゃない

今までも ずっと ずっと 前から、そうだったのだ



そのような 想いが 駆け巡り、つい3曲前までは、笑いをこらえて走っていた私が、

今度は、泣けて 泣けて 涙を拭いながら 走ることをしていました。



あ〜〜〜私 ホノルルマラソンに行きたいって言ってよかった・・・・

7年前の私が、そう、思いついて、ほんと よかった・・・・

今日のこの感動のために、そういったのかもしれない・・・





もう、ホノルルで走っているかのような 感動を 味わってしまいました。

地元の堤防で。


邪道だと思っていた、走る際の音楽鑑賞。

しかし、ここまで感動してしまっては、肯定するしかあるまい。

これは、走っているときに聞いたからこそ、感動したのです。

音楽って、最高!!!

聞きながらでも、いろいろ感じられることは、あるのです。

訂正いたします。


最後の曲は、任侠ヘルパーという、ドラマの主題歌でした。

結構、この曲、走るのにあっていました。



初めての、2時間ランニング。

初めての割には、曲を聴きながら、笑ったり、泣いたり忙しかったので、長く感じませんでした。


そして、今日、2時間ランニングの際、音楽持参で、走りに行ったのでした。

自分の意思で、持参しました(^^;



私は、これからも 走るときには 音楽を聴きます!!











走るときに、音楽を聴くか否か

邪道だと思っていたんです。

走る最中に、音楽を聴くというのは。


自然の音を聴けば良い。

自分の呼吸音

大地を蹴る音

草が風に揺れる音

鳥や虫の発する音


そして、自分自身から出てくる声

走っているときに、ふと思うこと。


そういうものを、感じるには、音楽を耳から入れていては、感じられないと思っていました。


最近娘のお気に入りの曲は、ドリカムの、「その先へ」

その曲が聞きたい!というと、主人が、あるよ。といって、マッチ箱みたいな小さい箱から、イヤホンが伸びているものを持ってきました。

「これ何?」

「これな、ここに、曲が入れられるねん。」

「いくらしたん?」

「900円やで 2個買ってん。走るときに聞けるから、ママのとパパの2個」

「・・・・・・」

主人は、夏前から、毎日、昼休みにジョギングをしているのですが、2キロくらいしか走っていないのに、なんで、曲を聞こうと思うのか?

こういう機械もの?が、すきなのです。

内心(私は、走るとき、聞かへんで、そんなん邪道やん・・・・)と、思ってました。



そして、昨日、ホノルルに向けてトレーニング中の私は、人生初めての2時間ランニングに挑戦することにしていました。

主人と娘は、お出かけ。

娘たちが出るときに、私も出発しようと思っていました。

すると、出かけるとき、主人が、私の椅子の上に、マッチ箱のような例の音楽を聴くのを、置いていました。

そして、「再生ボタンを長押ししたら、電源が入るし、切るときも同じやし、もし、聞くんやったら、使って」と、言い残し、出かけていきました。

(聞かへんって・・・・・)

と、思っていましたが、わざわざ、私の椅子の上においてくれたので、まあ、一度くらいは、聞いてあげましょうか。

そう、思って、人生初、2時間ランニングを、スタートしたのでした。


それが、私を、とんでもないところに連れて行ってくれることになるのでした・・・・


つづく



寸分たがわず

おまかせ

自分にお任せ

流れにお任せ

感覚にお任せ

直感にお任せ


すると・・・・


なんでも ぴったり くるね

おもしろいね


だれが お知らせくれてるんだろうね

あっ 自分か (^ー^* )♪

 そこにいるのは・・・・


  そこにいるのは だれだ

抱きしめあう


  大好きな人を 抱きしめてください

覚悟

あなた 覚悟 できていますか?

自分が 自分を 生きる覚悟。

幸せになる覚悟。

覚悟ができていないと 自分を生きられないよ。

他の誰でもない 自分を生きる覚悟を しっかり 決めてください。

心根

木は、地中に根を張り、そして、目に見える木は、その根を支えに空に向かって伸びている。

見た目は立派でも、根がしっかりはっていないと、そのうち、倒れてしまう。

人間にとって、その根っことは 心。

心をしっかりと、太く強いものにする。

その心がしっかりしていれば、少々の風が吹いても、倒れはしない。

心根をしっかり持って、生きていこう。

10月は、心を強化する月。

11月に入るまでに、自分の心をみてみよう。

しっかり、根がはっているかな?

目には見えない根が、一番大切ですよ。

いろんな色が 10人集まる。

10人は、同じ目的を持っているが、同じ仕事をするのではない。

それぞれ、自分の役割を こなすのです。

リーダーは 赤。

赤は、みんなに 仕事をふってください。

赤は、人に任せることを 覚えてください。

人を 信頼してください。

ひとりひとりが 精一杯 役割を果たせるように

采配するのです。

それが 赤の仕事です。

融合

南のものが 北のものを使って

真ん中であわさる

大地からのエネルギーを 体に取り入れる


北からの贈り物

南のものは伝達者

仲直り♪

仲直りっていいですね。

けんかをする前よりも、なんだか、いい気持ちになりますね。

この、仲直りのいい気持ちって けんかをしないと、味わえないんですよね。

家事をするときの、すっきり感に似てるかな?

洗うお皿が、山のようにあって、全部綺麗に片付けたときの、あの すっきり感。

このすっきり、気持ちいい感を味わうために、家事ってあるんだなぁとおもいます。


昨日は、台風が近づいていて、風が強かったです。

私は、ごはんを炊いていました。

鍋で炊いていて、最近、ガスコンロに、ご飯を炊く機能がついていることを発見し、今までは、火加減調節を自分でしていたんですけど、その、ボタンを押すと、炊き上がりまで、ほったらかしで、最後は、火も消えてくれるんです。

その機能を試してみたとき、すごくびっくりして、主人に話したんですよ。

最近の話です。

「そのままにしていたら、ご飯が炊けるねんで〜〜〜」

主人は確かにそのとき返事をしていました。


そして、昨日、夕方ごはんを炊いていて、そして、主人が帰ってきて、外回りの台風対策を、してくれていて、私も、外に出て、一緒にしていたんです。

主人が一足早く部屋にはいって、私が、外から帰ったとき、

「鍋、ふいてたから、火弱めたで」と、いいながら、蓋もあけているではありませんか!!

その言い方は、(火をつけてるの忘れたやろ)というニュアンスが入ったものでした。

私は、その言葉をきくやいなや

「とめたらあかんやん。ご飯炊いてるのに!!」というと、

「そんなんごはんってしらんやん」と言ったので、

「ランプついてるやんか!みたらわかるやん!この前、ゆうたやろ!!」と、

ぽぽぽ〜〜んと、言い合いをしたのでした。

普段、こんなに、ぽぽぽ〜〜んと 言葉を交わすことがないので、こんなに早く、切り替えしてお互い言葉がかわせるんや・・・・と、思いました。

(以前は、主人は私に言い返さなかったので、言い合いができなかったですね)

すると、寝ていた娘が、急にぐずりだし、主人は、娘のところに行きました。

私は、(お〜〜〜久しぶりに、イラッときたなぁ。)

(外は台風だけど、うちの家の中も、瞬間風速すごかったんちゃう?)と思いながら、

主人に対しては、

「私の話を、いつも いい加減に聞いてるからわからんのや!!」とか、思っていました。

でも、私は、普段から、物忘れが多いので、主人が、また、火をかけたまま忘れてる と 思ったとしても、うなづけるのです実は。

私は、主人が火を弱めたのを、観た瞬間に、

「よわめたらあかんやん!」という言葉が出るんだろう?

「それ、ご飯炊いてたし、そのままにしてくれたらよかってんで」と、普通にいえばいいのです。

でも、イラッとして、(もう!!)と。主人が、いらんことした!! と、瞬間に思っているのです。

あ〜〜〜まだ、こんなところにいるのね。私・・・。

と、思いながらも、素直にごめんねもいえない・・・・。

娘が、また眠りに入って、主人が娘から離れると、主人はパソコンに向かっている私のところに来て、

「まま ごめんな。」といいました。

(やられた!!)

瞬間そう思いました。

主人のほうが、上をいっている・・・・。

ごめんねがいえるなんて・・・・・。

私もすかさず、

「ごめんな。きつくいって」といえました。

「吹いているのをみたら、とっさにやっぱり、鍋の蓋をあけてしまうねん」と、主人はいいました。

そりゃ そうだ。

ごめんな。を、言い合って、なんだか、いい気持ちになりました。

嵐の後の空が、今までの空と違い、とても澄んだ青になるように、

家の中の嵐も、過ぎ去り、快晴となったのでした。

赤子泣いても蓋とるな といわれますが、ごはんは、少し硬かったものの、炊けていました。

なんだか、今までで、一番おいしく炊けたような気さえしてきました。

けんかって いいもんだなぁ 仲直りするために喧嘩するのか・・・

今までもよくなるために 喧嘩して、仲直りするんだなぁ・・・と、

思いました。



ページェント

屋根の下の 鳩と 牛たち

みんな赤ちゃん まってるよ


屋根の下の 鳩と 牛たち

イエス様誕生 うれしいな

いまは、十がつです

九がつは すぎました

手作りの味のありがたさ

母の手作りの料理を食べて育ちました。

それがあたりまえでした。


私が結婚して、料理をするようになると、私が作ったものを母が食べることもあります。


私が、中学生になる頃、父と母は離婚をしたので、私が作った料理を父が口にするということはありませんでした。

先日、娘の運動会で、父が来ました。

義父 父 母 主人と私 大人5人分のお弁当を作りました。

「おいしい おいしい」と、口に出して言ってくれたのは、父でした。

その夜、電話がかかってきて、

「娘が作ったお弁当を食べたのは、初めてだったので、涙が出そうだった」と、いいました。

私は、初めてだったのか・・・と、今まで、そのことに気付きませんでした。

私の料理を、普段食べている人と、初めて食べた人とでは、感激度がちがうなぁと、思いました。

ありがたいことも あたりまえになれば、感謝の気持ちも薄れていくんだなぁと、父を通して感じました。

手作りのものを、口にできるということが、ありがたい幸せだと、心から思っていただろうか?と、反省させられました。

母が今まで作ってくれていたものも、あたりまえのように食べていたけど、食べられない人もいるんだなぁと、思いました。

幸せすぎて、そのことを ありがたいと思っていない。

父は、そのことを教えに来てくれたようでした。

物事には、裏と表があるのです

右と左

上と下

陰と陽

男と女

善と悪

すべて すべて そうなのです

なのに 

どちらかだけを みていませんか?

自分が 表だと思うほうばかりみていると

大事なものがみつけられないよ

自分がすすむ方向を見失うよ

裏をみよう

裏もあるんだよ

裏も表もあって ようやく 全体を見渡すことができるね

もっと できたな・・・・

自分の周りにできた人がいると、自分が常に怠けているようにかんじてつらいときがある。

そこに、他人と自分を比べている自分がいる。

そこで、気付くのは、自分が、今日できることを、精一杯やってきたか?ということだ。

みな、ひとりひとり違うので、同じことを、同じだけすることなんて難しい。

でも、自分がやりたいことを、精一杯やったのなら、それでいい。

その日、例えば、歩きたかったのなら、歩けばいい。

その日、例えば、片付けたかったのなら 片付ければいい。

その日、例えば、1日何もしなくて、ゆっくりしたいなら、ゆっくりすればいい。

自分に正直に 自分がやりたいことを やれているかどうか?を、考えるように、したいと思う。


もっと できたな・・・・と、かんじるということは、もっと できたんでしょう。

周波数をあわせる

いいことのみ、意識を向けると いいことしか 起こりえない。

それを、周波数を合わせる とか、言うみたいだけど、もひとつピンとこなかった。

ピンと来なかったが、いいことのみ 意識を向けると、本当に、そのとおりになるという体験は、ここ最近しょっちゅう起こるので、実感はしていた。

それが、周波数を合わせるということだったのだ。と、さっき思った。


ラジオの周波数のように、あるところに合わせると、その周波数の音が聞こえるが、違う周波数にあわせると、さっきまで聞こえていた音は、全く聞こえなくなる。

存在しないのではなく、自分の目の前に現れないだけで、存在はしているのである。

この周波数は、ラジオの周波数を合わせるのより簡単で、自分にとって、都合のいいように、あわせられるので、どこだったかなぁと、探す必要がない。

なんて、簡単なんだ!!

機械がいらないのもいい。

自分が、受信機です。





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摩耶
京田辺在住です。

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