偶然?必然?

昨日は 面白いことがありました。

私と主人が別々の用事があり、娘を私の母にあずけて、それぞれに出かけました。

夜 外で食事をするという それぞれの用事。

こんなこと 今までありません。

どちらかが・・・というのは ありますが 同じ日に二人ともというのが 初めてでした。

それだけではないのです。

私たちが 行った場所が、とても近くだったのです。

江坂と西中島南方というところ 駅で二駅しか違わなかったのです。

大阪に食事に行くこと自体 殆どありません。

それが 同じ日に 同じような場所に・・・・。

いつもなら お互いどちらかが そのような用事が入れば 片方は娘を家で見るのですから、一緒に出かけるということはないのですが、昨日は 札幌から、来てくださった方にどうしてもお会いしたかったので 主人の用事が入っていたのですが、私も出かけたくて、母に託児を頼んだのでした。

同じような場所に行きましたが 主人は終電で帰りつき、私は終電に乗り遅れるというオチがありました^^;

終電に間に合うように 調べていき、予定の時間よりも早く電車に乗ったので、余裕だなと安心しきっていたのですが、その電車、準急だったようで、乗換え先で もう電車がありませんでした・・・・・。

これも 必然?


昨日は、また一つ 私の夢が叶いました。

石黒由佳先生を自宅にお招きして講演会を開くことができました。

いろんな角度から 病気を見ていく子供を見ていく物事を見ていくということを教わりました。

印象に残った言葉は、「病気を通して、親子の絆を深めている」 ということでした。

その言葉で、昨夜の娘のカイカイして〜〜〜に対する私の気持ちも、なんとも穏やかで(穏やかではないときがあります^^;)すると、娘が発する「かいて!なでて!」の言葉の中にも、イライラ感がないような気がしました。

私の手で、かいてもらったり なでてもらったりすることで、娘がこんなにも気持ちがよくなる。

何かを塗ったりしなくても 手が一番いいといいます。

私に、手があってよかったなぁとおもいました。

そして、昨日は、そんな私は、手がないときがあったのかもしれないなぁと思いました。

常日頃、よく思うのが、指って5本あってよかったなぁとか 手があるからこれができるなぁとか そんなことを思うときがあるのです。

指が5本ない人も、手がない人も なくてもすごいことをされている人もいますが、私は、自分の手で、何かをするとき、よくそのようなことをおもっているので、昨日は、

「私 もしかして 手がないときがあったのかもしれないなぁ・・・・」と考えました。

だから、今回は、私の手が大活躍するようになってるんじゃないか?と思いました。


それで、初めて自分の手をなでました。

「ありがとう ありがとう 娘の体を この手が癒してくれるんだね〜〜〜」

カサカサになったときなど、手にクリームを塗るときがありますが、カサカサを潤すために塗るという感じで、そこにあまり感謝の気持ちを込めていません^^;

けれど、昨日は、石黒先生のお話から 心をこめて自分の手をなでるというところに行き着きました。

娘が かゆいというので、私は娘の体に毎日触れています。

でも もしかゆがらない子だったら、触ることあったかな?と思うときがあります。


今回 私に手を与えていただいたので、おおいに活躍してもらいたいと思いました。



昨日は 二人に握手を求められました。

握手も手でしますね。

手って すごいですね。


今日は この手で 何をしようかな?

100歳

今日 23日は 義母の月命日でお墓の掃除に行きました。

娘を学校まで迎えにいって、そのままお墓へいきました。

朝から行こうかな?でも 娘を連れて行こう

そう思って 夕方に行きました。

すると、お墓の溝に透明のフィルムに黒のマジックで書かれた文字を見つけました。

「101歳で亡くなりました。これまでによかったことが4つあります。

@生きる目標をもって生きられたこと。スキーをすべるということ。

A・・・・・」

この文字を見るために今日の夕方に来たのだな と思いました。

【生きる目標をもって 生きられた。】

私は目標に向かって生きてるだろうか?とおもいました。


そして、同じ日の夜 7時半から 近くのお寺にお参りをする日でした。

お地蔵さんの日といって 毎月23日に 檀家さんが集まっています。

今までは義父が 行っていましたが、今日から 私がいくことになりました。

そこでの話も 100を超えている人の話でした。

100歳まで 生きられるとして あと60年。

60年間 やり続けたいことって なんでしょう?



ゴミを拾いながら考えたこと

ゴミを拾おうと思って 家を出て 大きなゴミ袋二つ持って歩いて、500メートルも行かない間に、そのゴミ袋がいっぱいになるところにすんでいるんだなぁ・・・・

ゴミを拾うのに うってつけの環境だ。

どんな環境?

綺麗なところにお住まいの方にとっては、ゴミを拾おうと思っても、ゴミが落ちているところを探したり その場所まで 時間をかけて出向く必要がある。

その点、私は、歩いてすぐのところに 人がたくさんゴミを放置している場所がある。

どうもありがとう

私がゴミを拾うために ここに捨ててくれているのか?

ゴミの中に住所が書いてあるものがあり、見てみると、ここからずいぶんと離れた場所の住所であった。

どうやってここまできたんやろ?


ゴミを拾いながら 最近 ゴミ箱に入れられて窒息死した子供のことを考えた。

なにをすんねん。

12年くらいの刑らしい。

12年したら もう いいのか?

私は常々考えていることがある。

同じ体験をさせればいいのに。

12年後に同じ目にあわせます。

ということにするのだ。

だれが それをするのか?不可能だ。

電子レンジに入れてスイッチを押したというではないか。

体の中は どうなっただろう。

どうして そういうところに 生まれていったのか その子は。

うちに来てくれれば そこで暮らすよりよかったはずなのに・・・・。


と ここまで考えて ふと思った。

 
もしかして 私も、そんなひどいことをしてきたことがあるのかもしれないなぁ・・・・


ひどいことを いくつもいくつも してきたのに 毎回生まれるたびに そんなことはなかったことのようにして、そして、今の人生を生きているのか。

忘れるようにしてくれているのか。


亡くなった子は ものすごくひどいことをしてきて その仕返しを今回されたのか?今回の加害者は 以前の被害者か?

そんなことを 考えたら やられたら やり返すじゃ 意味ないなぁと 思った。

みんな 今回の人生 自分で決めてきたというけど こんな事件も 自分たちで決めてきたことなんだろうか?


ということは 私が ゴミを拾うおうと おもうから ゴミを捨てる人がいるのか?

???と ぐるぐる ぐるぐる

ゴミ袋は すぐ いっぱいになりました。

みんな大事

人それぞれ 笑いのツボが違う

今日は 吉本新喜劇のチケットが当たったので、娘をはじめて連れて行った。

漫才 わかるかなぁ?と 思っていた。

テレビのお笑い芸人が出ている番組は みて 笑っているときがある。

大丈夫かな?


面白かったのが 大人と子供では、笑いのツボが全く違うということだ。

大人が 「どこがおもしろいねん」と突っ込みたくなるようなコンビのネタを子供が大笑いしている。

周りを見てみると 子供達の笑い声だけが聞こえる。

娘にいたっては、

「もう一回みたい もう一回今の人 みたい」というぐらい気に入った。

テレビでは見たことないような売れていない芸人さんである。

すべてが終わっても

「もう一回みたい!」という娘。


「チケットがいるから またチケットとらなあかんから 今日はもうおわり」 と なだめてかえる。

全く売れていない芸人さんも 客の心をしっかりとつかんでいる。

笑いのツボは人それぞれ

ある人にとっては よくても

またある人にとっては うけない


しかし うちの家にとってみれば 娘が懇願するので また その芸人さんが出るときを狙って足を運ぶことになる。

売れていない芸人さん

しっかり 仕事しています。



一瞬の塊

私たちが生きているのなんて ほんの一瞬。

さなぎから蝶になるのも一瞬。

シャーベットが溶けてしまうのも一瞬。

ラーメンが 食べごろをすぎるのも ほんの一瞬。

その一瞬の塊。

一瞬の間に いろいろあっても ほんの一瞬だよ。

あっという間に おわるね。

食べごろ。

琺瑯

変わりたいと思ったら 自分の中に 今までと違う何かを入れることをしないと 変われない

変わりたいといいながら 自分の表面にガラスコーティングしている人いませんか?

綺麗にガラスコーティングしてあって、外からのものを受け付けない。

いつまでも 元の綺麗さを保てて良いですね。

変わらぬ美しさをキープしたいのなら 琺瑯をお勧めします。


味わい深く 年を重ねるごとに なじむ そんな自分になりたいなら 外からの刺激を受けて、しみや汚れがついて、色も変わっていくことができる 素材が良いかもね。


琺瑯は 傷がつくと弱いんです。そこからさびてきちゃう。

でも 木は傷がついても 傷がついたというだけ。そこから錆びるということはない。


傷も汚れもしみも 味にできる 木みたいな 心 のほうが 結局強いのかもね。









一つだけから はじめる

忙しいからできませんでした。


道を歩いているのに ゴミを拾わないのは 忙しいからできないのではなく

拾う気がないだけの話です。


見えないときもありますね。ゴミが。

そこにあるのに見えていない。


一つのゴミを拾うのに 何十分もかからない。ほんの 1秒です。

きっと あなたは ものすごくたくさんのゴミを拾ってくれようとしているのですね。

いいんです いいんです。

一つでいいんです。

目の前に10個のごみがあっても 両手に一つずつで良いですよ。

かばんを持っていたら 片手で一つで いいですよ。




できない理由は ただひとつ その気がないのです。

なのに 「○○だから・・・」  別の理由を持ってこようとする。

別の理由は ないんですよね。

 
気 だけ。


この世界のゴミをすべて拾うことを考えているあなた。目の前のゴミを一つだけ拾いませんか?

無理をしなくて良いですよ。

毎日1つでいいんです。

一週間で7つです。


この 【ゴミ拾い】 の部分を いろんな 言葉に代えれるなぁと おもったんですよね。

何かができないと おもっているあなた。

目の前の何かを一つだけ するだけにしてください。


ろうそくをね。

灯すまえと 灯した後は 激変の明るさです。世界が変わります。

それを 二つにしたとき、明るさが2倍になったと かんじなかった。


今 そのことを 思い出しました。


あなたが そこにいてくれて ありがとう

そこにいてくれて ありがとう

わたしのことを みていてくれてありがとう


あなたが その場所にいてくれてありがとう

その場所から わたしを みていてくれてありがとう


違う場所に いきたいかもしれないのに

違う場所に いかずに 

私に 気付きを与えてくれるために

あなたは そこにいてくれるんだね


絶妙な 場所に いてくれるんだと思ったよ

ありがたい 本当に ありがたい


ひとり ひとりが 違う色で 違う花で 違う香りで 違う場所で

その場所で 光り輝いている 

 
みんな 輝いている 

その場所で 


同じ色でなくてよかった 

同じ花でなくてよかった

同じ香りでなくてよかった

同じ場所でなくてよかった


ありがとう ほんとうに ありがとう

こころから 感謝します

そういうことか

去年の暮れに こんなメッセージがやってきた。と 私は感じていた。

「1月は 家族 友達 と 会って 絆を深めましょう」

私は お正月だし 親戚も集まるし親しくなれるなぁと 思った。

友人に関しては、 年賀状などで 近況報告などもして、「また会おうね。」という、一言が多く、また1年会わなかった・・・・という繰り返しだが、今回は、早速 日にちを決めて友達と会うことにしたり、いつもより 意識して、人と会う段取りをした。

たくさん 人と会って、2月はどうなるんだろう?と 思っていたら、1月に会って親しくなったのを土台として、2月は、さらに親しくなるような関係になっていっている。

これは 1月がなければ ありえない2月の状態なのだ。

そういうことだったのね・・・・と 今 かんじている。

『ぞう と あり』

道を歩いていました。

道は とっても でこぼこしています。

でこぼこというより 小さい山を いくつも越えて歩いていかなければならないようです。

上り下り 上り下り 繰り返しています。

毎日 歩いているけれど、なかなか進めない。

私は あり だと思いました。


同じ道を ぞう があるくと どうでしょう?

山?どこにある?

ぞう にとっては 平坦な道です。

それも1歩で進めます。


ありが 何日も 歩いてきた道を 数歩で 追い越すでしょう。


私は ぞう だわ  という人もいるでしょうね。



ありは でこぼこ道を 一生懸命歩きながら 象には みえない ものが 見えているのです

そして 時には ぞうの足によじ登って ぞうの速さで 移動することもできます。


ぞうは ありのようには なれないですね。


ありも 結構 わるくない。

そんな気がしました。





窯開き

今日は いい天気になったので ピザ窯の 窯開きを行った。

ピザ窯は 以前から作りたいなぁと思って、作り方などを調べていたが、なかなか難しいみたいで、どうしようかな?と 思っていたら、あるところで、ドラム缶のピザ窯をみた。

たまたま主人も一緒のときに 見たので、これいいなぁと 共通イメージができた。


そして、知り合いがゴミ処理場に勤めているので、廃棄ででたドラム缶を譲ってもらう段取りをしてくれていた。


そして、先日、私が、日にちを決めた。

「2月に ドラム缶の窯でピザを作りたいから、1月中にピザ窯を作ってくれない?」

ということで、到達ポイントを設定すると、周囲が動いてくれるという、魔法を使うことができる最近の私。


完成しましたドラム缶ピザ釜。

厨房器具の中古品を販売しているお店で、どんぴしゃの鉄板をみつけ、準備万端。

あとは燃やすもの。

庭の横には、隣の家の畑があり、畑には カラカラに乾燥した、唐辛子の枝が山済み。

燃やして良いですか?と 畑のおじさんにきいてみると どうぞどうぞ ということで、いただけた。

といっても はじめの着火に適しているような木で、しっかり燃やすための木はない。

木といえば 工務店。工務店さんに電話した。

家を作ってもらったときに、木をどんどん燃やしておられたので、少し分けていただけないかといってみたら、次の日届けてくださった。ありがたい。

ここでも魔法の力発揮か?

ということで、窯と木も用意ができて、今日に至ったのである。


着火方法は スチールウールと角型電池。

これで、あっという間に着く。

新聞紙と唐辛子の枝で、どんどん火が大きくなる。


木をくべて、5分ほどで、ピザは焼けた。早い。

そして、うまい。


電子レンジで焼くよりも、ふわふわに出来上がった。


あ〜〜久しぶりにこのにおい やっぱりいいなぁ・・・・


火をたくにおいというのか なんだか 好きなんだなこのにおい。

バーベキューをしようとなると、なんだか 準備が たいそうなイメージがあるのだが、このドラム缶ピザ窯は お手軽簡単に火を起こして、食べるものが作れるというかんじだ。

これから休みの日の昼は、ピザでも良いなぁと 思うくらいである。



半年ほど前だったか・・・・

娘が急にこんなことを言い出した。

イタリアに この3人で住んでいたらしい。

そして、そのとき私はピザを焼く人だったみたいで、そのときも主人と娘の3人で暮らしていたそうな。


また 同じことしてるのね。私たち。












かみさまに いってんの?

以前 こんなことを聞いたことがある。

1日のなかで 感謝することが、100個あるんだそうな。

だから、眠る前、今日一日生きてこられたことに対する感謝を100個言ってから寝るようにすればいい。

私は、そのことをきいてから、まず布団に入ると、感謝のことばを言うようにしている。

でも100個思いつかない。思いついてもせいぜい10個 いくかいかないか である。

それくらい 私は 意識していないところで みなさまの ちからを借りて生きさせてもらっていて、それすら、言葉にできないところにいる。


「今日も お布団で寝ることができて ありがとうございます。」

「となりに 娘がいてくれて ありがとうございます」

「どこも 痛くなくて ありがとうございます」

「今日 ○○に無事にいけて ありがとうございます」

「だれも 怪我をしなくて ありがとうございます」

「ごはんを食べることができて ありがとうございます」


そのようなことを いっていた。


昨夜は、はじめて


ありがとうございます

ごめんなさい

ゆるしてください

かんしゃしています

あいしています


と いってみた。


すると 娘が 

「なに? なんて? だれにいってるん?」

といったので 

「のんちゃんに あいしていますって いってんねん」といったら、

「かみさまやろ?かみさまに いってるんやろ?」といった。

私は かみさまに いう という 気持ちではなかったので そうか この言葉 かみさまに届いている言葉なのか・・・と 教えられた。

「なんで かみさま って おもったん?」というと、

「だって いつも ありがとうございます って いってるやん」と。

いつもの ありがとうございます も 神様にいってたんか・・・私。と教えられる。


かみさまに いってたこと 初めて知りました。






記念日

今日 2月11日は記念日になりました。

弟の第2子が誕生。

初めての男の子です。

弟は私と二つ違いで38歳。

弟が生まれてから、女ばかりが生まれていて、うちは父と一緒に生活する時間が短かったですので、家は 母 私 妹 とその中に 弟が男一人で過ごしていました。

そして、私の娘 弟の娘 妹の娘と 女ばかりが生まれていまして、38年ぶりに男の子がやってきた。という感じです。

弟が 男の子の親になったというのがとても嬉しく、弟もはじめての男友達ができたというかんじだ。と言っていました。


そして、同じ日。

実家を買ってくれる方との契約を交わす日だったのです。


2月11日 建国記念日。

めでたいことが重なりました。

私たち家族にとって忘れられない日となりました。

陣痛の苦しみ

今苦しい人 

その人は 今 生まれる少し手前なのかもしれません。

そう 陣痛が始まった状態。

産む方ではありません。

生まれるほうです。赤ちゃんの方です。


今までは ぬくぬくと お腹の中で過ごしてきたけれど、あるとき 生まれでなければいけません。

狭い 狭い ところを通ります。

息は できるようになっているのが不思議。


苦しい最中は、なぜ 苦しまなければいけないのか?と 思うかもしれません。

でも それは 誰にでも起こることで、そして、その苦しみは 必ず おわり、今までとは 全く違う 考えられない世界で 生きることになるのです。


今 苦しんでいる あなた 

自分が 生まれるその瞬間を 楽しみに 待っていてくださいね。

苦しすぎるなら 

もう すぐそこに 新しい世界が近づいてきているということです。

必ず おわります。

今の苦しみ。

私たちは そうやって生まれてきたのですから。

小さな紳士

毎朝 娘は学校にお茶を持っていきます。

私が、お茶を水筒にいれて、かばんに入れようとしたとき、

かばんの奥から、給食当番のエプロン袋がでてきました。

「うわ〜〜〜〜〜 今回洗濯当番だったんか!!出してくれへんかったら わからへんやん」と 朝から大慌て。

そのとき朝の7時20分。

娘は40分に家を出ます。

急いで手洗をして、アイロンで乾かしますが、間に合いません。

休み時間に届けることにしました。

2時間目と3時間目の休み時間は20分あり、その時に持っていこうと思いました。

そして、学校に到着して、娘の教室の方に向かうと、娘のクラスの男の子が、走って出てきました。

3時間目が 体育だったようで、誰よりも早く着替えて、たくさん外で遊ぼうと ダッシュでグランドに向かってきたのです。

すると そこに私がいて、給食袋を持っているのを見て、何も言わずに、それを 受け取り、そして、ぱ〜〜〜〜っと 走って、教室に戻って、娘に渡してくれたのです。

その行動の すばやいこと

言葉は なしです。

私の顔を 覚えてくれているのにも驚きました。

私は、その子の名前を知らないのです。

娘は、11月まで、学校に行きにくくて、私が、教室の手前まで、毎日ずっと ついていっていたので、私が娘の母親だというのを 覚えていてくれたのかもしれません。

私は ものすごく 感動しました。


すごいなぁ なんで そんなことができるんやろ?

娘が反対の立場やったら、そんなんしなさそうやな・・・・

どんな教育したはんのやろ?

気が利くなぁ・・・・


そして、学校が終わって 娘を迎えにいったとき、

「あの子は なんていう名前や?ちゃんとお礼いったか?」というと、お礼は言っていないといいました。


「なんで あんなことが できるとおもう?」というと、

「はしりはやいし」と娘。

「ちがうやろ?走るのが早いから できることと違うで」というと、

「やさしいから」といいなおしました。



私は、「お礼は いわなあかんな。おうち帰ったら 電話しよう」といって家に帰りました。


夕飯を済ませて、電話してみました。

すると、留守電だったので、メッセージに、名前だけを入れて、切りました。

そしたら、5分もたたないうちに電話がかかってきました。


私が、お礼を言いたくて 電話をかけたこと。

息子さんの行動を お母さんにお知らせし、そして、感動したことを伝えました。

子供さんにも代わってもらって お礼を述べ、娘にも代わって、お礼を言わせました。

娘も ちゃんと お礼がいえました。

男の子のおかあさんは、息子が悪いことをしたので、電話がかかってきたと 思っておられたようで、今回のようなことをしたということが信じられないようで 驚いておられました。

でも 事実なので、そのように伝えました。

「嬉しいです。ありがとうございます。今後もよろしくお願いします。」と いわれて、私も嬉しくなりました。

電話を切って、

「のんちゃんも 反対の立場やったら、届けてあげや」というと、

「そんなん 忘れる人 他にいいひんもん」

「・・・・・・」

オチがありました^^;


忘れることをしたおかげで、うれしいという気持ちが あちこちで起こったわけですから、

「給食袋 忘れてよかったな」と いって 終わりました。


小さい紳士 

かっこよかったです!!!


引き寄せた?

12月に ハワイから帰ってきて、次に行きたいのはどこだろう?と 思っていたら、昔、中国の綺麗な湖みたいなところに 行ってみたいと思っていたんだ。と 思い出した。

思い出したのが先だったか、テレビで、その場所の特集がやっていた。

「そうそう ここ ここ ここに行きたいと 昔 思ってたんだよね〜〜」

今すぐ行きたいわけではなく いつか 行ってみたい。と 思っていた。

そして、改めてその場所がどこかのかを 調べる。

「九寨溝 きゅうさいこう?」

そういう名前だったんだなぁと 思う。


そして、1月10日。大山崎の大好きな雑貨屋さんで、「九寨溝」のCDを発見。

それ以来、台所仕事をするときに必ず聴いている。

台所とリビングを扉で仕切っており、台所は暖房をつけていないので、いつも寒い。

なので、さっさと 台所仕事を終わらせよう!というかんじで、動いていたのに、九寨溝のCDを聴けるようになってから、寒いのなんて気にならず、このCD1枚終わるまで、仕事を探して動いている。

毎日台所に立つときは 九寨溝と ともにいる。

先日 うちに来てくれている料理人さんに この九寨溝の話をしたら、いつか行きたいと思っていた。と、私と同じことをいい、

また父が、今行きたい場所もチベットのラサというところらしく 調べてみると九寨溝とセットになっているツアーが合った。


以前、友人が ハワイに行くために、車にハワイの音楽をかけ、「引き寄せるの」といっていた。

実際 その友人は、宝くじを当て、ハワイに行くことができた。


私も、毎日毎日 音楽を聴いて、引き寄せてるのかなぁ・・・・と、ふと思ったら、父から電話がかかってきた。

「一緒にいってくれるんやったら、お金はだすで」

父は、あるときはあり、ないときはまったくないらしい。

ないときのために 残しておくという考えはない。

あれば 飲む。

「私一人で行けへんし パパも娘も3人分だせるん?」というと、「だせる」 と。

主人に話すと 「ほな いこか 春休みの3連休やな」


今 うちの検索大王が パソコンのキーボードを激しく叩く音が聞こえている。



瓜割の滝旅 4 〜馬居寺〜

馬居寺までの道のり カーナビには道はあり、しかし、その道、実際には閉ざされていた。

線路をわたるようになっていたが、その線路は、以前までわたれていましたが、わたれなくなりましたといわんばかりに、柵がしてあった。

今まで道に迷わずに着た私たちだが、ここで何度も行ったりきたりをした。

どうやって、向こう側にわたるのだろう・・・・

結局 行き過ぎてわたり、また 戻ってくるというような 行きかたで、馬居寺への道にすすむことができた。


馬居寺は 山道の手前に建っているというかんじで、駐車場から、何十段もある階段を登っていかなければならなかった。

登って行くと、門があり、そこをくぐると、古い建物が正面にある、その中から、人が出てきた。

おばあさんとおじさん 

「いらっしゃいませ〜〜〜〜」というかんじで応対してくれる。


子供たちは ここでお手洗をかり、そして、お寺への道を歩いた。


雨が少し降っている。


私は、写真をとった。

そのとき、不思議なことが起こった。

デジカメなので、ファインダーをのぞきながら撮るのではなく、画面をみながら撮る。

すると、シャッターを押した瞬間

シュッ と 白いものが画面の中に入った。

え?

なんだろう?

今撮った画像を確認すると、

白いものが もやのようなものが 映っていた。

肉眼で 景色を見ながらとったので、実際には、もやがかかっていなかったことは、自分が一番分かっている。


わぁ これ なんやろ?

はじめてやなぁ こんなのとれたん

と 思った。

怖いとか 気持ち悪いとか そんなことは 全く思わなかった。


子供たちは 溶け残っている雪で 遊んでいる。

帰りに門のところにある、扇形の石を踏んで、帰った、末広がりで縁起が良いということで、皆さん踏んで帰られるらしい。

ふと横をみると、学問の神様とかいてあったので、階段を降りかけていた娘に おまいりしていこう と 呼んだが、娘に拒否され、お参りせず。

お下がりだと頂いた、蜜柑を 早速車の中で食べながら、帰路に着いた。


こうして、今回の瓜割の滝の旅は 終わった。



なぜ、この馬居寺に 来るのが目的だったと わかったのか。


それは 馬居寺から かえって ある友人にその画像と馬居寺の案内チラシをみせたことで分かり その後も、それに関する出来事が、私たちの目の前にやってくるのだ。

そんなわけで、今回は、滝の水を汲みに行くのがメインだったが、馬居寺に行くことになっていたようだった。


 ところで 滝から帰って 1ヶ月、6つのポリタンクの水は、残り1つになっている。

日向におかなければ、いつまででももつ と きいていて、日が当たらないところで保管している。

ご飯を炊くのもお茶を沸かすのも この水を使っているが、今も、問題なく使っている。

水道から出る水ならば、1ヶ月日陰においていると、腐るように思うが、やはり 自然の水は、生命力に溢れているのだろうか?
水道から出る水は いったい どれくらいもつのだろうか?

水饅頭の時期 ゴールデンウィーク頃に、また 水を汲みに行こうといっていたが、もう少し早く行くような気がする。

今度は 温泉より前に 焼き鯖を買いに行こうと思う。


おわり







瓜割の滝旅 3 〜滝 食 湯〜

Yちゃんと 娘さん二人が車に乗り込み さあ 出発!

Yちゃんが 独自で検索しプリントアウトしてきた資料を持ち込む。


私は、昨夜 一箇所 気になるところを発見しており、もし時間があまったら、そこによれると良いな・・・くらいに思っていた。

私は、検索大王ではないので、私の網に 唯一ひっかかった場所といえる。

「馬居寺」 まごじ と読む。

Yちゃんに

「まごじだけ 気になってん。馬が居る寺ってかくとこ」というと、

なんと Yちゃんも 

「私も 気になった」と。

え〜〜〜〜

「聖徳太子がどうとか こうとか かいてあったよね〜〜〜」というと、

「Yな、聖徳太子に似てるっていわれててん。」と、話は反れ・・・・・(笑)

でもふたりで、ひっかかったということは 行かねばなるまい。

まあ 時間があまったら行こう ということになった。


いつも 私たちが 出かけるとき 道に迷う。

道に迷うというよりも、曲がるところを曲がりそこねて 行き過ぎるという感じ。

なので、予定よりも 時間が大幅にかかるという事態になるので、あとの予定をきっちり立てられない。

が しかし、今回は、なんと すんなりと いけてしまったのである。

瓜割の滝到着。

車中、娘たちも、機嫌よく楽しく過ごせ、ぐずるということも無く、母たちは、ぺらぺらとしゃべりまくり、あっという間に着いたというかんじ。

2時間が あっという間にかんじる。

駐車場に、滝の水を持ち帰れるように、水道が取り付けてあり、4つほどある水道から、水をいただける。

私は、20リットル入るポリタンクを6つ持っており、それに入れることにした。

道を挟んで向かい側に、売店があり、ポリタンクを売っている。

そして、初めて来た人は、そのポリタンクにシールを貼るようになっており、そのシールが貼ってあるポリタンクは いつでも 水を汲んで良いようにしてある。

シール1枚300円。

なので、最初に300円さえ払えば、汲み放題というわけなのだ。


どうして、6個もポリタンクをもっているかというと、娘がアトピーで、温泉のお湯を持ち帰ってお風呂に入れていたので、持っていたのである。

今は、もう温泉のお湯を入れにいくことも無いのだが、ここで、出番があるとは。

Yちゃんは 売店でポリタンクを購入し水を入れた。


入れた後 滝を見に行こうと 歩いたが、滝 という 滝はなかった。

歩いている最中 あまり 楽しい話をしていなかったこともあり、印象がうすい。

いい場所にいったなら その場を 存分にかんじようとしなければ、大変もったいないことになってしまう。

今度から 気をつけようとおもった。


それから、私たちは、食事に向かい、驚くほどの食事の量に、二人とも食べきれず、

めったに残すということをしないんだけどなぁ・・・と お互い言い合い、それでも、小鉢を残してしまった。

娘は 焼きさばが気に入って、Yちゃんの分も食べた。


Yちゃんの娘さんたちは、本当においしそうにご飯を食べる。

じっと 見ていたいとおもうほど、食べている姿が魅力的だ。

うちの娘が口にしたことが無いものを 次々と口に運ぶので、「それもたべれるのか?おっ これも?」と、ほんと みていて楽しいのである。


お腹一杯になり、次は温泉だ。

温泉に行く前に、焼き鯖で有名な店と、水饅頭が売っている店に行こうとしたが、焼き鯖は、すでに売り切れであった。

また、水饅頭も時期が違うので、売っていなかった。

というわけで、うろうろする時間が カットされ、お風呂にはいって、あったまり、思いのほか、時間がある。ということで、やはり、馬居寺に いくことになるのだ。


今回の旅、この馬居寺に いくことになっていたようで、それは、旅から帰ってから分かったことなのだが、今、こうして、ここに綴っていると、何もかも、トントンと、すすんでいったのは、馬居寺に行く時間を作っていたとしか思えないのである。

つづく。


 

相手を見て 行動をかえる

パン種をこねる

今までは 捏ねたら良いと思っていました。

捏ねるんだから 捏ねればいい

でも 違います。

相手の(パン種)状態に合わせて 捏ね方をかえるんですね。

あたりまえです。

しかし、そんな当たり前のことができなかった。

分からなかった。


去年 パン教室の先生をされている方に、捏ね方を生で見せてもらいました。

そして、今日、リフレッシュメントさせるときに、その捏ね方を思い出して、やってみました。

少々、発酵がすすんでいる生地でしたので、水分量が多い生地でした。

そういう時は、叩きつけるようにして捏ねると、パン生地から、水分が飛んでいくのだそうです。

生地が固めのときは、叩きつけるなどしてはいけないそうです。

すこし、水分が足らない場合は、手に、水をつけ(おにぎりを握るときみたいに)そして、捏ねていきます。


相手を見て 捏ね方をかえていくのです。

どういう状態にもっていきたいかが 頭の中にあって、どのような行動を取るかを選択するのですね。

こんなことも わからなかった やってこなかったんだと 思いました。


パンつくりは 大切なことを 教えてくれていました。

時間がかかって やっとわかりました。





九寨溝

ホノルルマラソンから帰ってから、

さあ 次はどこに設定しようか?と思っていた。

旅の行き先。


10年位前に 行きたいと思った場所があった。

それは 九寨溝 (きゅうさいこう)

水色? エメラルドグリーン?

ものすごく 綺麗な色の 湖のようなところがあるのだ。

場所の名前も 記憶していないくらいだったが、ホノルルから帰ってきた後に、テレビでその映像をみて、行きたいと思っていたことを思い出した。


そうそう ここ いつか いけたらいいなぁ  

今じゃなくてもいい 死ぬまでに 行きたいなぁ


くらいに思っていた。



私が、そう 思い出した頃・・・・。

父が、私たちと生活をともにしなくなってから、世界各国を旅行していたらしく、

あと、行っていないのは ドイツとチベットだという情報がはいってきた。

父が 海外にいろいろ行っていたなんて、初耳である。

「おとうさんな 最後に チベットにいってみたいねん。ええか?」

どうして、今になって、私に許可をとろうとするのか?

今まで好き勝手に生きてきたんだから、チベットも いけばいいやん と 思っていた。

チベット????

調べてみると、チベットと私がいってみたいと思っている九寨溝は近い。

近いといっても、飛行機で移動しないといけないが、なんと、その2箇所がパックになったツアーがあるではないか!!!

なんと

なんと

今度は父と旅行に行くのか??

まさか?


そんなことを 思っていたら、大好きな大山崎の雑貨屋さんで、「九寨溝」という、ピアノ曲のCDを発見。

え???

こんなCDあるんや!!


そして、そのCDを 最近は台所に立つときにいつもかけており、なんとも 空気のような曲で

台所に立つ時間が 楽しみになるほどの 曲なのだ。

このCDが終わるまで台所にたっていたい・・・・と 思うほどなのである。


そして、驚くことが もう一つ待っていた。

先日 お料理のなおちゃんが うちに来てくれたとき、このCDをかけ、

「この曲いいやろ?・・・・」と、説明を始めると、

「きゅうさいこう?九龍ではなくて?」というではないか。

なんと なおちゃんも いつか 今でなくてもいいから、いつか行ってみたい場所として、九寨溝を 思っていたのである。

な な なんと!

またまた なにやら はじまりそうな・・・・

というわけで 九寨溝が すこしずつ すこしずつ 近寄ってきている気がする。

野菜を食べる会

今日は 子供に野菜を食べさせるべく 会を企画した。


職場の同僚だったKちゃんの子供は4歳になったばかり。

この子が、野菜をよく食べる。その姿をみせたら、刺激されて娘も食べてくれるに違いない。

ということで、開催。


Kちゃんの4歳になる息子ちゃんKくん。Kくんが生まれてすぐ、助産所に駆けつけたら 驚いた。


私の娘とそっくりだったのである。


娘が生まれたときとだ。


ある人に このことをはなしたら、ソウルメイトらしい。


そのことを私が感じたから、似ているようにみえたんだろうというのだ。


娘とその子は 大きくなってから、周囲に理解されないことでも、二人だけは分かり合えるという中になるらしい。

そんなことを きいて、意識しているわけではないけれど、でも、私ともとっても近いような気がしている。

娘も、このKちゃん家族に慣れており、親がいなくても、自分ひとりで、このKちゃん家族とごはんを食べに行ったりできる。

頻繁にあっているわけではないけれど、慣れている。


今日は、娘が代休で小学校がお休みだったため、昼までで終わる幼稚園にKくんを迎えにいき、そのままKくん宅でお昼ごはんをたべるという段取り。

Kくんも私たちに慣れてくれていて、迎えにいくと、私の顔を見て、手を振ってくれた。
嬉しかった。


本日のメニューは、

具沢山お味噌汁

キャベツとたまねぎの炒め物

ほうれん草の湯がいたん

大根の漬物

五分つきごはん


野菜のオンパレードだ。

具沢山のお味噌汁には、レンコン ニンジン 油揚げ シメジ たまねぎ などなど


炒め物などには、ドレッシングをかけた。

大高酵素と 醤油 酢 そこにすり胡麻をいれた、胡麻ドレッシング。


唯一娘がOKサインを出したドレッシングだ。

キャベツとたまねぎの炒めものにかけて食べさせると、

うわっ まずっ という顔をした二人。

え?

この間は おいしいと大絶賛だったのに?

ドレッシングの量を増やすと、喜んで食べだした。

あ〜〜〜〜〜よかった

よっぽど おいしいらしい このドレッシング。

自慢じゃないが、娘は野菜嫌い。

1歳から2歳の頃は 

この子の細胞は 間違いなく 大根でできている・・・・と 思うほど、大根を食べていたが、もう、一生分食べたのか、まったく食べなくなっていた。

学校の給食は、がんばって食べているらしいので、学校の給食で野菜はとっているというかんじだ。


その娘が、このドレッシングをかけると、もりもりたべる。

Kくんももりもり。

湯がいたほうれん草にこのドレッシングをかけたら、予想以上においしかった。

炒め物よりも、あっていたようにおもう。

具沢山の味噌汁は、娘は、拒否したのだが、一種類、一口ずつ食べてからおわりにしたら?というと、知らぬ間に、全部食べていた。

作戦成功だ。


丸い座卓を囲んで、しみじみ思った。

出会った頃の15年前には 考えられない会だ。

子供ができて、野菜ばかりの食事をして おいしいおいしいと いいながら、食べている。

肉が足りない魚がない と お互い思わないところにいる。


体にいい食事を心がけだしたのは、お互い子供を妊娠してからだ。

子供を授かると、あたらしい世界へ導かれるんだなぁと。


そして、この食事が、とてもありがたく、このような食事がいちばんいいねと 言い合って食べることができる友がいる というのが すばらしいなぁ と。


Kくんが食べる。娘も食べる。


作戦大成功で、食事が終わった。


おやつも 素朴なおやつを作る。

林檎とさつまいもの重ね煮だ。

ここで、ハプニング。

火をかけたまま、ほうっておくだけだが、一度みてみて、もうそろそろだと、思った後、忘れてしまった。

あっ!!

と、思って急いで、蓋を開けると、そこが茶色く焦げ始めていた。

あらら さっきで火を消しておいてもよかったか・・・・・

しかし、焦げ付くという寸前のところで火をとめて、すべて、綺麗に鍋からはがれた。

味を見てみると・・・

あれ?カラメル?と思うような 味になっている。

林檎の蜜が カラメル状になったようだ。

そして、林檎と芋を潰して、食べる。


うまい うまいやん!!


娘もパクパク食べる。

Kくんには不評だったが・・・。


もしかして、絶妙なタイミングで火を止めたのかもね。と

喜んだ。



あと、タイミングがいいことが二つあった。

一つは ポン酢がなくなってきたなぁと昨日思っていたところ、Kちゃんがポン酢をくれた。

そして、この日 夜から義父のお客さんがあって、お茶菓子にケーキをリクエストされていて、家に帰ってからつくらねば とおもっていたところ、Kちゃんが 一緒にケーキを作ろうと提案し、材料も購入済みで、ケーキを作って帰れた。

なんと タイミングのよいことだ。

タイミングもよく、ごはんもおいしく、娘も野菜をたくさん食べれて、大成功の大満足の会となった。


あっ そうそう もうひとつタイミングのよかったことが・・・・。

出かける寸前、キャベツなかった!!と 気がついて、あらら あると思っていたのにな・・・とおもい裏口をでると、そこにキャベツがおいてあった。


大地の恵みに感謝します。










Profile

image
摩耶
京田辺在住です。

New Entries

Comment

Categories

Archives(1460)

Link

Search

Free