もしかして 毎年??

今回 生まれて初めて インフルエンザの検査を受けました。

いつも熱が出ても 病院に行ったことはありませんでしたので、もちろん 検査も 受けたことはありませんでした。

しかし 今回は 娘も熱を出したので、もしインフルエンザなら、学校に連絡しないといけないと思い、一緒に病院に 行きました。



なんですか!!

あの 痛い検査は!!!

鼻の中に綿棒 つっこみすぎやん(`ω´)

娘も私も流血。

なのにティッシュもくれない・・・。

不親切やな・・・・と 思ったんですが、もしかして、これって 流血するほど本来は突っ込まないんちゃう?と 思いました。

結構 出ましたよ。血。


で、インフルエンザ A型

だったんですが、今回の熱。

私がいつも出している熱に比べたら、軽い方だったのです。

症状は同じ。でも いつも もっと 熱が高い。

そして、体が痛い。

これは 一緒。


と いうことは・・・・・

私 毎年 インフルエンザだったのかもしれません。

いつもは 11月に熱を出します。

でも 去年は出なかった。

年が明けて 2月。

もし 次の冬 同じように熱が出たとしたら・・・・・

行くの嫌です。病院。

あの検査が 嫌。

もっと 痛くない方法ないんかいな。

唾液で調べるとか、できそうやん。


私の薬は もらいましたが、娘は 薬にアレルギーがあるかもしれないので、飲まないで治しましょうということになり、結局、私も 薬は飲みませんでした。


結局 1週間 娘は学校を休みました。

熱は 速く下がりましたが、咳がひどくて、なかなか寝られない日がありました。

乳児時代を思い出しました。



ほんと あの検査 いらんなぁ。


時計と時間 A

時間を気にしない私ですが、行動のスピードは とても気にします。

願い事を叶えるスピードも 気にしています。


先日 友人がエステティシャンの資格をとり、その店の案内を、うちに来たお客さんに紹介できるから持ってきてね。と いっていました。

うちには人の出入りがあるので、たくさんの人に紹介できると思ったからです。

でも その友人は その日の晩になっても、もってこず、次の日の朝もうちに届きませんでした。

私が、いなくても ポストに入れておいてくれたらいいからね。といったんだけどなぁ・・・と心配していました。

うちには次の日も お客さんがあったので、今 ここにチラシがあれば 紹介できるのに・・・と残念に思いました。

結局 友人は、数日後に もってこられました。

この数日間が、もったいないなぁ・・・と 内心思っていたのです。

もし、即行動していたら、20人近くの人に チラシがわたっていました。

すると、その友人 その家族・・・・いろんな人に 広がった可能性があります。

20人を逃しただけではない もっと 多くのお客様に出会える可能性を 失っているような気がするのです。

なにか 趣味のことを 皆さんにお伝えするのならば 別ですが、自分の仕事にしようと 思っていることならば、行動のスピードを上げることを 一番に考えた方がいいんじゃないかなぁと 思ったのです。

そんなことを 思っていると 私が代理店をしている 化粧品の会長からのメッセージが届きました。
いつも商品を仕入れると 会長の講話を販社長が紹介してくださるのです。

すると そこに まさに このスピードのことが 書いてあったのです。


自分の行動を速めるだけで、世界は変わってくると思います。


そういう時間は 気にしている私です。






時計と時間 @

私は あまり 今がなん時なのか?とか なにかひとつのことをするのに 何分かかるのか?を気にしたことがありません。

自分が見た夢を記録するのに 毎回 結構時間がかかるなぁと 思っており、一度計ってみようと 時間を気にしてみたところ、そのとき4時間かかってました。驚きました。

娘が 小学校に通い始めた頃、主人がとても時間を気にしており、集合場所に遅れないようにと、7時30分にアラームを鳴らしているのが、最初の頃はとても嫌で、そんなにきっちりアラームを鳴らさなくても、間に合うのに・・・と 思っていました。

以前 餃子を皮から作りたいと急に思い立ち、作り始めて食べるまでに、ずいぶんと時間がかかったこともありました。
最初に、時間がかかるだろうから、今はやめておこうという考えが浮かばないのです。


結婚してすぐ、どこかのレストランで掛け時計があたり、それをずっとかけていました。
その時計が、とうとう動かなくなりました。14年動いてくれていたのに、壊れたのです。
他にもいくつか時計はありますが、一番大きな時計が壊れました。

自分で買うなら 文字がみやすくて四角い時計が欲しかったので、そういう時計が現れるまで、替わりの時計はかけませんでした。

うちには 数字が書いてある時計はひとつもありませんでした。


先週、娘と私が、仲良くインフルエンザにかかりました。

少し元気になってきて、学校から届いた学習のプリントをし始めました。

私が小学生のとき、漢数字を数字に書き換えるのが苦手で、よく間違っていたことを思い出し、

「ままな これ 苦手やってん。よくまちがってたわ〜〜〜」と 言いました。

すると娘がしばらくして、

「のんちゃん これが にがて。」と、いってきました。

それは時計でした。

時計は一年生のときに 読めるようになったんじゃなかったっけ?時間がかかってたけど・・・。とおもってみてみると、



【今 7時45分です。】

@一時間たったら 何時何分ですか?


という問題です。



A駅まで15分かかります。今家を出たら、何時に駅に着くでしょう。


前述のように、私は 時間を気にしないので、時間に関する会話も家でしません。

楽しみにしているテレビ番組が7時からだから 15分後に始まるよ。という会話もない。

時間に合わせて 何かをする ということが ないのです。

もう9時だから寝ようという こともない。


なので、娘は 

かかる

たつ

まえ



という言葉が 時間のあとについたら 何を意味するのかが まったく理解できていなかったのです。

アナログの時計を目にしていないと、時計を読めなくなるということは知っていたのですが、読めるようになったので、気にしていませんでした。

娘に 説明しても、

ちんぷんかんぷん のようで・・・。


時間を気にしないと 子どもが算数で、つまずきます(T-T)





夢あわせのご案内

2011年2月度の夢合わせです。

夢テーマ【春の進学的 心の準備】

2月25日午前中投稿

参加希望の方は 下記のアドレスにご連絡ください。

申し込み方法をご案内いたします。

mayamayagpm@ybb.ne.jp


案内が前日になってしまって 申し訳ありません。

今晩 寝る前に 今日の一日に感謝し、世界のことに思いをよせ そして 夢のテーマ『春の進学的 心の準備を 教えてください』と 心で唱えて眠りについてください。

夢が あなたや社会に必要なメッセージをみせてくれます。


同じテーマで 仲間たちが夢を見ます。

その夢を参加者全員が見ることができます。

みんなで 夢をあわせるので 夢あわせ といいます。


興味がおありの方は メッセージお待ちしております。



ちょうどよかったね

弟と父の部屋の片付けやその他の身辺整理や手続きなど 行ってきました。

父がくれた 弟と過ごせる時間です。

車での移動も多いため、いろんな話ができました。


最後に話した内容は、父と母は 正反対の性格で、私達はその両方をみせてもらって、勉強になったなぁと いうことでした。

父は 自由に生き、周りにもたくさん迷惑をかけ、生きてきたと思いますが、最近は、

「まやちゃん おとうさん こんなに幸せで いいのかなぁ」といって 泣くことが多かったのです。

生活の【状況】は 決して 良い といえるものではなかったのですが、父の心は 【幸せ】を感じていたのです。

一方 母は いつも 

「こんなはずではなかった 今の状況が 悪いのは 自分のせいだ」

というところに いつもいて 

「私は 幸せだ」なんて言う言葉を 聞いたことがありません。

生活の【状況】だけを みてみると 

母のほうが 断然 良い状態です。

しかし いつも 幸せ感を 感じているのは 父の方でした。



私たちは そんな二人を見せてもらい 

【状況】というのは どうでもよくて 今の自分の状態を自分が招いた結果だと受け入れて、そして、今の状況に 【満足】する 【感謝】する

それが できるか どうかなんだなぁと 感じました。


例えば お金。

たくさんもっていたら幸せとは限らなくて、いくらたくさんもっていても まだ足りない 少ない自分は不幸だとおもっている人もいると思うし、

たくさんもっていなくても 必要なだけ与えられて ありがたい と 感謝している人もいるし。

状況は 違って 状況が 変わったわけでもないけど たくさんお金を持っている人が どうかんがえるかだけで、次の瞬間 幸せになれるし、お金を持っていない人が 次の瞬間 自分が不幸だと 感じることもできるわけです。


そんな話を 弟とすることができました。


昨日 仲良し三人娘&ママたちで スパワールドに遊びに行きました。

その道中でも そういう話になり、

この世で起こることは ある程度自分で設定してきているけど、そのときにどう感じるかの自由は与えられている。

その【どう感じるかで】自分の運命が決まってくる

どんな【状況】であっても 【感謝】を常に する人は 確実に良い人生を歩む道を選んでいるということになる 

らしいです。



父は このことを 自分の人生をもって 表現してくれたんだなぁと 弟と話していました。


そんな父と 母をもった 私達は 幸せだなぁと 言い合ったのでした。

私たちに ちょうどよい 父と母です。


お父さん お母さん ありがとう。

あれ?なんか 結婚式の お礼の言葉みたい(笑)


今の瞬間 幸福感に 包まれるのか どうかは 自分の今の心しだい なんですね。


今日 目覚めたこと

昨日の 月が素晴らしかったこと

食べるものを いただけたこと

忙しいこと

悩みがあること


そのすべてに 感謝します


ほんとに8歳?

2月16日。

娘の8回目の誕生日でした。

私は 朝から 室内の飾りつけをしました。


娘が 主人の父の誕生日のときに、風船で飾り付けをしてから、家族の誕生日には風船で飾り付けをするという習慣ができてしまっていました。

朝から風船をたくさん膨らませました。

そして 私の母が毎年 娘の誕生日に手作りしてくれる 綺麗な広告の紙をつかっての鎖のかざりを足して、装飾。

最後は 風船に言葉を貼っていきます。



ん 

ちゅ











ん 

生←去年から漢字が登場してもよくなりました。







で 







いつもは ここまでなんですが 最初に紙を切るとき 計算して切らなかったので、数枚紙があまりました。なので















の文字を足しました。

これらの文字を一文字ずつ紙に書いて風船に貼っていくのです。



誕生日プレゼントのリクエストは いただいておりました。

それが 難しいんです。

「のんちゃんの 喜ぶものを 買ってや。でも のんちゃんに いったら あかんで。」というリクエスト。

おもちゃやさんにいって 好きなものを選ばせるということもできませんし、何が欲しいのか言うこともしてくれません。

でも 本人は ゲームのカセットが欲しいらしく、それを ついポロッと私にいっていました。

すると、

「それは ぱぱに 買ってもらうから ままは のんちゃんに 内緒にして のんちゃんが喜ぶものを買ってや」

父親と母親 両方からもらうつもりです。

難しいお題をいただいて、私は 1月から 考えておりました。

私の趣味と 娘の趣味は  まったく違います。


そして 忘れもしない 2月2日 私の父と最後に会った日に 大好きなおもちゃ屋さん

宇治の【キッズいわき PUFF】さんに 行きました。

(このおもちゃ屋さんの ものを 選んでくれたら いいんだけどなぁ・・・・)

そう思いながら店内を歩いていると

偶然にも友人が子供さんと来ていて、驚きました。よくこの友人(正確には4歳の子供さんの方)と出先で会います。

この友人と偶然だね〜〜〜と話をし、娘のプレゼントを探しに来たという話をすると、娘のプレゼントが頭に浮かびました。

お〜〜〜浮かんだ!!

そうだ!!

あれにしよう!!


思いついたプレゼントは ここには売っていませんでした。

また 違う場所に探しに行こう。


私は絵本を1冊買い 帰宅しました。

最近 娘は本を読むのが上手だから 声に出して読む絵本 という 本を買いました。


思いついたプレゼントというのは ボンゴという打楽器 です。

小さな太鼓が 二つ連結されているものです。

頭に それが浮かんで、後日 楽器屋さんで購入することができました。


それと ノートと鉛筆も 用意しました。

このうち どれかは 気に入ってくれるでしょう。


誕生日ケーキは サーティーワンアイスクリームの アイスクリームケーキを本人がリクエストしていました。

誕生日は 家族3人だけで行う。

料理は ぱぱ作の とんかつ が リクエスト。

私は、それ以外の 娘が喜びそうなものを 用意しました。

ローストビーフ

モッツアレラチーズとトマトのオリーブオイルかけ

ハーブチーズ

チョコレートフォンデュ(苺 みかん バナナ)

料理と呼べるものは ひとつもなく 買ってきて切って並べただけのものです。

料理は ぱぱのとんかつだけ^^;


この日は 娘を主人が学校まで迎えに行くことになっており、私は アイスクリームのケーキを18時に取りに行くことになっていました。

娘が 帰ってくるまでに、料理を用意しました。


娘が 学校から帰ってきて まず、

「8歳の のんちゃん おかえり〜〜〜」と 出迎えました。

娘は 少し 恥ずかしそうに 笑いました。

そして 飾りつけを 見に行きました。

娘の第一声

「『さい』もならってんで」

でした。

8さいのさい

才と 書けばよかったのに・・・と ダメだしでした。

そうか

うっかりしてました^^;

書ける漢字が 増えているのですね。そうですね。

そして 文字を全部 声に出して読んでいました。

「『のんちゅ 8さい おたんじょうび おめでとう だぁいすき』やって(笑)」

娘は 笑っていました。 


それから 主人が とんかつを つくります。

私も切って並べるだけでしたが 少し時間がかかり 娘は、

「まだ? まだ?」と 待ち遠しいようでした。

ようやく準備が整い アイスケーキに 8のろうそくを灯しました。

「全部 電気消してや!!」と 何度も娘は いいました。

家中の電気を消して 明かりのともった アイスケーキを娘の前に運びました。

ハッピーバースディの歌を 歌いながら。

娘の目の前にアイスケーキを持っていくと 娘は いきなり ローソクを吹き消しました。

アイスケーキは スヌーピーのアイスケーキで タイトルは 「宇宙」という名前でした。

「これ 宇宙 っていう 名前のアイスケーキやねんで」というと 

「あっ のんちゃん 宇宙飛行士になりたいからや!!」と いいました。

アイスの種類で決めたはずだったんですが 偶然 宇宙という名前だったのです。

でも

「そうやなぁ!!だからやなぁ。」と 笑いあいました。

アイスケーキを 3人で食べはじめ ある程度食べた娘は 料理に手を伸ばしました。

娘は ここで

「まま 作ってくれて ありがとう」といいましたが、

本当に 切って 並べただけだったので、

「切って 並べただけですけど。」というと、

「これ↑」と 飾り付けを指差しました。

「うん うん これは まま がんばって つくったで!!」というと

「のんちゃん これみたとき なきそうになってん。」といいました。

「え〜〜〜そうなん?泣いてくれてもよかったのに。うれしかったんか?」

というと 

「うん でも なかへんかったけどな。」といいました。

よかった 飾りつけして^^

泣きそうになって それをこらえるなんてこと するんですね。8歳。



主人は とんかつを つくり 娘の目の前に並べると 

「ちょっと 買い物行ってくるわ」といいました。

主人は いつも焼酎を飲むのですが、今日のメニューでは ビールを飲みたくなったらしく、ビールを買いに行ってくるというのです。

そんなことなら 買ってくればよかったなぁ・・・・

私は まだ 相手が お茶が欲しいと思ったときに淹れられる人になっていないようです。

一瞬 よぎったんだけどなぁ・・・・ビール。


主人が出かけた後 メールの着信に気がつきました。

見てみると、

娘を可愛がってくれている方からの誕生祝のメールでした。

***************************

のんちゃんへ

おたんじょうび おめでとう

のんちゃんがうまれてきてくれたおかげで であうことができました。

ありがとう。

これからもいっぱいたのしいことして、えがおみせてな

またあそんでな

*********************************

娘にこのメールを見せると 読み終えてすぐ

「それをいうならなぁ・・・・・

のんちゃんが うまれてきてくれて ありがとうじゃなくてぇ

ままが のんちゃんを うんでくれて ありがとうやんか!!」と

すぐに そういいました。

「のんちゃん そうおもうんか?」ときくと、

「だって そうやろ?」

「だから ままに ありがとう いわな」


8歳って こんなこと おもうかな?

私は 驚きました。

私は 最近でこそ そういう風に 思うようになり 自分の誕生日には 産んでくれた母にありがとうがいえるようになってきたばかりです。

それが 8歳で・・・・・。

ほんまに 8歳か?この娘。


メールの相手に お礼の電話をしようといってかけると、

娘は 本当に この言葉を 相手に伝えていました。


「うちの娘 すごくない?」とかわって私が言うと、この方も

本当は メールに 娘が言ったようなことを 書いたらしいのですが 

のんちゃんが 複雑な心境になるかもしれないと思って 消したというのです。


そうか・・・・ すごいな 二人とも。同じ気持ちやったんや。


ということで ありがたいことに、直接 声に出して 言ってもらえました。

「まやちゃん。 のんちゃんを うんでくれて ありがとう。」

この言葉 初めて言われたと思います。


そうです 私が産んだんです(*^-^*)

間違いなく8年前。

今でも 鮮明に覚えています。出産のときの状況。

本当に幸せな 時間でした。

8年経った今も まだ そのときのことを 思い出して 幸せな気分になれる。

それくらい 素敵な体験でした。

生まれてくれた 娘にも感謝ですが、産ませてくれた周囲のすべての人にも 感謝だなぁと 改めて感じました。

みんなに祝福されて ひとつの命が誕生するって 本当に すごい出来事だなぁと 感じます。



いえいえ そうじゃなかった。

どんな命であっても ひとつの命が 誕生するって 私たち 人間が決めることではなく、それは神様の管轄であって、それを どうのこうの いうことは してはいけないことだと 思います。

私の父は 私たち兄弟3人以外に もう一人 子どもをつくっていました。

私は この事実を 20年ほど前に聞かされて知っていて、今回 父の部屋を片付けているときに、手紙などが出てきたのですが、どんな理由であっても ひとつの命が この世に誕生したってことは すばらしいなぁと 思ったのです。

人間が 計算してできるものじゃない。

神様の領域だと おもうのです。




ちょっと 脱線しちゃいましたね。



主人が 帰ってきて 改めて 乾杯!!


お腹が満たされた頃・・・。

そうそう あれあれ と いって 立ち上がろうとすると

「プレゼント?」と聞いてきました。

「のんちゃん プレゼントはまだかなぁ?って おもってたん?」というと

「そうじゃないけど・・」といいました。

私は まずはじめに

鉛筆と ノートをわたしました。

すると 

「あっ!!下敷き??」と 嬉しそうな声を上げましたが、ノートと鉛筆と知って、テンションは通常に戻りました。

(下敷きがほしかったのか・・・・)

次に 絵本を 渡しました。

すると・・・・あんまり嬉しそうな顔をしませんでした。

あらら これは やっぱり 私の趣味。

そして 最後にボンゴ。

娘の顔は 一瞬 キラッと光りました。

そして 私がウクレレを弾き、娘とコラボ。


ちょうど 前日の夜ご飯のとき、私のウクレレに合わせて、娘がリズムをとりながら テーブルを叩いていたのです。

私は 前日に (よし よし これなら ボンゴ 喜ぶぞ^^)と 思っていたのでした。


娘は 一瞬喜んだものの 少々 私に 合わせてくれているような感じもありました。

そして 次に 主人からのプレゼントを 求めたのですが、主人は 何も用意していませんでした。

「あれ?のんちゃん ぱぱに 買ってもらうって いってたやん。ぱぱに いわなかったん?」というと 

「だって いったら あかんやん・・・・」と。

そうやったんや 私が 主人に 言わないと いけなかったのですね。

娘に 内緒で プレゼントを買ってくるようにと。

主人は 「下敷き買ってあげるからな。」と 泣き出しそうになる娘に あわてて言っていました。


次の日 私は 娘には あんまり 受けなかった絵本を 朝 食事の時に 読んで聞かせました。

『春は あけぼの』

この絵本 本の後ろに 翻訳 が 載っているのですが、それがまた 実にいい。

私が この本を 読みたかったんですね。

本文を読んで 訳を読む。

すると 娘は 興味を示し 次の日も 読んでほしいと 言ってきました。

朝 読む 『春は あけぼの』いいですよ。

本を読んだら 会話も 増えました。

「冬に 火種をもって 走るなんて事、今は 見かけへんよなぁ・・・」というと、

「昔は ここのじいちゃんが 火鉢に火をおこしてたなぁ。それ おぼえてる」

「のんちゃん 昔はスイッチひとつで 暖かくなる ストーブなんて なかったんやで」


静かな 我が家に 絵本ひとつで 会話が増えた。

娘にとっては これが一番のプレゼントかもしれない。


毎朝 なにかしら 音楽をかけている我が家なのですが、

これからしばらくは 朝の音は 本を読む私の声に かわりそうです。




のんちゃん 8才 本当に おめでとう!!

だぁいすき(*^-^*)
 









父の最期

父が亡くなって もう10日以上経つんですね・・・・。

この間 何をしていたのかというと 父の身辺整理。

4畳半の小さな部屋は ゴミの山でした。

去年の夏 娘が1泊させてもらったのは こことは違う場所。

バストイレ キッチンがついた ワンルームを そのときだけ 借りていたのです。

今から思えば それも 不思議な出来事で、孫との 思い出作りのために その期間だけ 部屋を借りたような、感じなんです。

父はタクシー会社に長年勤めており、それが去年 「会社側の人間になった」 といって電話があったのです。乗務員ではなく内勤というんでしょうか?手配する側というか・・・それで、会社の人が、「もう少しマシなところに住んでもらわないと困るといったから借りた」といって 新しいアパートに引っ越したという知らせを受けたのでした。

「お風呂もトイレもあるから のんちゃん お泊りできるで!!」と いい、私たちも 一度はその部屋にお邪魔してご飯を一緒に食べたりしました。

そのアパートには小さな庭がついており、そこでバーベキューをしようと火をおこして肉を焼いたりしました。

そのときも 父は常にお酒を飲んでいたので 私はずっとイライラしており、父と口論しながら気分が悪かったのを覚えています。

夏休みの最後に 娘は父のところに泊まりに行き、そして夜中に警察のお世話になる事件を起こし、私が夜中に迎えに行って、次の日の動物園の約束を阻止して、娘を連れて帰ったというわけです。

この様子 確か このブログにかいたとおもいます。


父は 新しいアパートに引っ越しても 元の4畳半のアパートを引き払っておらず、「いくら家賃が安いといっても、もったいないから 引き払いや!」といっていたのですが、そのままにしていたようでした。

それが 秋。

父は 新しいアパートの方で 火を出したのです。

4畳半のアパートを解約していなかったおかげで、父はホームレスにならずに済んだというわけです。

娘と一泊した思い出のアパートは、一部屋だけ見事に全焼。

でも、今になると、荷物の大半を 先に自分で処分したんか?と 思えるほどです。


父の死因は 「アルコール依存症」と なっておりますが、本当は 「凍死」みたいです。

凍死は 証明できないんですって。

雪山でもないのに、「凍死」

父にとっては 雪山と同じくらい厳しい毎日だったのかもしれません。

でも 凍死って・・・

悲しいです。

父は あの日、私と 5分だけ会って、その後 昼に 何度も私に電話をかけてきました。

私は 友人とまだ会っていたので、まだ、用事が終わっていないから と 何度も電話を切りました。

でも 友人との用事は すぐに終わったので、会おうと思えば、それから会えたのです。

「まだ おわらへんのか?」父は そういっていました。

でも私は、用事が終わって 父に電話することなく、自宅に向かいました。

自宅に向う途中に 観たい映画があったことを 思い出し、帰り道にある映画館にむかいました。

観たい映画が あと10分で 始まる というときに映画館に着いた私は、

今日は なんだか ついてるなぁ なんて 思ってたんですよね。

朝も 偶然に 父に会えたし。


映画は「僕と妻の1778の物語」を観ました。

死ぬまでに こんなに 長い時間 夫婦で一緒に過ごせるなんて 幸せなことだよなぁ・・・死ぬときに 大好きな人がそばに居てくれるとは 限らないもんなぁ・・・
これはこれで 幸せなことだよなぁ・・・
私が死ぬとき だれか そばにいてくれるかなぁ・・・・

思ったのでした。

その映画の最中に 父から着信があり、映画が終わって 電話をかけなおそうか どうしようか もう ほっておこうか?と 一瞬悩みましたが、いや 何かあったら いけないからな と電話をかけなおしたのです。

すると

「なんや?なんか 用か?」と

父は 完全によっぱらっており、私は がっかりして 

「お父さんが かけてきたから かけたんやんか、もう 用事がなかったら きるで、じゃあぁな」と 電話を切りました。

これが 父との 最後の会話です。


このとき かけなおして ほんとよかった。

かけなおしてなかったら、父は 最期に 私に 何をつたえようとしたんやろ?と ずっと気になり、電話をかけなおさなかったことを 後悔し続けたと思います。


私と もう一度会えなかった父は 友達と 温泉に行ったらしく、その後 私が焼いたお菓子を管理人さんにおすそ分けし、一旦部屋に戻り そして また 夜 飲みにでたようです。

夜中 同じアパートに住む夜勤の人が 3時ごろ夜勤明けで戻ってくると、アパートの一階のみんなが靴を脱ぐ土間のところに父は寝ていたそうです。

こんなところで寝ていたら風邪をひくからと その人は 板の間に父をあげてくれ、布団をかけてくれたそうです。

父は ちょくちょくよっぱらって このようなところで寝ていたそうです。

父の部屋は2階の奥で 急な階段をあがらなければならず、抱えて部屋まであげるのは無理なようでした。

そして朝8時 管理人さんが ゴミだしがあるから と やってこられたときに 父はまた 土間に降りてねていたようで、声をかけると 反応があったそうですが、その一時間後 もう一度声をかけると、もう 冷たくなったいたらしいです。



これが 父の 最期でした。



ちいさな火葬式

父が亡くなりました。

そのことをブログに書くことで、父が誰かの役に立っていたんだと 知りました。

コメントをくださった皆様 見守ってくださった皆様 声を聞かせてくださった方々 いろんな お心遣いをいただき 本当にありがとうございました。

なくなった次の日 弟と二人で 父をどのように送るかを考え 相談し 父の親戚の方々とも連絡を取りながら 本日 火葬式という形で 父は 旅立ちました。

父の遺体を引き取る場所も 貸していただくことができ、一晩 弟は10年近く合っていなかった父と二人で過ごしました。

私も 夜中に一旦帰って仮眠し 早朝に戻り、父の前で 弟といろんな話をしました。


私は 父と かかわりを持っており、娘にも会わせたり、そして 前日も奇跡的に逢うことができ、心残りというものが あまりなかったのですが、娘と父が動物園に行く約束をしていたのに、私が阻止したことがあり、また今度 また今度 と引き伸ばしていたことを思い出し、父に 悪いことをしたと 涙が出ました。

それと 昨日 初めて知った事実。
私は10年ほど前に 父が起こした行動が原因で 一時期 精神的におかしくなったことがあり、私がおかしくなった様子をみてしまった弟と妹が、父と会うことをそのときから拒否した ということでした。

私は 今まで どうして 弟と妹は 父に会おうとしないんだろう?せっかく親子で生まれてきているのに・・・と おもっていましたが それは 私がおかしくなったことが原因だったのです。

父と二人を引き離してしまったのは 私だったのかとはじめて知り 父に申し訳ない気持ちになりました。

でも 弟も妹も 私が父とかかわりをまた もってくれたおかげで 時々父がどうしているのかということを知ることができたし、今回も10年も疎遠にしていたのに、親戚のおじさんたちと話ができ、喪主として動けるのも お姉ちゃんのおかげだといってくれて、救われました。

でも それなら 「時々 お父さんの様子 きかせてな」とか 一言いってくれれば もっと話したのに、なんだか かかわりを持っている私を 二人は軽蔑しているのではないか?とおもっていたので 今回そのような気持ちをはじめて聞き、驚きました。

お父さんの話は 母の前ではもちろん禁句でしたが 弟や妹の前でも あまりしてはいけないような感じで、主人にはもちろんあまりいいたくないということもあり、公にできないような後ろめたいことをしているような そんな気がいつもしていました。

私は みんなと 仲良くしたかっただけなのです。
父は 決して悪い人ではありませんでした。
私たちのこと 愛してくれていました。

たまに みんなであって 食事したりしたかったんです。

今日 父は 初めて 全員の孫に会いました。

今日 集まったのは 伏見に住む父の弟夫婦 大分の実家に住む弟夫婦 息子娘夫婦 孫たち4名 母でした。

棺に贈り物を入れるとき、娘が食べていた小さなグミのお菓子もいれてあげようかといって そのグミをいれると 3歳の孫が欲しいといい、父の胸元に備えたグミの袋を、
「ちょっと すみません。」といって もう一度取り出すと みんな 笑いました。

袋から グミを一粒ずつとって3人の孫の口にいれてやり、もう一度 袋を胸元に供えました。
父と孫達が はじめて同じお菓子を分け合って食べたような気がして 胸が苦しくなりました。

生きている間に こんなことができれば 喜んだだろうにと 思います。


小さな火葬式とは お通夜もお葬式もしない形式で 一晩預かってくれて次の日火葬場にいって骨を拾うということまで段取りしてくれるものです。


あんなに お酒ばかり飲んでいた父は 意外にも 骨がとても綺麗でしっかりしており、火葬場の人も驚いておられたぐらいでした。

私は 父の足の部分の骨を わけてもらいました。

父は また家族みんなで 富士山に登りたいといっていたので その骨をもって富士山に登ろうと思います。
中国にも一緒に行こうといってたね。

母は 火葬場に行く前の一晩過ごさせてもらった場所に 顔を出してくれました。
京都駅に迎えにいって 母に会ったとき 思わず
「おかあさん よく来たなぁ かっこいいなぁ」と 声をかけました。
「最後に あっとけばよかったと あとから 後悔したくなかったから」と母は いいました。

父はずっと 母に会いたがっていました。
その母が自分から 会おうとおもって 来てくれて 嬉しかっただろうと 思います。


でもね でもね

どうして生きているうちには みな 会おうとしないの?
死んでしまってから あっても おそいやん。

私は 生きているうちに会いたい。

お父さんは みんなに いつも 会いたがってたんやで。


という私も たまにで いいわ・・・。と 思ってたんですけど。


もう 110番から 電話がかかってくることは ないでしょう。
もう 父がよっぱらって かけてくることもありません。

「まやちゃん愛してるで」と 抱きしめてくれることもないんですね。


悲しみの波は 突然やってきます。

今回はじめて知りましたが 予告なく 涙が急に出てくるんですね。

そして それが終わって 普通に戻り また 急に 出るの繰り返し。

泣き続けるということは ないんです。

何もしていないときはいいのですが、今回 一人で車の運転をしているときに この波に何度も襲われることを知り、一人での運転は危ないと思いました。

ほんとに 予告なく ドッと波が来る感じなので しばらくは 車の運転を用心しようと思います。

父が運転する車の助手席にすわるのが 好きだったからでしょうか?

いつも 「ここは ○○川っていうんやで」とか いろんなことを 教えようとしてくれましたが 何一つ 覚えられませんでした。

そんな 車に乗っているときの思い出がたくさんあるからかもしれません。



明日は 父の4畳半のアパートの部屋を片付けに行こうと思います。

いろいろ やること まだ まだ いっぱい あるみたいです。



こんな風に ブログを更新する元気があるので みなさん ご心配なく(^_-)-☆

忙しくて しばらく 更新できないかもしれませんが ご心配なく(笑)

ではでは また・・・・。





また 逢いましょう

2月2日。

私は 最近親しくなった方と 一緒に出かける約束をしていた。

お宅に、お迎えにあがって そして 出かける約束でした。


自分で運転してお宅に伺うのは 初めてだったので、住所を聞いてカーナビに入れました。

自宅から45分ほどかかる場所でした。


1月31日 父から電話がかかってきた。

「孫達にお年玉をあげたいから もっていって いいか?」といったので、私は、ちょうど2日に京都に出るので、「会いに行くわ。」といった。

2月1日。

昼間に電話がかかってきて

「明日は のんちゃんもぱぱも 一緒に来てくれるんか?何時に来てくれるんや?」という。

よっぱらっている。

「平日やのに なんで ふたりがいけるんや。私だけが行くねん。」というと、

「なんで〜〜〜 きてくれよ〜〜」

完全によっぱらっている。

「もう!!!酔っ払ってるんやったら いかへんしな!!あわへんで!!!」と 電話を切った。

最近 腹が立たなくなってきたと おもってたのに、まだ 腹が立つなぁと 電話を切ってから思った。

そして 

2日。知人とは 10時の約束。

私は、9時過ぎに家を出た。

9時50分。携帯がなった。父からだ。

また 酔っ払ってんのやろなぁ・・・と 電話に出ると、

案の定

「何時ごろになるんや?どこに来てくれるんや」という。

私は 「友達に会ってから 昼過ぎになるから、用事が終わったら電話するって いってるやん」と 答えると、

「今 せんにゅうじ にいるんや。天皇さんのな・・・」と言い出す父。

「せんにゅうじ?そんなとこしらん。」といったら 頭の中に 「泉」という文字が浮かんだ。

「お父さん せんにゅうじって 泉ってかく?」

「そうや」

「泉の次は さんずいに とおる みたいな なんか 桶みたいな 字 かく?」

「そうや」

「え!!!!!!!!!私 今 そこにむかってんねん」

「おとうさんな そこの突き当たりで まってるからな」と いいました。

なんで?なんで?

なんで いるん?

 【泉涌寺】

私は この名前を カーナビに入れましたが 読み方は知りませんでした。

時間も 場所も 何も教えていないのに 父は そこで 待っていました。


私が近づくと 父は 車のヘッドライトを 何度も 何度も カチカチ照らしました。

車を止めて 降りました。

「なんで わかったん? おとうさん ほんまに かみさまに なったんやな」と 私はいい、父と二人で 抱き合って すごいな すごいな と 喜びました。

私は 抱きしめながら しばらく 父の背中をさすっていました。

「時間も 場所も 教えてないのに なんで ここにいたん?」

そういっても 父は

「そら おとうさん なんでも わかっとるわ」といい

「おとうさん 神様で まやちゃんは 女神様やで」

父は そういいました。私達は 笑いあいました。

私は 父に

お米と 昨日作ったおかずと 友人にいただいた 甘納豆と 私が作った 米ぬかのケーキを渡しました。

父は 私と 弟と 妹のところにと お年玉をくれました。

それと ミスタードーナツ。

父は 昔から ミスタードーナツを お土産に買ってきてくれていました。

だから 私は 少し大きくなってからも ドーナツは お父さんが 買ってくるもので 自分で買うものじゃないという気がしていました。

「私 10時に約束やし もういくわ。」というと、

「まやちゃん 愛してるで」といって

 私を 抱きしめ ほっぺにキスをしました。

私は 嫌な気持ちはしませんでした。

車に乗り込んだ父の手を握って 

「お父さん 元気でな」と いい、私も車に乗り込み 先に発進 しました。

本当に 近くでの 待ち合わせだったので 私は車をすぐに止めると 父が 後ろから私を追い越し、手を振り見送りました。

ほんの5分の再会でした。




それが 父を見た 最後になりました。

2月3日 11時03分

父は 本当に 神様に なってしまいました。


亡くなる前の日 このように 父に会えたことが 本当に 不思議で 神様の粋な計らいに 感謝しています。

ほんとうに 父は 私を 愛してくれていたんだと 思います。

私も 時に 本気で 腹が立ちながらも 父を 愛していたんだと思います。



最後に 会えてよかった。

最後に抱きしめあえてよかった。

最後に キスをくれて ありがとう。




お父さん 命を つないでくれて ありがとうございました。


お父さん また 逢いましょう。







母の気持ち

今朝は 珍しいことがありました。

「昨日の マーボー大根おいしかったなぁ」

なんと なんと 主人が 私が作った料理を おいしいと いったのです(驚)

一体 なにがあったのでしょうか?

後ろめたいことでも あるのでしょうか(笑)

そういえば 最近 出張が多い(笑)


とにかく 言われたことない 言葉を頂き 光栄に思った よい朝だったのですが、

その後が よくなかった・・・。


娘が 一言 

「ままぁ 白いご飯 ないの?」

私は 極力 白いご飯を炊かず、雑穀を混ぜて 炊くようにしています。

娘は おかず なるものを あまり食べないので ご飯に 栄養を混ぜ込む方が 体にいいものを入れられるとおもって 白米よりも 何かを混ぜたご飯を炊くことが多い。

「今日は 昨日のご飯しか ないで 白いご飯だけは 栄養がないから わざわざ 雑穀をいれて炊いてるねんで!!」と なんだか 雲行きが急に怪しくなりはじめました。

言い方が恩着せがましい私。

最近 私は 娘の食事の好き嫌いが 気になりだしており、食べられないものを出してるわけでもないのに 口にするまえに 

「のんちゃん いらん」と いうのが 気に入らない。

一口食べてみて 嫌いな味 というならわかる。

何にも食べない間に いらんと いわれると ムカッ とくるんです。最近。

最近の私の台詞は

「砂を食べろといってないやろ!!」です。

お味噌汁も いろいろ具をいれて 少しでも体にいいように と思って作っても、お揚げさんとたまねぎだけを食べて おわりだし・・・・。

「私は ちょっとでも 体にいいようにって おもって つくってるの あんた達 知らんやろ?」という言葉が私の口から出てきました。


ここで 対象が 複数に なっています。

いい迷惑 とばっちりを 約一名の方が 受けております。

せっかく 今朝

「おいしかった」と いってもらったのに 台無し。


料理って おいしいとか なにか いってもらえると やる気が出ますが、何にもいわなかったり 食べてくれなかったりすると ほんと やる気が起こりません。

最近は お客様が 来てくれたり 友人が 私の料理を食べて 喜んでくれるので、料理をするのが楽しくなってきているのですが、この 一番近くに居る二人は ほんと 私のテンションを下げてくれるのです。

二人の口に 合うものを作れていないといわれればそれまでですが、なにか やっぱり リアクションが欲しいのですよ。主婦って。おいしいといって欲しいのではなくて コメントが欲しい。

なんだか 日ごろの 想いが出てきてしまいました^^;

娘は 私が 少々怒り始めたのを察して 

「白いご飯ないの?って聞いただけやで」と 私のことを攻めたわけではないというフォローをし始めます。


朝ご飯を食べ始めながら 娘は 自分の目の前にあった スナックパンを私に、はい と 差し出しました。

明らかに 私の機嫌を治そうとする行動です。

「今は ご飯食べてるから パンはいい」と 言う私。

受け取ってやればいいものを。

大人気ない。



食べながら 考えました。

私も そういえば・・・・

ご飯は 真っ白がよかった。

母が 栄養があるからと わかめを入れるときがあった 嫌であった。

わかめ自体は 食べられるけど、ご飯に入れると ムッとする匂いが いやだった。

豆ご飯も嫌だった。

赤飯も 小豆はよけて食べていた。

ふりかけもいらない。

何もしなくていいから 白いご飯だけが食べたかったのだ。

私も 母に対して 

「わかめご飯は 嫌いだ」といっていた。

しかし 私の場合 嫌でも ちゃんと食べていた。

それしか食べるものはないのだ。


そのことを 思い出し、

「ままも そういえば 白いご飯が 好きやったわ・・・」と わかめご飯のことなどを話し始めた。

すると

「給食で わかめごはんでた。」と娘。

「ぱぱは わかめご飯好きやったなぁ。」と主人。

朝食時に 珍しく 家族の会話が できました。


今になって ようやく 母が どんな気持ちで わかめご飯を炊いてくれていたのかがわかりました。

どれだけ 体にいいものを いれた ご飯を炊いていても、怒られながら食べるようでは まったく栄養にならないですね・・・・。

真っ白いご飯を にこにこしながら 食べる方が よっぽど 体によさそうです。


お母さん 今まで ありがとう。




かわいい女の子になりたかった

今日は 朝から 自宅開放。

人形つくりのサークルの方々(6名様プラスお子様4名さま)が、お部屋を使われ、その後 まんまランチ(500円)を食べて帰られました。

広い 田舎の家を このように 活用するのが 私の願いでした。

母たちが作業する中 子どもたちは おもちゃで遊び そして 自家製野菜をつかって体に優しいお昼ごはんを提供する。

私が やりたかったことが 叶った一日でした。


うちの駐車場は 少々停めにくく、お客様にかわって私が駐車することが多いのですが、今日は、帰えられるときにも、

「どうしても うごかせなくなって・・・・」と 私を呼びに戻ってこられました。

私は 一体どんな状態だろう・・・と おもって 出てみると、そんな大変な状態でもなく、一度の切り返しで 車を出すことができました。

「ありがとうございました ありがとうございました」と何度も頭を下げて 帰っていかれました。



かわいいなぁ〜〜〜〜できないっていいよなぁ・・・・


なんで できちゃうんだろう 私(笑)


そういえば 木工教室でも 私 なぜか 木を切るとか 釘を打つとか できちゃったんだよなぁ・・・・

男前なんだよなぁ 私。


女の子は できないくらいが かわいいなぁ・・・

できないことを できないですって いえるって いいよなぁ・・・

車を出せなかったお客様をみて 素直っていいなぁ できないって かわいいなぁと 思ったのでした。


今度生まれてきたら 男前じゃなくって かわいい女の子になるぞ!!(笑)


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摩耶
京田辺在住です。

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