なんちゃって ラスク

大根がとれる時期に フランスパンがたくさんうちにやってきていた。

そこで、大根をスライスして 干しておくのと一緒に

フランスパンもカットして 大根の隣に 干しておいた。


ラスクは オーブンでパンの水分を飛ばしてつくる。

なので、自然に水分を飛ばしても ラスク といえるのではないだろうか?電気を使わなくても保存食ができるのでは?と 考えたのだ。


2月か3月頃のこと。


今 フランスパンは ラスクになっている。

保存食になったのだ。


ラスクといえば 聞こえはいいが ただ単に乾燥させたパンです(笑)


ちょっとずつ ちょっとずつ パンを食べる度に 少しだけ残して 乾燥させておけば なんちゃってラスクができて、食べ物がなくなったときに 食べられるやん。と 思いました。

『いのってかなえてくれてありがとう』

昨日娘が 手紙を書いてくれました。

真ん中に ベビーミッキーが よちよち歩き出している絵。

そして周りに文字。

『ママへ いのってかなえてくれてありがとう』


一文字ずつ 色を変えて カラフルに書いてありました。


裏には鉛筆で小さな文字。

『ママへ いつもいのって まもってくれてありがとうございます。

のんちゃんは ママをきらいにならないよ。ママ大好だよ』



娘は 夏休みに学童に通っています。

学童では 時間割がなくて もって行くものが 普段の授業のときと違うので

何をもって行けばいいのかと 何度も確認をします。

【いつもと違うこと】なので 不安になっているようです。


そんなとき 「ママ いのっといてや」といわれます。

「わすれものがないように いのっててな」

そして 忘れ物がなく 無事に一日を終えると

「いのってくれたから 忘れ物がなかった」と いいます。

自分でちゃんと 忘れ物がないようにもっていってるから 忘れ物がなかったのに

ママが祈ってくれたからと 思っています。


「そばにいなくても 離れていても 祈ってるから大丈夫。」


そういって 送り出していたからかもしれません。


私が祈ることで がんばる気持ちがわいてくるのなら これからも 祈り続けるよ。

でも のんちゃん 

自分でちゃんと 忘れ物がないように もっていってるってことにも 気がついてね。



今だけかな ままのおかげ なんて おもってくれるのは(笑)

気がつくまで そっとしておこう。






自分の速度

悲しいことが起きてから 時が経つと 

状況が変わったわけではないのに

だんだん 苦しさが緩和されて 心が楽になってくる


今まで この苦しみから 楽になりたい と 思っていたのに

実際 楽になってくると

楽になっていいのか・・・・と 思う気持ちが 新たに生まれる。

不思議。

心って 複雑。

神様は いろんな感情があるということを 体験させてくれているのだろうか。


立ち直るとか 心が楽になるとか 

そこに 早く到達しなければならない と いうこともないんだなぁとおもう。


自分のスピードでいいと 思います。

話し相手がいる幸せ

『最近どうしてるかと思って・・・』と 友人がメールをくれる。

ありがたいことだ。


人に話すと 喜びは何倍にもなり 悲しみは半分になる。

一番辛いのは 辛いことを誰にもいえないことかもしれないね。





悲しみの中にも喜びがある

どんなに悲しくても 悲しいことばかりは続かないようになっている。

幸せなときには 感じることのなかった ちいさな ちいさな 喜びを

悲しみの中だからこそ 感じることができる


喜びの質のようなものは 変わったけれど でも それでも

『かみさま ありがとう』と おもわず いってしまうような 喜び。


人生で 一番の悲しみが 訪れたなら これからの悲しみは もう 一番の悲しみではない。

一番の悲しみが 通り過ぎたら 後の悲しみは 

あのときよりも まだましだ。と思えるね。



友人が 教えてくれました。

幸せな時間も 辛い時間も 悲しい時間も 楽しい時間も 苦しい時間も いろんな時間が 自分を素敵にしてくれるんだよ。

そうおもうと すべての時間がありがたい。


今は まだ そう思えない人もたくさんいると思うけど。


悲しみばかりは続かない。そう信じて生きていこう。



読書

個人懇談で、「読書をするお子さんは強いです」といわれて、遅ればせながら 読書をする時間を確保しようと考えました。

この話を 友達に話すと 読書に対する考えかた いい本 望ましくない本 など いろいろあることを教えてくれました。

いろんなアドバイスをいただいたのですが その中に 娘に本を読んでもらう という作戦がありました。

どんな本を読んでもらえばいいかなぁ と 考えたのですが、『カーズ』というディズニーの本を選びました。

たまたま 『カーズ』


この夏 カーズ2が 公開されるので その前に カーズのDVDを借りてみようとおもったら、みな同じことを考えているようで、すべてレンタルされていました。

また こんど借りようと 思っていたら、その後すぐに カーズの本を見つけたので、本で物語を知ってみようか?ということになり、カーズにしちゃいました。


そして、娘は 私にカーズを読んでくれることになりました。


読んでいるようすをみていると、イントネーションがあっていない言葉ばかりです。

ということは 言葉を知らないのに読んでいるということです。

頭で物語を想像できないのに 文字だけを追って声に出してよんでいる という状態なのがよくわかりました。

この本に出てくる言葉は 今の娘には知らない言葉ばかりなんだなぁと 思いました。

知らない言葉ばかりなのに 一生懸命読んでくれているのです。


もっと 娘が理解しながら読める本にしないと 本を読むのが楽しくないよなと 思いました。 

カーズは 私が 娘に読んであげる事にします。


読書しよう大作戦 まだまだ続きそうです・・・・。

どこが最高?

今日 私の弟と姪甥が遊びに来てくれる事になりました。

娘に、「ぱぱに 遊びに来てもらってもいいか 聞いておいで」といって 聞きに行った娘は

「ぱぱ最高!」といって 喜んで帰ってきました。

遊びに来てもらっていいよ と 返事をしてくれたことが 嬉しかったのでしょう。

「のんちゃんの ぱぱは 最高やなぁ」というと

「ままも最高やで」と いいました。

「どこが最高?」ときくと、

「のんちゃんが怖いとき ぎゅっとしてくれるところ」

この日 ちょっと 大人な映画を二人で見に行っていて 怖いシーンがあったので、私に抱きついてきたのでした。

「のんちゃんは?」と娘が聞いてきたので 

「のんちゃんも最高やで」というと 

「どこが最高?」と 聞いてきました。

私は 娘のどこが最高だろう?と ちょっと 考えました。

ちょっと考えて

「やさしいところ」と答えると

「ちがうで のんちゃん知ってるで」といって 自分で何が最高なのかをいいました。

「のんちゃんは ままの願い事を叶えるところ」

(*^-^*)

そうだ そのとおり☆

娘は 私の願いを叶えてくれる。


今日 娘と観に行った映画に エッフェル塔が出てきた。

娘は映画の最中に 

「ままが行きたいところ ここやろ? のんちゃん おおきくなったら キャンピングカーを買って それで、パリに連れて行ってあげる。

でも 早くしないと まま おばあちゃんに なってしまうなぁ」

キャンピングカーで パリに連れて行ってくれるらしい^^

そんな会話をしていたので ままの願いを叶えてあげる私って最高!と思ったようだ。

 
「もう のんちゃんは ままの願いを叶えてくれてるんやで。」というと、

「???」

「『どうか あかちゃん きてください!!』と お願いしたら のんちゃん来てくれたし、『助産所で 生まれてね』っていったら 助産所で生まれてくれたしなぁ もう だいぶ願い事叶えてもらったわ」

といいました。


間違いなく 最高の娘です。 

心は自由

なにがあっても どんな状況でも

心だけは自由です

祈る

私は 朝起きる前にいろいろ考えることがある。

考えているのか 言葉が降りてきているのか?定かではない。


でも その言葉に 自らが妙に納得して (そうか そうだよね)と納得するときがあるので考えているのではなく、言葉が降りてきているという表現の方が適切なのかもしれない。


ある日の朝は こんな言葉が降りてきた。

『今回の目的は達成した。あとはおつりの人生』

(そうか 目的達成したか・・・・そしたら 今後は なにをしたらいいのかな)

そう思っていると 

『人の為に祈る』という言葉が浮かんだ。


人のために祈る

自分の願い事ではなく 人の為?

そうだよな 自分の目的を達成したなら 自分の願い事は必要ないのだから 人の幸せを祈ることをすればいいのか!!

そう思ったら 

なんだか 軽くなった。

軽くなるというのは 気持ち というか なんか そうか!!と スッとしたというか・・・

なんといったらいいのかわからないけれど。


そう思ったら 私の頭の中に占めていたいろんな祈りのような言葉が 変わってきた。


自分が満たされたんだと思ったら なんか 変わった。


祈る

祈る

祈るのは 誰でも いつでも どこでも できる。

でも 私 いままで あまり 人のため 世界のために 祈ってこなかったような気がする。


震災が起こったとき 『祈るしかできない』と思ったけど、

しかできないではなく

祈ることができる と 思ってなかった。


祈るって 私が思っているよりも ものすごい ことなのかもしれない。


朝起きる前に こんなことが頭に浮かんで そして 

(あ〜〜〜〜私は これから 人のために祈ればいいんだ・・・・)と 妙に納得し、なんだか安心感みたいなものが溢れた。


そうおもったら なんだか 自分のなにかが 大きくなったような気がした。



娘が 最近 「まま 祈っていてね」と よくいう。

それは このことを 教えてくれていたのかもしれない。

人のために祈りなさいと 娘は、いつも言ってくれていたのかもしれない。


祈ります これから。

役目

もうすぐ8月です。

8月は 今までとは かわります。

今までと これから。


8月 どのように過ごすことになるのか


思っていたように 過ごせなかった とか こんなことをすることになるとは・・・とか

今の自分が思っているように 過ごさないかもしれませんが 

この8月に することになるのが 本当に 自分がしたかった生き方のような気がします。


どうなるか どんな日々になるのか わかりませんが 

毎日 「どんな日になるのだろう?」と ちょっと わくわくしながら すごしてみてはどうでしょうか?


たとえば

仕事が大好きで 生きがいのように感じていたのに この8月 いろんな事象が重なって 子どもと過ごす日々が多くなった・・・・とすると

本当に 今回の自分がしたかったことは 「子どもと過ごす」だったのかもしれません。



なんだか そんな気がします。

あくまでも これは 私の独り言。

なんだか そんな気がするって 感じです。

分かれ道

先日 小学校3年生の娘の個人懇談がありました。

娘 勉強できないようです。

できないことを伝えられて 親はどうしたらいいでしょう??

と おもって 聞いてみました。

どうやら 2年生のときの勉強の基礎が しっかりと身についていないので、少し難しくなる3年生の勉強についていけないらしい。

算数の文章問題も 国語の作文も 文を読み取る力がないので、難しいのだそうで 読書をしているお子さんは強いのだそうです。

読書。

娘は 私に似ずに読書をしています。

もっと読書をしなければいけなかったのか?

読書なんて今も昔もそれほどしてこなかった私は 私より小さいときから本を読んできる娘をみて感心していたのですが・・・・。


この話を 職場の先輩お母さん方にしてみると みなさん 子どもの勉強をよく見てあげていたと教えてくれました。

勉強って 親が見てあげないといけないの?

でも みたところで、やらせたところで 頭のよさなんてかわるのだろうか?


3年生をどう過ごすかで 理解力がつくかどうか 分かれるらしい。


娘はどんな道選ぶのか?

娘が選ぶのではなく 私が選ぶのか?


世のお母さん 子どものために がんばってるのね。

わたしできそうにありません^^;


心を楽にする方法 その2

以前 心を楽にする方法をお伝えしましたが、

もうひとつ 発見しましたので お知らせします。

心を楽にする というか 不思議な出来事が増える方法といいますか・・・・


前回の方法は 本音を発する という方法でしたが 今回は

「ありがとう」を発する。



3月11日の震災の翌日から 私の友人が 近くの神社に朝陽が登る頃に訪れて 毎朝33回の有り難うございますを 朝陽に向って唱えるということを実践していました。

毎朝ですよ。

毎朝。

そして、100日経ったある日。

どこからともなく 

もういいよ・・・の声が聞こえたそうです。


その友人が

「ありがとう」って いえばいうほど 「ありがとう」といいたくなる出来事がどんどん自分のところにやってくるよ。

と 教えてくれたのです。


引き寄せるということでしょうか?

よく 愚痴を常に言っている人は 愚痴をいいたくなるようなことばかり起こるって言いますけど、そういうことかな?

と 思っていました。


でもね。

私、この話を聞く 前の日に、急に空に向って 感謝したい気持ちになってて 感謝したんですよね。

なぜだかわからないけど 朝 急に そんな気分になって・・・・。

以前は よく 感謝していたんですが ここ最近 そんな気分ではなくて 朝陽を見ることもしていなかったんですけど。

そしたら、その日から 急に 何かがかわったんです。


だから 友人が言う 「ありがとう33回」

試してみようと 早速次の日から やってみることにしました。

すると

すると・・・

本当に ありがとう と いうことが 起こってくるんです。

本当に

本当に 不思議です。


心が楽になりたい と 思って やったわけではないですけど、

ありがとうって 思うことが 日々増えるのって やっぱり 心が楽になります。


どんな辛い状況でも 小さなありがとうは 日々の生活に ちりばめられていて

自分が辛いときは 小さなありがとうに 気がつかないかもしれないけど ちょっと意識を変えてみると いっぱい いっぱいあるのかもしれません。

ありがとうだらけかも。


心を楽にするんじゃなくて 日々のありがとうに 気がつく方法かもしれません。

私の周りに 今でも ありがとうが いっぱいあります。

そのことに 気がつけて よかった。


毎朝 朝陽にむかって ありがとう33回 

お奨めです。



7月中に

やりたいことは7月中にやっておいたほうがよさそうです。

「あの人と連絡取りたいけど・・・まぁ また今度にしよう」

とか

子どもに

「ままぁ ○○したい」といわれて「また 時間があるときにね」なんて いって やってこなかったこととか ありませんか?

まだ やってなくて 心残りのことがある人は、夏休み中といわず、ぜひ、7月中に 完了してください。

そして 何もかも 済ませて 8月を迎えましょう。



・・・・そんな気がして 私も 夏休み中にしよ。と思っていたことを 7月に終わらせることにしています。

娘が 自分の部屋が欲しいと言い出して、2階に娘の部屋を作ることにしました。

夏休み中に・・・と 思っていたけど 7月中にやっちゃいます。 

心を楽にする方法

心が苦しいとき

自分がどうすれば 楽になるのか?


そのひとつの方法を 発見!


【自分の本音を口にする】

口にする=声にする


誰かに言わなくてもいいんです。

自分が一人のときに 声に出して言ってみてください。


その言葉は 他の誰かが聞いてしまったら 怒られるような そんな言葉でもいいんです。

「ばか!!」と いいたければ 「ばか!!」と 声にする。

もちろん 長い文章でもいいですよ。


こんなこと おもっちゃいけないとか いっちゃいけないとか そんなこと 考えないでください


自分の心を救うためですから なんでもOKです^^


するとね 不思議と 心が救われます

本当に苦しいときに お試しください


自分の心は 自分でしか 癒すことができないです

他の誰かをあてにしていては そのほかの誰かを失ったとき どうしようもありません。


本音って 本当の音って書くんですね。

頭で考える思いは 重いのですって 【おもい】だけに(笑)

頭で考えてばかりいると だんだん重苦しくなってきます。


頭で考えないで 心で感じることを発する 

それが 本当の音なのでしょう。



私は この本音を口にするのを3日ほど続けてみました。すると もう その言葉を口にしたいと思わなくなりました。

そして なんだか 心が楽になったのです。


不思議だけど 本当の話。

もし 今 心が苦しいなら 試してみてください。

お金もかからないしね お勧めです(笑)







みつかるよ

5月に なくしたと思っていたものが

7月に 見つかりました



7月 『何かいいことありそうだ』と

何の確信もないのに なんだか わくわくしていました。


そしたら いいことありました。


なくしたと思っていたのは 自分だけで、それは なくなっていなくて、

自分が見失っていただけなのです。


自分の一番近くの 自分の一番大事なものの中に それは ちゃんといてくれた。


もし 今 なくしたものを探しているのであれば 

それは なくなっては いないのかもしれないです。


あなたの そばに いますよ。きっと。

あなたが 見失っているだけで。


8月は もっと いいことが 待っています。

こんなことなら・・・

放射能が 空から降ってきて

知らない間に 体の中にはいってて

知らない間に なんだか 体の具合が悪くなる・・・


そんなことになるのなら

娘に ステロイドたっぷり与えて 痒くない人生を 過ごさせてあげればよかった



未来があると思うから 

娘もいつか 子どもを産むと思うから

だから 選んだ道だったのに



産まれて 今まで 朝まで熟睡した日なんて 数えるほどしかない

起きている間も

痒いせいで イライラする時間も 多い


でも ステロイドを選ばなかったのは

未来があると 思っていたから。


「こんなことなら ステロイド つかって 痒くない日々を過ごさせてあげればよかった」


そう 友人に話したら

「いやいや 今まで使ってこなかったから 今の環境でも ひどくならずに済んでいるんだよ。使っていたら もっとひどくなっていたかもよ。」


そういわれて、救われた。


でも もし 娘が あと一年で この世を去るとしたら どうだろう・・・・。

この8年 かゆみと戦ってきたのは 何の意味があったのだろう?


なんか わからなくなってきた。



でも 友人に 自分が思っていることを話したら 「これまでのことは間違いじゃないよ」と言ってくれた気がして なんだかホッとした。

自分ひとりで 誰にも言わずに 心の中で思っていないでよかった。







逢えたかな?

一年に一度 愛している人と逢える日。

あとの364日は 逢えないんですね。

寂しいかな?

お互いが逢いたいと思っている人同士なら

逢えない364日も 寂しくないね。


逢いたいと思っている人同士が 逢えますように・・・・。

反省してください

反省したことを

反省してください

嘘をつく 

 娘が 嘘をつきました。

嘘じゃないといいはった 娘の態度に 驚きました。

「ほんとやもん ほんとに もう 全部読んだ」と

宿題の 音読を全部済ませたといったのです。


今の 娘の宿題の音読は 結構長いお話で はじめて読んだとき時間がかかったので そんな早くに読んでしまえるわけはないと 思ったのです。

何度も

「ほんとに よんだ? まま 聞こえなかったで」といっても

「ほんとやもん ほんとによんだ」と だんだん泣き始めました。

その 様子を見て 私は (私が まちがってる?)と 思うほど 娘の言い方は真剣で、本当に全部読んでしまった娘に対して私は疑ってしまっているのだろうか?と 不安になるほどでした。

この日 学校から帰るとき 足がだるい といっていて とても疲れているようすだったので、宿題はしなくていいよ。疲れてるんやから と いう話をしていたのですが、娘は 帰宅してすぐ音読を始めたのでした。

「ほんとによんだ ほんとやもん」を繰り返しました。

真実は わからないので 私は 娘の真剣さを 信じることにしました。

お風呂に入ろうと 脱衣室に向った私を娘は 足を引きずって追いかけてきました。

ひどく泣いた娘は だるい足がますます痛くなったようで

「痛い 痛い」と 大声で なきはじめました。

私は 

「神様は のんちゃんのこと よくみてはるからなぁ うそついて、全部読んでいないのに 読んだっていってるから もっと 足をいたくしはったんちゃう? 本当は よんでないんやろ?」

といってみました。

いってみた という 感じだったのです。

この時点で 私は 娘は 嘘をついていないと思っていました。

ところが!!

娘は 「うん」と 頷いたのです。

え?

まさか

まさか

の 頷き。


(神様 って 言葉 すごいね あれだけ わたしが 聞いても 本当のことを言わなかったのに 神様をだしたら あっさり みとめるんだもんね)


私は おもわず カッとなって娘の頭を 思いっきり たたきました。

さっきの真剣な 「もうよんだもん」の顔。

私に 何度も よんでないやろ?と いわれても 読んだと言い張ったあの顔。

あの顔は 嘘を見破られまいとする顔だった

そんな風に嘘がつけるなんて!!!

私は 娘を 脱衣室から追い出して 一人で お風呂に入りました。

娘は 座敷にいって 大声で泣いていました。

「ママのばか!ママのばか!!」と 聞こえてきました。

私がお風呂から上がっても 泣き は おさまっておらず、

言葉が変わっていました。

「のんちゃんのばか! のんちゃんのばか!

のんちゃんなんか しね!! のんちゃんなんかしにまくれ!!」

なきながら 大声で この言葉を 叫んでいました。

『しにまくる』 なんて言葉 はじめてききました。


さあ 私 ここから どうしたものか

娘に対して どういう 言葉がでてくるのか

どんな態度で接するのか

と 自分で 思っていました。


お風呂から あがった私に気がついた娘は じわりじわりと 私に近づいて なき続けます。

まず、汗だくで泣く娘を冷静に させようと

服を脱がして お風呂に入れました。

お風呂でも しばらく泣いていたようですが もう 叫ぶのはおさまりました。

そして しばらくして あがってきて 私のところに来て

「ごめんなさい ごめんなさい」

と 抱きついて謝ってきました。

娘とソファにすわり 娘を抱きしめました。

そして私から 出た言葉。

「のんちゃん。 ままには 嘘 つかんといて。 
音読できなかった日でも【読みました】のサインをするから 一緒に嘘をつこう。だからままには嘘つかんといてな。今日は読めないし 嘘でサインしてって 言ってくれたらサインしてあげるし。一人では嘘つかんとき。」


こんなことを いってしまいました。

これ どうなんでしょう???

「それから 死ぬのも。
ひとりでせんといてな。のんちゃんが死ぬんやったら ままも死ぬし 一人で死んだらあかんで。」

これも どう?


でも こんな風に いってしまいました。


その後 晩ご飯を食べようとしたとき また 娘は 泣き始めました。


「どうしたん?」

というと

「うれしかったぁ!!」と 号泣。

なにが 嬉しかったのかと いうと

『一緒に 嘘をつこう』といってくれたことが うれしかったのだそうです。


へんなこと いっちゃったかなぁ・・・・

でも いっちゃいました。


次の日。

娘は早速。

「まま 今日読みたくないし 嘘でサインして」

こんな簡単に 嘘をつこうと いってくるなんて・・・・

私は いってしまった手前 

「わかった」といって サインしたのですが、

娘は 「やっぱり 読むわ」といって 最後には読みました。


お風呂に入っているとき 

「のんちゃんって 他のこともいろいろ うそついてたん? 歯磨きしてないのにしたよ〜とか 他のこともいろいろ」と聞いてみると 

あっさり

「うん」と。


わが娘は嘘をついて その場をやり過ごすというような 知恵がない子どもだと思っていたのに 案外いろいろと嘘をついて やり過ごしていたようです。

知らぬは親 ばかりなり。










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摩耶
京田辺在住です。

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