告白 2

告白された娘は 最近

私に告白をする。

娘「ままぁ・・・ あ〜〜〜 これいうたら

ままおこるかもしれへん・・・・」

私「のんちゃん そこまでいうたんやったら おしえてよ」

そんなやり取りをして

娘は告白を始める。

娘「のんちゃんな うそついてん」

私「へぇ どんなうそ?」

娘「くもんのな 宿題やっていかへんかったやろ?それをな もっていってたけど、先生にださへんかって わすれてきたって うそついてん」

私「ふ〜〜ん そうなん やってへんかったんをいうのが いややってんなぁ」

娘「うん」

娘「それからな 学校で クラブの時間に どの教室行くのかわからんかって、あとでわかってんけど あとから はいるのいややって ずっと廊下でたっててん。
あ〜〜こわかったわ。」

私「え〜〜〜!!そんなん先生出席とらはらへんかったん?ずっとはいらへんかったん?」

娘「うん。時間が終わって 友達が教室から出てきて『あれ?のんちゃんいてた?』っていわはった。」


この告白 どうなんでしょう?

娘がどこかでたおれてても1時間気がつかないってことですか?

クラブの時間は クラスの子がばらばらになってそれぞれのクラブの場所にいくので担任ではない先生が担当だったようです。

私は 娘が教室にはいれなかったことを 遅れてもはいらなあかんやん と いうより

先生なにしてはったん?という思いが強く沸きました。

あれあれ?

これって モンスターペアレンツ?

そういえば 最近 モンスターが気になってたんだった。


ちょっと 遅れたくらいで 教室にはいれないなんてね・・・・。

いったい誰に似たのか・・・。


娘からの告白って ドキドキするね。





モンスター

モンスター



京都駅

内緒。

初めての告白は 父親にも内緒にしてほしいということなので

先日のブログを読んだ方、うちの娘には 内緒にしてください。

よろしく〜〜

はじめての告白

「まま 今日 うれしいことがあってん」

「へぇ どんなことがあったん?」

「のんちゃん そんなん はじめていわれてんけどなぁ・・・」

「うん」

「『ほんとは のんちゃんのこと すき』って いわれてん」


娘が はじめて 告白されました^^


隣の席の 男の子に 給食の時間に

ちょっと 来て って いわれて

告白されたらしい。


「でも のんちゃん なんで 『ほんとは・・」なん?」と きくと

今までは違う子のことがすきって いってたらしい。

それで 「ほんとは」なんだね。


その男の子 

うちの娘が1年生の頃 朝教室に入りにくくて 靴箱でぐずぐずしていたときに 初めて娘に「一緒に行こう」と 声をかけてくれた男の子なんです。

その頃はクラスが違ったんですが、私は クラスも違うのにやさしい子やなぁと覚えていたんです。

その子が 今は隣の席で 娘に告白。


うわ〜〜 素敵だわ〜〜〜^^


「ままも 4年生のときに はじめて 好きな人できたわ〜〜」と

自分の初恋年齢を告白。

娘 特にコメントなし。

4年生って そんな時期なんですね〜〜


いいなぁ 初めての告白。

告白するのは いつやろね。

告白するときも 教えてくれるかな?

ごめんね。私。

今日のブログの内容は 自分でもなんだかよくわからない文章になっている。
(いつもがわかりやすいのかどうかは わからないけど)

けれど とても大切なことに 気がついたような気がするので 書いてみた。

終わりが見えない暗いトンネルの中や

暗い海の底に いるような気分の人が いるとしたら

何かの役にたつかも。

気分最高絶好調!!の人にとっては 

なんのこっちゃ?かもしれない 

そんな方は スルーしてください。




11月17日の夜

私は 私に今まで悪いことをしていた と 気がついた。

なんか不思議だけど 自分が二人いるような感じがした。

考えている私と この体の私。

心側と 体側といおうか なんといったらいいか・・・。


親から愛されなかった子は自分に価値などないと思ってしまう どんな命でも愛されるに値する存在なのに・・・・というような文章を目にした。

このフレーズは その手の本を読んでいれば よく耳にする というか 目にする。

なのにこの日は そのことについて考え始めた。


私は 愛されなかったとは 思っていないが 親が私に特に関心がないということは感じていたので 常に寂しいという気持ちは持っていた。

3人兄弟の一番上。

2歳違いの弟が生まれる頃から両親の仲がよろしくなく、母の意識は常に子供よりも父に対する怒りや嫉妬に支配されていたらしい。

子供の頃には 私に関心がない理由がそんなことだとは思っていなかったが、私の相手をしてもらったという記憶はなかった。

思い出すのは 小学校低学年の頃 私が算数の問題がとけなかったので 母が広告の裏に練習問題を書いてくれていたことがあり、そのときにおもったのが
(お母さんが 私のために問題を書くほど 私はわかってないんやな。大変なことやねんなぁ・・・。) と 思い、母が私のために時間を割いてくれるなんて通常はありえないと思っていたのだ。

そう 思った自分を思い出すと それほど私のことを考えてもらっているという気持ちが普段なかったんだと 思う。

客観的にみると 『問題を書いてくれるなんて 子供のことを考えてくれてるやん』 だ。そう思う。

それに ほかにも いろいろしてもらっていたと思う。今朝なんて衣類の整理をしていたら、母が私のために編んでくれた紫色の毛糸のロングドレスが出てきた。丁寧に編んである。大作である。

だけど 幼い時に感じた (母が私のために時間を割くはずがない)という気持ちは 私の本当の気持ちだった。

私は もしかして (自分なんて・・相手にされる価値もない・・大事になれる価値もない人間なんだ・・)と どこかで思っていたのかもしれないと 考えてみた。

そう 思っていたという自覚はない。でも あえて もしかして そう思っていたのかもしれない その気持ちと向き合わずに 今まで来ていたのかもしれない。と思ってみた。

そして私は いつのまにか寂しがり屋の私になっていたのかもしれない。

寂しいという気持ちを 誰かに 寂しくなくしてもらおうと 思っていた。

でも その解決を 誰かに頼っていては いつまでも解決しない。

だって 人は変わるし いなくなる。

ある一時期 解決したとしても 

それは 永遠には続かない。


恋人ができたとか

結婚したとか

子供ができた とか


自分以外の誰かがいて ようやく満たされる というような ことでは

それがいつか 自分のそばからいなくなったとき

立っていられなくなる。

もちろん 大切な人が そばにいてくれるのは 心の支えである。しかし そこへどっぷりつかっていては 大変だ。


そして 必ず いなくなる。

いつか いなくなるものに依存していては 大変だ。

私は 自覚はなかったが ずいぶん他に依存しているのかもしれない。


なくならないものはないのだろうか?と 考えた。

いつも ずっと そばにいてくれるのは・・・と考えてみた。


いなくならないのは・・・・自分だ。


自分はずっと 自分のそばにいる。

(この時点で 自分が二人いるような気持ちになった)


なにをいってるの?

という感じかもしれないけど、こんな風に 考えた。


自分が二人いるような気持ちになったのだ。

考えてる自分と 体のほうの自分。


今まで まるっきり 無視してたわ〜〜 と 思った。


ここ最近 体のほうの自分は 心の自分に一生懸命アピールしていた。


やせてみたり 太ってみたり

腰痛を起こしてみたり 体調をくずしてみたり

炎症をおこしてみたり・・・

ここしばらく 立っていられない日々が なんと 多かったことか・・・。


心が立っていないと

体も立っていられないのですね。


体を大切にしてくれないので もう!気がついてよ!!と、もう一人の私が怒っているとしか思えない様子。

体がいろいろ変化して 日常生活に支障をきたし、生きにくくなってきてようやく、気がついた。


自分自身が 自分のことを一番に考えて大切にしてあげればいいのだ。

自分の体を大切にするのは 一番大事なことだった。

ここまで考えて もうひとり いるような気になってきた。

体の自分と 心の自分と それをみている もう一人の自分。

(なんかややこしくなってきたね)


そう考えたとき ふと 周りの人たちのことを思い出した。

私の周りにいる人は みな

自分のことを大切にしている人たちだ。

(みんな 知ってるんやなぁ〜〜)と 思った。

知って大事にしているのか 無意識なのかはわからないけれど。

心と体を大事にしている人。

自分の心が喜ぶこと を よく知っている。


私 自分のことを大事にしてなかったなぁ・・・と 思った。

『私は 愛される価値がない人間だと 思っていたのかもしれない』と 仮定してみたら、ここまでやってきました。


自分が自分のこと一番に愛してあげなきゃね。

『大丈夫 私。私がついてる!』




 













教室再開

教室再開

おもらし

あ〜〜あほらし

あ〜〜あほらし

なんか なにもかも

あほらしくなってきた


落ち込んだり

喜んだり

前向きにがんばろうとおもったり

楽しもうとおもったり

怒ったり


そんなことをするために 生まれてきたらしいのに


なんか すべて どうでもよくなってきた


あ〜〜 なんか 何もかも あほらし。


そんな日もある?


落ち込むとか

悲しむとか 

そういう気持ちのほうが 生きてるって感じがするなぁ


どうでもいいって

生きてる感じしないね

散歩じゃないよ

娘が2度目のフルマラソンに挑戦する。

トレーニングは まったく積んでいない。


時々大会に出場。

時々サイクリング。


というわけで、今日は

学校から帰ってから晩御飯を済ませ、

トレーニングに出かけた。


ホノルルマラソンは コースの途中にハイウェイがあり、

2年前 娘はハイウェイ手前で断念した。

なので

「ハイウェイの練習しよ。」といって 家の近くを通っているハイウェイの歩道を歩いた。

娘は頭にかわぐちひろし(懐中電灯)を装着。←今は知ってる人少ない?(笑)

「まま 手 つないで歩こう」

そういって 娘は 私の手を握り 私の上着のポケットに突っ込んで歩きだした。


夜のウォーキングは 日焼けを気にしなくていいし 着る物も特に気にならないし

空気が澄んでいないのだけが 惜しいところだけど 結構 いけます。


歩きながら娘は いっぱいお話をしてくれる。

学校のこと。友達のこと。今週末 行われる学習発表会での 歌のこと。

「もみじ」も歌うようで それなら ままも知っていると、

二人で歩きながら 二部合唱の練習。


マラソンに挑戦ってことがないなら こんな暗闇に娘と二人 ハイウェイの歩道を歩くなんてしないだろう。

最近では 学校にもついていかなくていいので(笑)娘とこうして歩くなんて久しぶり。


娘の頭のかわぐちひろしは 煌々と道を照らし 私たちは 話したり歌ったりウォーキングを楽しんだ。


次の降り口で 反対側の道に渡った。

いったん降りて道を渡った状態。

私たちは 二人とも生まれてはじめて歩いてこの道を通るので道がどうなっているのかわからなかった。

高架をくぐって 反対側の乗り口があった。

よかった。よかった。


よかった・・・のは このあたりまで

だんだん 疲れてきた 私。

娘は へっちゃら。

「のんちゃん 足だるくない?」ときいたら、

「ぜんぜん」という。

「よし じゃぁ トレーニングやな。向こうまで 走って また 戻っておいで。」

そういって 何度も 走らせた。

私は 歩いている。

私の元に戻ってきた娘は

「あっちまで 走ってみてみたら ままが こ〜〜んなに小さくみえた」と笑う。


人間 衰えるのね〜〜〜。

3年前は 4時間のランニングもこなしていた私。

今からは 想像もつかない。

よく あれだけ 走れたものだ。遅かったけど。

今は1時間歩くもの しんどい 私の体。

娘のトレーニングのために 歩いているけど

(私のリハビリやな・・・)と 思いながら 歩く。


何とか無事 家にたどり着いて まもなく

父親が帰宅。

娘の第一声。

「ぱぱぁ 今 ままと散歩してきてん!」


おいおい 娘よ。

散歩じゃないでしょ。トレーニングでしょ。


娘にとっては散歩。

私にとっては おもいっきりトレーニングの 暗闇ウォーキングでした。

お茶漬け

のんは今日の朝お茶漬けを食べようとしています。

お茶漬けの入れたては 熱いですよね。

なので さっきから冷めるのを待っていました。

そのとき、のんはコタツの中でじっとしていました。

ままにみつかって 「はよお茶漬け食べや」といわれました。

のんはお茶漬けを食べようとしたら、まだ熱かったです。

ままに言われました。

「そういうときは ごはんを上に持ち上げて ふーってすればいいんだよ」

こんなこともわからない。

小学4年生の のん。


以上 のんの言った文章でした。

アップ

アップとルーズ

内出血

コタツの中

いつも のんは 学校から帰ってくると

足をくさくして帰ってきます。

今は 冬に近いですから

コタツを使っていますね。

今日は帰ってきてから コタツの中に入りました。

いつものことですが

コタツの中をにおってみると

あたたかい空気と自分の足のにおいが、混ぜ合わさった においがします。

なので

ままに「足くさい」といわれました。

それは 当たり前のことですね。

くれぐれもコタツの中には足を洗ってから入りましょうね。

以上 のんが言った文章でした。


***********************

前述の「へたくそめ!」で 気分を良くした娘が

「コタツの中」ってかいて! と言い出し

娘がはなし 私が打ち込みました。

文章は すべて娘の言葉です。

へたくそめ!

自分のいった言葉に驚いて

笑えて笑えて 仕方ありません。


娘が アイスをタッパーに入れる様子をみて

「へたくそめ!」と いった私。

今もこれを書いていて

噴出しています。


どうして こんな言葉が私の口から出たのか。

笑えて笑えて仕方ありません。


娘は

「そんなんいわんといて!」といって

私のひざに顔をうずめて泣き始めるし、

私は

「ごめんごめん」といいながら

そんな言葉が なぜ出てきたんだろうかと

笑えて仕方なくて・・・。

娘には悪いけど、こみ上げる笑いを抑えられません。


ツボにはまったとしか言いようがありませんが、

私が なんども思い出して笑うので 

娘もとうとう笑い始めました。


そして 私がパソコンをひらいたら、

「『へたくそめ』を書くの?」といわれたので

こうして書いています。


こんなこと書いて 喜んでくれる人がいるのかわかりませんが・・・。


そして今

この文章を娘が読んで!といったので

声に出して、はじめから読むと

また へたくそめ!で 笑えて 

二人で笑って笑って ハハハハ

あ〜〜面白かった。


こんなことで笑えるなんて

あ〜〜あほな 43歳です。


幸せ 幸せ。

「はい おしまい」 BY娘。

ナウシカ

ナウシカ

時は愛やねんなぁ

今日は ふと

『時は愛やねんなぁ』と 思いました。

自分に対して 時間をかけてもらった と 感じたとき

人は そこに愛を感じる


自分の時間を 人のために使う

そのことが 愛。

前田

前田

最後の日

今日は42歳最後の日でした。

そう、明日が誕生日なのに 今日はたくさんの人からおめでとうをいってもらえました。

一人は 今日がほんとの誕生日だと思ってお祝いメールをくれるし、間違いとはいえ なんだか面白い一日。

43歳を祝ってもらったのではなく、42歳の最後を祝ってもらったようでした。


昔の私は 42歳の私をとても楽しみにしていました。

その42歳があっという間に過ぎ去りました。

もう 私の人生の42歳という年は やってこないんですね。

少し寂しい気がします。


今あることに 感謝できていなかったことに気がついた42歳だったかな?

家があるとか 食べるものがあるとか 

こうして自分の思いを発信する場所があるとか

どれもこれも当たり前みたいにあったから。


でも当たり前ではないんだなぁと強く思いました。

健康もなくしてみてわかるしね。

動けること 歩けることが ありがたい。

痛くないって ありがたい。


今あるものに感謝して 43歳をはじめましょう。

みなさん どうも ありがとう。







11月16日

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九頭竜

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日本国憲法

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ゆらら

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摩耶
京田辺在住です。

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