信楽へ  bR

今日は久しぶりに信楽に行ってきました。

私の好きな信楽の作家さん田田窯芦田陶房さんのご自宅へ。

築87年の自宅を改装し引っ越す前にこの芦田さんの陶器展を行ったのが5年前。

この度5周年記念ということで再び陶器展を開催しようと思い、打ち合わせに参上したのでした。

私の住む地では桜が満開ですが、信楽はまだまだつぼみも膨らんでいない状態でした。

あと2週間くらいかかりそうな感じです。

それほど気温が違いました。

信楽畑(はた)の一本桜もまだまだでした。


芦田さんはご夫婦で陶器を作られています。

私の母と同い年 昭和16年生まれだということが判明。

最近は 仕事をする時間を短くして ゆっくり過ごす時間を大事にされているようです。


今回の陶器展は 私が好きな「蔓葡萄」と「木と小鳥」の柄を中心に、ちょっと小ぶりの陶器を展示予定です。

打ち合わせ後 近くのMIHOミュージアムに立ち寄りました。

今、古代のガラス展をされています。

初めて訪れましたが、よかったです。

ガラスの碧がとても美しかったです。

大きなラピスラズリが 一番に目に飛び込んできました。

ラピスラズリは 私が若い頃一番初めに手に入れた石でした。

深い深い碧色です。

そんなことを思い出しました。



こちらも桜の木がありましたが、まだまだ咲きそうにありませんでした。

ミュージアムの中に入るには拝観料が必要ですが、桜を見に行くのは無料でよいそうです。

建物が世界的に有名な海外の建築家さんのものらしく、海外からのお客様がとても多くて驚きました。海外からのツアーに組み込まれているらしいです。

建物からの外の景色も素敵でした。

きっと紅葉の季節もいいと思います。


ガラスや木の雑貨 書籍 文房具類 鞄やTシャツなども販売されていました。

レストランやカフェもあって、長い時間ゆっくり過ごせそうな場所でした。

また 行ってみたい場所でした。

2週間後 行ってたりして(笑)




さみしいなんてない bQ

私の母はきっとずっと寂しかったんだと思う。

その感情を私はきっちり受け継いだ。

私もいつも寂しい。

この感情は娘に受け継がれるのだ。

「本当は寂しいという感情は自分の中にはないんです」とある人が言った。

公園の砂場で幼子が一心不乱に砂遊びをしている。

その子は寂しいという感情はない。

砂で遊びたいから遊んでいるのだ。

親の寂しいという感情を受け継いで、また子に受け継がれる。

寂しいという感情はやっかいだ。

こんな感情なければ良いのにと思う。


春休みになり、娘は友達の家を渡り歩き、ほとんど家にいない。

夜も友達の家にお泊りだ。

さみしい。

でもここで

「のんちゃん いないと寂しいわ〜〜」なんて 言ってはいけない。

「楽しかった?よかったなぁ!!」と明るく迎えるべきである。

娘には あまり 寂しいと感じる子になってほしくない。

一人でも楽しく生き生きと生きて欲しい。


本当は寂しいなんてないんだとわかっても寂しいのはどうしたらいいんだろうね。

最近私は寂しいなぁと思うとき

「さみしいなんてない さみしいなんてない」と自分に言い聞かせている。

ヴィクトール フランクルさんなんて、愛妻が亡くなっても 愛した時間があったという過去があるので今亡くなっているということは問題ではないという。

そんな境地に至るにはどうしたらよいだろう。


これからますます娘は私の元を離れていくのだろう。

中学生の子を持つ友人が言っていた。

「中学生になったら、ほとんど家にいいひんで」

わ〜〜どうしましょ。


「さみしいなんてない さみしいなんてない」

呪文のように唱えるしかないか。

とりあえず フランクルさんの「夜と霧」を読んでみるか。





100分de名著  bP

100日ブログ更新の初回。

何について書こうかな?と考えて、100つながりで『100分de名著』にしようと思い立った。


だらだらとぐたぐたとテレビを見続けるのも悪くない。

こんなすごい番組がやっていたなんて知らなかった。

『100分de名著』

NHKがやってます。25分番組4本立て。だから100分。

それで本1冊を紹介する番組。

そこで紹介されていたのが、

ビクトール・フランクル 「夜と霧」

このフランクルさんはすごい。

収容所で囚われの身となっていながら、人生とは何かを 周りの人に語り、自殺しようとしている人に希望を与えた。

こんなすごい人いるんですね。

本を読むのが苦手な私だけど、これは読んでみたい。


このフランクルさん 結婚して9ヶ月で囚われたらしい。

その後奥さんはなくなっていたそうだが、それを知ってもフランクルさんくじけない。

9ヶ月すごした幸せな時は今の自分に生きる希望を与えてくれるほど素晴しいものだったので、今彼女が死んでしまっていることは関係ない…というようなことをいっている。

すんごいな。

幸せな時は その後の生き残った人々の一生を支えるだけの力があるということ。

いや〜〜素晴らしい。

ほかにも いろいろ名言がある。

「人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、
 むしろ
 人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである」

「あなたの内側を見るのをやめましょう。あなたを待っている何かに目を向けなさい」


       あなたを待っている“何か”

       あなたを待っている“誰か”

     誰かや何かのためにできることがある


とにかく 収容所で人がバタバタと死んでいく中でも 希望を捨てずに生き抜いたフランクルさん。あんたはえらい。

感動的な出会いでした。

『100分de名著』

100日続けたら飛躍する

今日 友人と話をしていて

ハモーラのタカさんがおっしゃった言葉を思い出した。

「100日続けると飛躍するらしい ひゃくにちだけに」

そう言うと友人は おもしろがり

「明日から100日はいつになる?」と言った。

そして手帳を見ながら調べてみると

七夕さまの前日7月6日でちょうど100日になる。

友人は驚いた。

友人が今 チャレンジしている司法書士の試験が7月7日らしい。

今から100日勉強しなさいということやな。と

神様からのメッセージである。


私の場合はずっと言われ続けていた ブログの更新に挑戦。

100日続けてみようではないか。

と 盛り上がる。


明日から7月6日までで100日。

なんかよくない?

こんなタイミングで100日を調べてみたということに二人でテンションが上がる。


どうですか?

あなたもなにか100日続けてみませんか?


大声で泣きたかった

娘を迎えに行きました。

自宅近くの学習塾。

娘が退室するときにバーコードをピッとやると私のスマホにピッとメールが入るようになっている。

私は娘の退室の時間が近づいてくると(そろそろメールが来る頃だ)と自宅で位置について〜〜の状態をとっており、メールが来たらダッシュで迎えに行く。

そうやって急いで迎えに行っても、娘が教室から出てきて、裏通りのいつも車を停める場所につくほうが早いので、いつも娘が少し待っているのだ。

なのに 先日は私の方が早く到着。

あれれ?おかしいな?と 思ったが、

車から出て見に行くことができない。

なぜなら 私はパジャマだから。

家から出ない日は一日中パジャマで過ごしている。

最近は車で送り迎えならパジャマでもOKになってきた。

しかし先日、娘が友達と待ち合わせしており、雨が降っていたので待ち合わせ場所まで車で送っていったら(もちろんパジャマ)友達のお母さんも車できていて、パジャマ姿を公開してしまった。その時は上にコートを羽織っていたが、今回はコートなし、もろパジャマである。

外は暗くなっていたから、いいといえばいいのだが、いやいやそれでも教室まで行って覗くことはできない。

最近考える。

こんなにパジャマで過ごすことが多いなら、一見パジャマかな?部屋着かな?くらいの服を来て寝るべきではないか?と。

着替えるって別にそうそう時間も労力もかかることではないのに、それまでもめんどくさい今日この頃。

というわけで車から降りて様子を見に行けない。

どうしたんやろ?まさか?裏に回ってくるほんの30mくらいの道のあいだになにか??

とか ちょっと怖い想像をしたり打ち消したり、気にしないようにスマホを触ってみたり・・・。

すると娘がやってきた。よかった。

とおもったが

助手席のドアを開けるなり泣きながら乗り込んでくる。

「ままぁ・・・。゚(゚´Д`゚)゚。」

「どうしたん!!」

大きな声で泣き始め 泣きながら話してくれるので なんだかよくわからない。

私は運転席のシートを一番うしろまで下げて、娘を膝の上に抱えた。

泣きの理由は

算数の問題を解いたけれど、何か勘違いをしていたようでお直し(やり直し)がほとんどで帰ってきてショックを受けたらしい。その時点で大声で泣きたかったけど、泣いたらみんなに迷惑がかかると思って、目がかゆいフリをして目をこすっていたけれど、我慢できず、少し泣いてしまっていたようだ。お直しがたくさんあるということは時間もかかるのでそれも嫌で大声で泣きたいのを我慢するのも嫌で、今、大声で泣いているらしい。

「大声で泣きたかった〜〜〜。゚(゚´Д`゚)゚。」と大声で泣く娘。

ええなぁ

大声で泣けて。

泣きながら 自分がどう思って どうやったから泣けてきた とか 説明できるんもすごいよなぁと思いながら

「そうか そうか 泣きたかってんな」と 背中を撫でながら 思う存分泣いていただいた。

「それで その問題 なんで間違ったか 今はわかるん?」と聞いてみた。

今はわかるらしい。

きっと もう 間違わないだろう。

「そういえば ままも 泣いたことあるわ〜〜 今思い出した。」

私も娘くらいの頃 エレクトーンを習っていて、4人ぐらいのグループレッスンで、練習していかなかったのでみんなと同じように弾けずに、その場で泣いてしまったことがあった そのことを娘に話した。

こんな昔の記憶思い出すことあるんだなぁと 思いながら、もうすっかり泣き止んだ娘と自宅に帰ったのでした。



うちから出るときは パジャマはやめとこか。

何があるかわからんしね。

パジャマかわからんパジャマにしよ。

結局パジャマ?

落ち込んだまま生きる

私が住む日本は 今は戦争をしていない。

戦争をしていないけど 死んでいる人がいっぱいいる。

14年前から一年間で自殺する人が三万人を超えているそうだ。

戦争している国でも、一年間にこんなに死んでいないらしい。

なんという国だろう。

生きる意味がない 生きていても仕方ない 

絶望しいて自分の命をたった人が年間三万人以上はいるのだ。

戦争をしていないけれど とらわれているわけではないけれど

生きにくい国 日本。

このブログを読んでいる人の中にも もう死のうと思っている人がいるだろうか。



今日 別々の場所で2度 一年間で3万人以上自殺者がいる日本 という文字をみた。


大切な人やものを失って 生きる希望をなくし、また なくしてから時間が経っているのに

未だ立ち直れないことに さらに落ち込み…

同じ経験をしている人は もう前を向いて歩いているというのに

自分はどうしてまだ 気力が湧いてこないのだろうと思っている人もいるかもしれない。

テレビなどでは まだ落ち込んでいる人 気力のない人の報道はしない。

辛いこと悲しいことを乗り越えて頑張っている人を紹介する。

それを知ってさらに落ち込む人もいるだろう。

辛いよね。

時間が長く感じるよね。


でもね。ちょっと見方を変えてみたら こういう考え方もできる。

時間が経っているのに まだ気力が湧いてこないほど 自分は幸せだった。

自分の人生の中で幸せな時を過ごすことができていた。

だから まだ 気力が湧いてこないんだと。

そして 思い出してみよう。

幸せだった時を。

自分が幸せだと感じた瞬間を。

思い出す出来事があるなんて 幸せだ。

いつでも思い出せば いつでもそこへ行ける。

そうして 今の苦しい時を 少しでも忘れる瞬間があればいいなぁ。

気力を失っているのに 今日も一日生きていた。

それだけで素晴らしいことだ。

それだけで十分だ。

来年の今日はきっと 今よりも 紙一枚分でも 気持ちが楽になっているかもしれない。

今日も落ち込んだまま生きてみて。

来年の今日は違う景色が見えるかもしれない。

幸せな記憶をもったまま 明日の朝 また 生まれよう。









あみちゃんありがとう

あみちゃん
      卒業おめでとう!!
私が、一年生で、あみちゃんが、三年生
の時、のんちゃんがぐずっていたとき
に、あみちゃんがのんちゃんをつれて
いってくれました。あみちゃんのお
かげでのんちゃんはこうやって一人
でとうこうすることができました。
(ついてきてくれてるけど…)でもわたしは、
班長にもなることができました。四
年間ほんとうにありがとう。
  また、
    どこかで
        会おうね!! 
           のんより

********************

同じ登校班で 娘が入学してから親切にしてくれた二歳年上の

女の子 あみちゃん。

あみちゃんが 小学校を卒業しました。

ぐずる娘の手を引いて一緒に登校してくれたり、

学校についても教室まで付き添ってくれたりしてくれました。

大変お世話になったあみちゃんに手紙を書こうというと、

上の文章を書きました。


手紙を読んで感無量になりました。

あみちゃんも大きくなったけど

娘ももう五年生になるのです。

手を引かれて歩いた道を

今度は班長さんで みんなの先頭で歩くのです。

一体いつの間にこんなに大きくなったのでしょう…。


あみちゃん卒業おめでとう。

大雨さん ありがとう

娘が友達の家に遊びに行った。

大雨が降っていたので送り、そして迎えに行った。

帰ってきたときは、ものすごく降っており、車を止めて家に入るまでの僅かなあいだも

ずぶぬれになりそうだった。(うちは屋根なし駐車場)

なので、屋根があるギリギリのところで娘に

「ここからやったら まだましやから先に降りなさい」と言っておろした。

私はその後 定位置に車を止めて 降りようとすると、娘が傘をさして運転席側までやってくる。

私に傘をさしかけようとするのだ。

「のんちゃんが濡れないように先に降ろしたのに 濡れてしまうやん」といって屋根のあるところまで一緒に走った。

「のんちゃんも ままが濡れないようにと思ってん。やさしいやろぉ」と娘は自分で言った。

「ままだってのんちゃんが濡れないようにと思っていうてんで やさしいやろぉ」と真似をした。

すると娘は

「じゃぁ 両思いやな。」と笑った。

両思いになれて幸せです。

大雨さん ありがとう。

交換日記と血液型

昨日 娘はなかなか 宿題に取り掛からなかった。

夕食も終わり やっとカバンから出してきたのは

キラキラしたノートだった。

なんのノートかと思ったら

「交換日記用ノート」

普通のノートを交換日記として使うのではなく

それ用の可愛らしいノートがあるのである。


「どうしたんこれ?交換日記?」

「うん 友達が のんちゃんもやる?っていわはったから うん いうてん」と。


驚きました。

娘は 男の子とサッカーばっかりやっているらしいのに 女の子から 交換日記をやろうと誘われるなんて・・・・

5人くらいで交換するらしい。

その一番バッターが 娘のようです。

「まま〜 何かくの?」

何を書いていいかわからないみたい(笑)

懐かしいなぁ〜〜

私も交換日記してたわ〜〜

私も 何を書いていいか あんまりわからなかったなぁ・・・

回ってきたら 書かなきゃならないと思って書いていたフシもあったなぁ〜〜。


「今日のこととか 書いたら?」

と言ってみた。


娘は今日 自分の血液型が判明した。

生まれた時に調べなかったために ずっと調べそこねていた血液型。

何度か病院で採血した際 血液型も調べてもらえませんか?と言ってみたが

大怪我をした時か占いぐらいしか役に立たないし

怪我をして運ばれたら その場で調べますから 血液型って知ってても意味ないですよというようなことを言われ 分からずじまいだった。

それが今回 すんなりと調べてもらえ 10年目にしてやっと血液型が判明。

そのことを書けば?と 言ってみた。

すると 交換日記のメンバーのページ(そんなページがある)にそれぞれのプロフィールを書くところが有り、それぞれの名前 呼び方 誕生日 血液型 など 書く欄があった。

娘が自分の血液型を初めて知った日に 友達何人かの血液型も知ることになるなんてね。

娘は 「○○ちゃんと 一緒や!うわぁい」 といって そのことも日記に書き始めた。

「今日 はじめて 血液型がわかりました。(省略)……○○ちゃんと同じだったから嬉しかったです。」

私の目の前で書いていたので 思わず、

「のんちゃん これ ほかの人も読まはる日記やろ?のんちゃんが○○ちゃんと一緒で嬉しいと書いたら ほかの人 いい気持ちしいひん人もいるんちゃう?○○ちゃんとふたりだけの日記やったらいいけど、『○○ちゃんと 同じでした』で止めといたら?」

と言ってみた。

いらん 助言だったか?

自分が思ったことを素直に書くと 嫌な思いをする人もいる と 初めて知った交換日記。

交換日記と血液型 娘の世界にこの二つが初めて登場したことで 初めて知る大事な事でした。

この事のために 今まで病院の先生 血液型調べてくれへんかったんかなぁ?

まさかね。





忘れないでね

先日 学校のスクールカウンセリング というのに 申し込んでみた。

娘が「いじめられた」と言って泣きながら帰ってきたとき、

親は娘の気持ちをたくさん聞いてやるだけでいいとはおもっているが、

それは果たしてどこまでなのか?

いじめられたことを担任の先生にも知られたくなく

親がいじめた子に「娘をいじめないで!」といいに行ったら、

またあとで 「親にいうたな」と 言われてしまうので それは言って欲しくない。

だから いじめた本人に言わないで欲しいという

だけど 悲しかった 嫌やった といって泣く。

これは どこまで 黙って聞いてやればいいのだろう?と ふと考えた。

月に一度のスクールカウンセリング。

毎月 娘がお手紙を持って帰ってくる。

「教育相談日のお知らせ」

そうだ 専門家のご意見を頂戴しよう。

そう考えて、申し込む。

娘の連絡帳でも申し込めるのだが、申し込んだことを娘に知られるのも良くないと思い、電話で申し込んだ。

すると担当ではない先生が出られて「担当に伝えて時間の連絡をします」と言われたが、

待てど暮せど連絡はなかった。

電話機には着信履歴がわかるようになってるので、かかってきていないのは明らかだった。

あれ??

忘れられてるのかな??と 思っていた。

いよいよ明日がカウンセリングの日だった。

かかってこなかった。

当日も連絡がなかった。


私は(専門家の意見もきいてみよっか)くらいの気持ちで申し込んだが

申し込みの電話をした中には 一大決心をして相談することを決め、ドキドキしながら申し込みの電話をした人がいるのではないだろうかと思った。

(もし 私が そんな 可愛らしい人だったら どうするねん!!

これは 怒ってあげないといけないわね・・・・。)

私は そう思ってた。

そのことを友人に話したら

「言ってあげたらいいけど 怒らんといてあげて〜」と 言った。

そう?怒ったほうが 今後のためにいいんじゃない?

申し込んでいるのに 連絡なしなんて 絶対あってはいけないやん。怒って言った方が相手が反省するんじゃない?

とおもったら

「ミスしようと思って ミスしたんじゃないしね」と友人。

そっか 怒らないで 教えてあげたらいいのか 

「こんなことがありましたよ。今後は気をつけてくださいね」って。


昨日 学校に電話してみた。

怒りたいのを我慢して電話したのではなく 教えてあげればいいんだなと思って電話した。

今回のことは 電話を受け取った人が担当者に伝達ミスをしたんだろうと思っていたら

ちゃんと受付されて時間も決まっていたらしい。

けれども連絡がなかったのはなぜか  

それは 

同じ学年に同じ苗字の子がいるのだが その保護者もたまたま申し込んでいたらしく

そちらの人がキャンセルしますという電話をしてきて 間違って私の方をキャンセル扱いにしたらしいのだ。

そんなことってある?

私は伝達ミスじゃなかったので それなら良かったです。といってしまった。

今考えてみると 良くはない。

申し込み受付した人とキャンセルを受け付けた人が違ったんだろう。

それしか考えられない。

忘れられていたのではなかったので よかったという気持ちになってしまった。

ということは 私が怒りたかったのは 私を忘れてるんじゃないの?ということに対しての怒りで、ミスに対しては怒っていないことになる。

私は 私を忘れられるということに反応しているのだ。

そう思って思い出してみると

ひとつ思い当たることがある。

私は小学生の頃 地域のソフトボールクラブに入っていた。

自分で入りたいと思い、親に話して許してもらい そして入った。

監督が家で自主トレができるようにと筋トレ頑張り表をつくり 腹筋や腕立て伏せや

縄跳びなど一日にどれだけやったか記録するものだった。

一ヶ月間だっただろうか?その表に書かれている課題を全てこなして私は

監督の家にその表を持っていった。

監督は私の手からその表を受け取ってくれた。

後日みんなの表が揃ったとき

私の表が見当たらないという。

その時に監督は

「もってきたか?」と 私に言った。

悲しかった。

表がなくなったのは仕方がない。

でも あの時 監督本人が 私の手から表を受け取ってくれたじゃないか。

私は目立たない影の薄い子供だったんだろう。

目立つ子なら 持ってきたことは覚えているはずだもの。

監督の中に私の存在が薄いということがわかり悲しかった。


カウンセリングの申し込みが受付されていたのならよかったと 思ったのは

私が忘れられていたわけではないということが 良かったのだ。


忘れられることが 悲しいのね 私は。


もう30年以上前の話なのに そのことを思い出すなんて、その時の私 相当悲しかったんだね。

気がつけば それでいいと ハモーラの白井さんが言ってたっけ。


私に必要なのは スクールカウンセリングを受けることではなく 小学生の頃の忘れられた思い出を思い出し、自分にとって存在を忘れられることが悲しいのだと自覚するということだったのかもしれない。

そうわかったから

今度から同じようなことがあっても 「怒ってあげないといけないわね」って 思わなくなるのかな?

またひとつ気がつけました。










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摩耶
京田辺在住です。

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