九州 命のバトン旅I 〜チップスターの箱〜

ドーミーイン熊本を出るとき、

娘が食べた、チップスターの空き箱を捨てようとした。が、前日、

「これ 何かに使えるなぁ もってかえろう」といった娘の一言を思い出し、ゴミ箱に直行するはずの、チップスターの円柱の空き箱は生きながらえることとなった。

これ何かに使えるなぁ…は もうすぐ72のお決まりのセリフである。

(何をばあちゃんみたいなことを言ってるねん)一緒に行動すると、性格が似てくるのか?と思ったが、娘のカバンに入れて娘が持ち歩くのならまあいいかと 娘のカバンの中に入れた。

熊本から博多へ向かう列車。

もちろん自由席を選択したので、空いている席がないかと列車の通路を歩き続けて探した。

今回は、一席ずつしか空いておらず、私たち3人はバラバラに座った。

私が座ったのは1歳半くらいの女の子を連れた母親の3人がけの席。女の子は座らずにお母さんの膝の前に立っていた。

女の子は、ちょっと機嫌が悪くなってきていた。

お母さんは少し疲れて眠りたいようだった。

あらあら ここで なにか役に立たないといけないな と感じ、

ここは私よりも娘の出番だなと思い、娘の席まで娘を迎えに行き、私の膝に娘を座らせて、女の子の相手をさせようと思いついた。

娘が席に来ると、そのお母さんは、真ん中の席を娘に譲ってくれた。

私は、娘は私の膝に座らせようと思っていたのだが、女の子が立っているので譲ってくれたのだ。

そんなつもりじゃなかったんだけど、すみません・・・。という感じである。

席まで譲って頂いた日にゃ 頑張ってお役に立ちましょうぞ。

娘が来ただけで女の子のご機嫌がよくなった。

さすが子供は子供が面倒見るのが一番良い。

そして、なにか気が紛れるものがないかなぁと考えた。

なんか役に立ちそうなもの…

そしてピンと来た。

今朝捨てなかった チップスターの空き箱!

娘のカバンから空き箱を取り出し、蓋を開けたり閉めたり、蓋を上から落としてみたり、太鼓のように叩いてみたり、チップスターの空き箱は、ポテトチップスを保護するという役目以外に、こんな仕事をしようとは思っていなかっただろうが、1歳半の女の子にはたいそう受け、ぐずるモードからは脱したようだった。

女の子の母親は眠っており、気がついたときには自分の娘が、隣のお兄ちゃん(うちの娘)のチップスターの蓋を奪っていたので、「ごめんなさい 返しなさい」と謝っていた。何も悪いことはしていない。こちらが渡したのである。

女の子は今度は自分のカバンをあけ始め 小さなキティちゃんの財布を開けて見せてくれた。そこには切符と千円札が入っていた。本当に財布である。

それを私たちに渡そうとする。

1歳半にとっては、チップスターの蓋も千円札も同じに見えるらしい。

そうこうしているあいだに、無事 博多につき、女の子と親も私たちも博多で降りた。

「おにいちゃんありがとう」と母親は娘に声をかけた。


もう不要と思われたチップスターの空き箱が、捨てられなかったことに感謝したかのような仕事ぶりを見せ、娘の言ったとおり「何かに使えた」わけである。

役目を終えたチップスターの箱は、もう一度娘のカバンの中に収まったが、母の席が遠く離れていたことを幸運に思った。

この様子を一部始終見ていたとしたら、ますます「これ何かに使えるなぁ」といって残すことに生きがいを感じ、モノを溜め込むことに拍車がかかったに違いない。

何かに使えるというのは 今回のように何かに使わないと何かに使えるにならないのですよ。
お母さん。何かに使えると言ってずっととっといたままじゃぁダメなんですよ。

なんかややこしくなってきたが、

この日の朝の私の判断が、間違っていなかったことに自画自賛。 娘のカバンに空き箱を収めた過去の私と何かに使えるなぁ持って帰ろうと言った娘にでかしたと言いたい気分でした。



つづく。


100日ブログ。24日目。

進化する娘

休みの日になると 最近娘の友達がよく泊まりに来る。

友達はいつも遊んでいる一つしたの違う学校の子。

土曜日に泊り、日曜日の朝になった。

娘は朝、同じ学校の友達に電話をかけていた。日曜日は同じ学校の近所の子と遊ぶ約束をしていたらしかった。

泊まっていた子とはお昼で別れ、昼からは別の子と遊ぶ。

そのように考えているようだった。

それも二人の子に電話をかけ、うちの娘が何時にどこどこで待っててと、段取りをしているようだった。驚いた。

段取りできるんや。

今まで、そんなに同じ学校の子と遊んだことがなかったのに、近所にこの4月から引っ越してきてくれた女の子がいて、どうやらその子と気が合っているらしい。

娘はどちらかというと自分から何かをするというタイプじゃないと思っていたのに、電話で話す言葉もしっかりしており、堂々としている。

私が、この日、仕事から帰ってくると、二人の女の子がうちに来ていた。

結局、うちで遊ぶことになったのだ。

娘は嬉しそうにしている。帰る時間になると、

「のんちゃん 送ってくる」と外まででていった。

そう言った娘の声が とってもやさしいかわいらしい声だった。

よほど気分が良かったとみえる。

私は娘の声が大好きだ。

娘が 「まま」という声が好き。

最近ちょっと 偉そうに怖いような強いような声を出す時が増えたけど、機嫌がいい時の娘の「まま おはよう」の声は 何とも言えない癒しの音だと思える。

それはさておき

娘は自分で遊びの段取りをし、友達とこうして遊ぶことができるようになったのだ。

そんな関係を作れるようになったんだ。と感動した。

私の知らない娘だけの世界がちゃんとあってそこで娘は生きている。


引っ越してきてくれた近所の子の影響を大きく受けていると思われるが、その子の影響で、犬についても興味を示してきた。

少しずつウチの犬との距離を縮め、今朝は、自分ひとりで散歩に連れて行き、ちゃんと糞の始末までできた。

私は、そんなことできないと思っていた。

たまにリードを持つくらいなもので、つながれているところからリードに繋ぎ直して散歩に連れて行き、糞の始末をし、またつないでもどる。なんていうこと、出来るわけがないと思っていた。

が、今朝 一人でやってのけた。

「うんち くさかった〜〜」といって帰ってきた。


娘よ。成長しましたね。

もう おねえちゃんだねぇ。


昨夜は「抱っこ〜」といって布団まで抱っこせがんでたけどね(笑)



100日ブログ。23日目。

九州 命のバトン旅H 〜熊本城散策〜

朝 娘が寝ているあいだに、母も私も朝風呂を満喫し、8時半に観光案内センターに電話をした。

急な申し込みでも 今日空いているガイドさんがいれば、ガイドしてくれるだろうと思っていた。その通りであった。

数分後折り返し電話が有り、10時にガイドさんと待ち合わせることとなった。

よかった。よかった。

当日でも申し込み可能な場合がございます。と、書いておけばいいのにね。

前日までしかダメだと思って、電話をかけない人もいるかもしれないよね。

今回の宿泊は、朝食付きではなかったので、私たちは何も食べずに、熊本城近くの観光案内センターに向かった。

今思えば、朝ごはん、どうしようと思ってたんだろう。

なにか食べれるはず、と思ってたんだろうか?

10分ほど歩いて、案内センターに到着。案内センターの周りには、たくさんのお店が並んでおり、熊本名物がいろいろ売っていた。なかでもうに豆腐が有名らしい。試食したが美味しかった。

さつま揚げを食べ 試食のみかんカルピスを飲み、お腹は満たされた。

そしてガイドさんとご対面。

ガイドさんは 親戚の千葉のおじちゃん(母の兄)に似た人だった。

歴史が好き 熊本城が好き 加藤清正が大好きなんだろうなぁと思う案内っぷりであった。

やっぱり ガイドさんを頼んでよかった。

石垣一つ 建物の意味 ひとりで回っていたら、ただ歩くだけ通りすぎるだけだったところに、いろんな意味が隠されていることを知る。

石垣のちょっとしたくぼみも なぜ出来たのか。ワケがある。

そういう目でみると いろいろ見えてきて面白い。

娘はずっと録画をしている。

そんなに興味あったんや。と思っていたら あとから聞いたら、「暇やった」といった。

おじいさんの話をきいて そうか そうか と思うのは大人だけか。そうだよね。


熊本城の敷地は すごく広かった。

天守閣の入口まで 案内してくれるコースで 約2時間のコースだった。

私たちは 熱心なおじいさんのガイドをききながら2時間歩いた。

天守閣の手前で、私43はへとへとであった。

内心、いまから天守閣まであがるのか・・・と 思っていた。

ここまで来て天守閣に上がらなければ、意味がないではないか、と

思う反面、もうあかん。疲れた…と思っていた。

熱心だったガイドのおじいさんとお別れし、あとはここ天守閣の頂上まで上がるだけとなり、

私は、二人に言ってみた。

「もう疲れたなぁあがるのやめようか…」

もうすぐ72と 娘10は

「うん そうしよ 疲れたわ」と即答であった。

熊本城へ行って 天守閣に登らない人がいるだろうか?

いつも この周りをピクニックに訪れているのであれば、そういう日もあるだろう。

でも 私たちは、もう来ることはないと思って 訪れたのである。

それが 天守閣からの景色を拝まないで立ち去ろうとしている。

「また来よか?」

といった。

また 八代の母の姉のところにも来たいと思ったし、熊本城にも心残りがある。

泊まったホテルドーミーインも最高であった。

もう来ることはないであろうと思って訪れた熊本であったが、また絶対来年、ここを訪れようという目標ができた。

これもガイドさんを頼んだおかげである。

ガイドさんを頼まなければ さら〜〜っと天守閣までたどり着いて たたた〜〜っと登って、いい景色だね〜〜なんて言いながら、帰ってきていたであろう。

ガイドさんを頼んだがゆえに、いろいろあちこちまわり、へとへとになり そして天守閣を断念。

そして次の楽しみが出来た。


ガイドさんが帰っていく姿を確認しながら、私たちは天守閣近くの売店まで戻り、アイスと芋もちをたべ、熊本城を後にしたのでした。


めでたし めでたし?(笑)



つづく。

100日ブログ。  22日目。

九州 命のバトン旅G 〜くまもとさるく〜

夜鳴きそばを食べて さあ パソコンちゃんをお借りしよう!

そうおもってパソコンコーナーに向かうと、

今までガラガラだったパソコンコーナーが、全て埋まってる。

一つは、2歳くらいの赤ちゃん。となりがその親なんだろうけど、

2歳はパソコンを使っていないと思われる。そこに座らせておくと機嫌がいいので、座らせているのだ。

親は必死で、何かを検索中。

わかる。わかるよ。

何かを調べたいとき、子供が少しでも機嫌が良くいてくれれば、嬉しいもんね。

私は、ちょっと待つよ。

そうおもってロビーで待った。

この待ち時間、なんだろうね〜〜と 思った。

この待ち時間のあいだに、何かしないといけないんだろうね〜〜

そう考えて、ロビーをグルッと散策。

いろんな案内が置いてあるコーナーがあり、見ていると、

あった ありました。

【くまもとさるく】という 小冊子。

城下町熊本をゆっくり歩く旅ガイドと書いてある。

明日の予定は、熊本城散策と決めていた。

せっかく熊本まで来たんだから、熊本城散策がしたいと思い、そして熊本城近くの宿を探して、ここ、ドーミーインに泊まることにしたのだ。

【くまもとさるく】

さるく とは 九州弁で「歩いて回る」という意味で、ガイドさん付きでさるくコースが13コース、ひとりでさるくコースが10コース紹介されています。

ガイドさんは、参加人数一人につき500円で案内してくれる。

いいやん。

しかし、申し込みは前日の五時までにって書いてある。

あら 終わってる。

いやいや 明日の朝 申し込んでみよう。

駄目でもともとだ。

そう思っていると、パソコンちゃんが一台空いた。

ありがとうございます。私がこの【くまもとさるく】に出会うための時間だったんですね。

明日はきっと、当日の申し込みもOKで、ガイドさんに案内してもらえることでしょう。

そう思って、パソコンの前に座ったのでした。

このあと、パソコンで四苦八苦した話は、4月4日のブログをご覧下さい。



つづく。


100日ブログ。 21日目。
 

叶えたかった二つのこと

今年に入ってから、ずっとやりたいと思っていたことをやろうと思いつきました。

いつまでも命があるわけではないし、あと1年しかないかもしれないし、明日かもしれないし、そうなると、前からやりたかったことを片っ端からやっとかないと という気になりました。


娘は2歳くらいから、乗り物が好きでした。

お友達の家に行って 室内用の車があると一目散に乗りに行き、よくそこの家の子と、取り合いの喧嘩をしました。

その頃は、室内に乗り物をおいても動かせないようなところに住んでいたので、いつか動かせるようなところに住んだら、室内の乗り物を買ってあげたいなと思っていました。

娘が5才の頃、今の家に引っ越しました。

室内乗り物を乗り回せる広さがあります。

しかし、なぜでしょう。

室内乗り物を買ってあげることをしなかったのです。

もう いいやん 大きくなったし・・・。

と どこかで思っていたのかもしれません。


私は 娘にやってあげたかったことが 二つありました。

やってあげたかったこと というか、

娘が望んだのに、自分(私)の枠を押し付けて、娘に諦めさせたこと。

ひとつは、水色のランドセル。

私の住む地域では、ランドセルではなく ランリュックという、リュックサック型ランドセルなのです。

娘はランドセルがいいといったけど、みんなと同じものをと、諦めさせて、ランリュックにさせたこと。

それを 今叶えたい。

今年になり、娘に提案してみました。

ランドセル買ってあげようか?と。

すると、娘は、「もういいわ〜〜 それやったら 新しいランリュック買って」

あんなに欲しかったランドセル。

でも旬が過ぎると、いらなくなるのです。


そしてもう一つが室内乗り物。

引越ししたら絶対買ってあげようと思っていたのに、娘が一番喜ぶものなのに、買わずに来た。

こちらはどうでしょう。

旬は過ぎているのか?

ところがこちらは、買ってあげるとなると大喜び。

「やっと 買ってもらえた!8年待った!!」と喜びました。

子供ってみんなこんな乗り物が好きなんだなぁと 思いましたが、友達が遊びに来ても、友達はちっとも乗らない。

あれ?やっぱり、みんなは旬が過ぎてるのか?

娘は、トイレに行くのも お風呂に行くのも 二階に行くのも階段の手前まで室内三輪車を走らせます。ペダルを漕ぐタイプではなく、足で地面をけるタイプのものなので、娘の体でも乗れます。

こちらは全く旬を過ぎておりません。


また 嬉しいおまけがついておりました。

娘は 今まで一人でトイレにいけませんでした。ちょっと暗くてちょっと遠い。

それが室内三輪車が来てから、パチッと廊下の電気をつけてシャーッと三輪車を走らせ、トイレに向かいます。

ついてきて と言われなくなった。

これは 嬉しいおまけでした。


何よりも嬉しいのは、もちろん娘が喜んでくれたこと。

あと一年遅ければ、こんな姿は見れなかったと思います。たぶん。ギリギリで叶えてあげられた感じがします。

ランドセルは旬を過ぎてしまいましたが、こちらは旬を過ぎていなかった。

娘が、水色のランドセルを背負う姿は、もう決して見れないですが、もうしばらくは、室内三輪車を乗り回す姿が見られそうです。



おまけの話

実はこの三輪車。本当は4輪車で、前に二つ後ろに二つ車輪がついています。

無垢材の床でも傷がつかないように、タイヤはゴムになっています。

娘が自分の相棒のようにこの4輪車を乗り回しているので、「この4輪車に名前をつけてあげなあかんなぁ 何にする?」と いうと、娘は 少し考えて、

「フォーリングバイクにする!」といいました。

「ん?フォーリング?」

娘はツーリングという言葉を知っていたのですが、それは 旅をするツーリングではなく、二つの輪 two ring と思っていたようで、自分のは、4つのタイヤがあるので、four ringと 思ったらしいのです。

私は 大笑い。

そうか なるほど それでもいいやん。

というわけで 今日もフォーリングバイクは 娘をのせて 家中を滑走中です。




100日ブログ。 20日目。

お金の使い道

私のブラインド事件を娘に報告。

すると、

「のんちゃん 払ってあげようか?」と言いました。

娘は、私がお金のことを言うと

「のんちゃんが出してあげようか?」と よく言います。

私は、

「いいわ。ままの勉強代やから自分で出すわ」と言いました。

それでも娘は、自分の貯金箱(蓋は簡単に取り外し可能)を持ってきて、お金を見せてくれます。

「のんちゃん いっぱいもってんねん」

今年に入ってからのお年玉。

先日田舎に帰ったので、そこでもお小遣いをいただいて

大金持ちです。


今朝は とっても いい天気。

で、例のブラインド。

少しは日差しが柔らかくなりますが、残念ながら眩しい・・・。

取り付けた意味がありません。

というわけで、ブラインドの生地を交換することにしました。


で 今朝の会話。


娘は、はじめ5千円を出そうとしていましたが(ブラインド生地交換代4500円)金を触っているうちに、お金を出すのが惜しくなったようで、

「ままぁ 半分ずつにしよか?」と言い出しました。

「だから 別に いいって言ってるやん」というのに 

なんだか 悩みだしています。

「どうしよっかなぁ〜〜」

そこで 父親が

「のんちゃん (お金を出したら)後悔すると思うで。またディズニーランドいったら、欲しいもんとかあって いろいろかいたくなるんちゃう?お金残しといたら?」といいました。

ディズニーランドでお金を使うんやったら、うちのブラインドの生地を替えるためにお金を出したほうがよくないですか?

娘は

「また ゲームしたいしなぁ 1000円を両替して100円にしてゲームできるなぁ」といったので、

「そんなん ゲームにお金使うんやったら、ブラインドにお金使ったら、のんちゃんずっと大人になっても、ここに残って、のんちゃんが替えるためにお金出したんやなぁって思えて、そっちのほうが良くない?」と だんだん 娘にお金を出させる方向に私の気持ちが向いてきました。

いやいや もともと娘にお金を出してもらおうなんて 思ってなかったんですよ。

思ってなかったんですけど、ゲームに使うんだったら、ブラインドに使ってよ。って気になってきたんです。

そんな会話をしていると、

「銀行に預けようかな」と言い出しました。

すると父親が

「のんちゃんの通帳あるで」といいました。

のんちゃんがもらった小さい時からのお年玉を貯金していたらしいのです。

私は私で先日娘の通帳をつくったばかり。

娘は、父親が持っていた自分の通帳を見て、

「こんなにお金持ってたなんてしらんかった、それやったら、ままにお金あげるわ」といって、5千円を私に差し出しました。

貯金箱のお金だけだったら わたしにくれるのが惜しくなったのに、もっとお金があるとわかったら、平気でお金を手放した。


娘の様子をみて 私の幼い時のことを思い出しました。

ちょうど私が娘くらいの時だったと思います。

お年玉をもらって、母に勧められ初めて自分の通帳を作りました。

金額は1万3千円。

当時の私には大金でした。

学校で、お年玉の話になり、みんなどれだけもらったか、どれだけ貯金したかの話になり、ほかの子は、もっともらっていることを知りました。

みんなはお小遣いも、もらっててお年玉もたくさんもらえるんだなぁと その時初めて知りました。

その頃、人間って平等にお金をもらえるわけではないんだなぁと思ったのを思い出します。

お金持ちの子は、普段もお小遣いをもらえるし、親戚とかも周りにたくさんいて、お年玉もたくさんもらえるし、お金のあるこのところにはお金がどんどん集まるようになってるんだなぁと思いました。

一方 普段お小遣いもなければ、近くに親戚もいない子のところには お年玉が入ってくるルートもなく、お金は手元にたどり着けないようになっている。

そういうふうになってるんだなぁと おもったことを思い出しました。

そして 自分は大金だと思っていたのに、ほかの子がもっと持っていたら、大金じゃないんだとおもったり、今回の娘も、もっとお金があるんだと思ったら、5千円が惜しくなかったり・・・。

結局、そこにあるお金は なんにもかわらないのに、喜んだり悲しんだりするんです。

私は以前 家計簿を一時だけつけていて、その時に突然500円の冊子を買って欲しいと知り合いに言われ、その500円が惜しくて惜しくて仕方なかったのを覚えています。

それ以来家計簿を付けるのをやめました。

つけていなければ、500円の出費 なんとも思わなかったと思うのです。

惜しいと思った自分が嫌だったんです。


お金って どれくらいあったら 満足するんだろう?と考えたことがあります。

人によったら、10万円でも満足。またある人は 1千万円でも不満でしょう。

そのことに気がついて、いくらであっても、不満と思うなら いくらあっても同じだな。と思うようになりました。


私は お金を使うことは 悪いことのように思っていました。
必ず必要だと思えるもの意外を買うのはいけないことで、ちょっとした自分の楽しみのためにお金を使うなんて、とんでもないと思っていました。

娘には そんな風に思って欲しくないなぁと 思っています。

私がそう思っているからか、娘は自分の楽しみのために、躊躇せず、お金を使う子になっております。

そうなると

ちょっと ちょっと 少しは残しといたらどう?と 思うんですよね。

娘は どんな大人になるのかなぁ?


お金は大事だから

ブラインドを購入する際は、間違って無駄なお金を使わなくていいような しっかりとした大人になっていただきたいものです。


100日ブログ。19日目。


ブラインド展示場?

春になり、日差しがキツく感じられるようになりました。

キッチンには天井ギリギリに小さい窓が3つあります。

東側の窓なので 明るいのはいいのですが、朝は明るいを通り越して、まぶしすぎる。

3つあるうちの2つにはブラインドを引越し当初から取り付けて、朝は日差しを遮っておりました。


子供が大きくなると生活スタイルも変わってきて、

去年から娘のテーブルの定位置が決まってきたのですが、その位置に座ると、ブラインドを取り付けていなかった、3つ目の窓からの日差しが、モロ 娘の顔に直撃します。

去年の夏は、応急にキッチンタオルを押しピンでとめて日差しを遮っておりました。

今度の夏までには、ブラインドを取り付けてあげようと思っておりました。

そして、先日 重いお尻 いえいえ 重い腰をあげて、やっとブラインドを頼みにいったのです。

ブラインドは色々と種類があって、頼むのがややこしいですが、申し込みフォームがあるので、それに従って頼めば言い訳なんですが、それを記入していってもコード式 ドラム式 の違いがわかりません。

もう一つチェーン式があるのですが、チェーンではないのは私でもわかります。

お店の人に、「一度に上まで上がって 一度に下まで降りるのは、どっちですか?」と聞いたのですが、お店の人もいまいちわからず、ドラム式かなぁ?ということで、ドラム式を頼みました。

一度に上まで上がる というのは コードを引っ張ると サッと上までブラインドが上がり収納され、そして下ろしたい時も、コードのロックを解除するとサッと下まで降りるのです。


数日後 出来上がって取りに行き、箱を開けてみると、残念なことに違ってた・・・。

ドラム式ではなかった。うちにあるのはコード式だったんだ・・・。

コード式は、上部が薄く、紐も細い。

ドラム式は、上部がコード式の倍ほど有り、コードも太い。

こんな大きな違いがあるのに 店員さん教えてくれなかった・・・。

私は 同じものが欲しかったのに、違うものを買ってしまったんです。

それで、ダメもとで電話してみました。

取り替えてくれないかと。

ダメでした。

ダメというより、店員さんのミスではないから、取り替えてくれるはずもなく。

仕方なく取り付けてみて、ブラインドをおろしてみて、もひとつ愕然。

ブラインドの生地も違う。

私は 遮光したいのに シースルーの生地になっている。

これじゃぁ 光は遮らないのではないか?

色は、注文通り。

いやいや 全部注文通りなんです。

私の注文が間違っていただけのこと。

また電話をしてみると、生地を替えるのに4千円ほどかかるそうで。

操作の方も ドラム式の方が少々手間が掛かり、生地もシースルー。

私が欲しかったものとは、全く違うものになってしまいました。


うちはまるで ブラインドの展示場のようです。

「こちらは、このタイプ。こっちですと、このようになります」と違いを説明できます。

もう一箇所 ブラインドを取り付けているところが有り、そちらも、キッチンのとは、まったく別のタイプを取り付けているので、こちらもいい見本になります。


ブラインドのご購入をお考えの方で 一体何を買えばいいかわからない というかたは 一度うちに遊びにいらしてください。

お店の人よりもちゃんと説明できます(笑)

今日は雨が降っているので、日差しがどの程度遮られるのかわかりませんが、明日の朝、もし晴れていたら、どの程度なのか確認し、遮光できていないようであれば、取り替えるしかありません。

案外、シースルーの生地でも光が柔らかく遮られ、これでよかったね〜〜となるか、

全く 光を遮らず、娘の顔に燦々とお日様の日差しが直撃するのか。

はてさて どちらになりますか。

また いつか ご報告いたします。



100日ブログ。 17日目。







時は来る

娘は昨日、公文を辞めるつもりだったのに、先生と話をすると

「やっぱり やりたい」といい、

2学年先の教材に取り組めるように頑張る と 目標まで掲げていました。

【辞める】から一変【高い目標】

こんなにも180度 コロッと変われるなんて面白いなぁと 思っておりました。

辞めたいと思っていた時は 暗い感じだったのに、

続けると決めると急に気分が良くなって私にいろいろ話しかけます。


「まま 時計の問題出してみて」

娘はなかなか時計が読めませんでした。

今 何時なのかも 

夕方なのか昼なのかも

学校の授業が何時から始まるかも

あまり関心がなく 給食は何分で食べるのか と聞いても、

さあ??

という感じでした。

その娘が、時計の問題を出せと?

「13時は何時?って いうて」と。

これも 何度教えても、わからなかった娘。

「1時は12時の次やから13時っていうねん14時は2時。12を引けばわかるやろ?」と何度言ってもわからないようでした。

それが

「15時は?」

「3時」

「19時は?」

「7時」

「23時は?」

「11時!!」

と どんどん間違えずに答えていきます。

「どうしたん?なんでわかるようになったん?」というと

「もう 覚えてん」といいます。

「何回教えても覚えへんかったのに、急に覚えられたん?」というと

「デジタルの時計を見てたら覚えられてん」と。

そして 一言

「あのな まま 時計はどうせ読めるねん」

「・・・・・・」

はい そうですか。

なかなか読めなかった子が偉そうに。


「それなら 今やってる公文の一番難しいところも どうせできるようになるんやなぁ。時間はかかるけど(笑)」

娘 苦笑い。

今 公文でやっているところが小学校で習う一番難しい計算らしい。そこが嫌で難しくてプリント一枚がなかなか終わらなくて、辞めたくなったのだ。


また 何年かしたら

「どうせできるねん。こんな問題」というのだろう。


できないときに どんなに教えてもできないけど、時間が経つと出来る。

ピアノも同じ時に何度弾いても間違うのに 次の日に弾くと間違わずに弾ける。

時って なんでしょね。

時って すごいねぇ。


時が来れば できるようになる。

必ず 時は来る。


あなたにも。

私にも。

その時が。


100日ブログ。17日目。







進化する私

今まで何度か進化した時期がありましたが、2013年も進化の年のような気がしています。

気がしているというか、やったことがないことができるようになっている。

なんだか 赤ちゃんの時のようです。

赤ちゃんの時は 次から次にやったことがないことができていきますよね。


この間は 旅行の段取りを自分で出来たし、それにネットショッピングが初めて出来たんです。

今までなんか怖くてやったことがなかった。

でもできた。

それに先日は仕事で、大量のDMを市役所の印刷機で両面印刷。

やったことがないことができるって ほんと嬉しいです。

今日は、今度うちで開催する陶器展の案内状ができて、案内状作りは何度もしているので新しいことではないですが、でもそれを両面カラー印刷したくて、どうすりゃいいんだろうと調べて、両面印刷用の用紙が必要だということを知り、ネットで注文。

いや〜〜〜できた〜〜〜〜〜

えらいぞ私。

26日までには案内状を完成させたいと思っていたら、本当にそうなるように動くんですね。私。



あっ それと、

去年暮れに書いた記事が採用されて、今年めでたくWEBライターの仲間入りを果たしました。

えらいぞ私。

次から次へと新しいことに挑戦しできるようになるって面白い。

次は何ができるようになるかな?


100日ブログ。 16日目。

蓋は必要か

ピアノの蓋を開けっ放しにしていると、すぐに座って弾きたくなる。

私が今朝 弾き始めると、娘はすぐ飛んできて、私の膝に座る。

昨日教えた部分を覚えていて 弾けるようになっている。

ただ時間をおいただけで熟成。

ほんの2、3分練習して終わるが、これを毎日していたら ほんとにソナチネが弾けるようになるのではないだろうか?と思ってしまう。

私も、娘に教えているおかげで、間違わずに弾けるようになってきた。

教えることが最大の練習になっているのだ。


ただ ピアノの蓋を開けているだけで、行動が変わる。


ほんのちょっとしたことで行動が変わって日常が少し違ったものになる。

そんなちょっとしたことをひとつひとつ増やしていくと

どんどん楽しいことになっていくのではないか?と思う。


私の場合はそこにちょっとしたきっかけが必要だ。


ピアノの蓋を開けておくということ。

毎日ピアノのそばを通っているのだから、その気になれば弾けるはずである。

しかし、蓋がしまっているというだけで、引く気にならない。

もうそれは飾り棚だ。

蓋を開けておくというだけで、ピアノが本来の役割を果たそうと自らがなにかアピールをしているように感じる。

これから、毎日5分でもピアノに触ってみると、それこそ100日後にはすごい変化が待っているのではないだろうか。


ただピアノの蓋があいているかいないかというだけで、こんなにも行動が変わるとは思ってもみなかった。

もしかしてピアノの蓋は本来 ない方がいいのではないか?とさえ思えてくる。

鍵盤が目に入るとすぐに弾きたくなるのなら そのほうがよいではないか。

いやいや これは 私に限っての話。


私は 蓋がしまっていると なかったことにしてしまう。

なので 蓋を取り外すようにしている。

例えば、お風呂の排水の蓋。

しまっていると、あまり掃除をしない。

蓋を外していると、毎日サッと掃除をする。

なので、私は蓋を常に外している。

キッチンの排水口の蓋も同じく。外して別のところに置いてある。

すると、常に掃除をする気になる。

蓋があっても 外して掃除をすればいいのだが、そのちょっとしたことが面倒だ。


排水口の蓋同様、ピアノの蓋も外しておくほうがよかったなんて驚きだ。


心の蓋も 外しておくほうがよいのでしょうね。

違う日常が待っているかもね。

心の蓋をしている状態は 自分自身を見なかったこと にしている状態と一緒なんだろうね。

でも 見なかったこと なかったこと 大丈夫なこと にしないと生きていけないこともある。


やはり蓋は 必要だ。

必要な時は蓋を閉めましょう。


でも うちのピアノの蓋はしばらくのあいだ 開けっ放しになるでしょう。


100日ブログ。  15日目。

コタツで寝たら風邪をひくか否か

今日は寒いですね。

昨日の夕方から寒かったですね。

昨日の夕方 洗濯物を取り込もうとデッキにでたら、冬の気配を感じました。

これから冬になるような寒さだと思いました。

そしたら、なんだか切なくなってきて これから夏の方がいいなぁと思いました。


すごく暑い日もあり すごく寒い日もあり これからの日本は、四季ではなく、毎日気温がどうなるかわからないような日々に入っていくような気がしました。

今日は、冬かな?夏かな?という感じです。

今日の気温に合わせて 夏服だったり 冬服だったりしそうです。



うちの家は こたつがあります。

幼い頃 コタツに入って寝ていると 

「風邪ひくから 起きなさい!」とものすごく怒られた
記憶があります。

母は すごくイライラして 怒っていました。

ものすごく気持ちがいいのに 起こされて怒られて 嫌な思い出です。

今 私は ほとんど毎日 こたつで寝ています。

気持ちいいことこの上ない。

だれにも怒られず 思う存分こたつで眠ることができます。

あんなにコタツで寝たら風邪ひくから寝たらダメ と怒られていた割に、

コタツで寝ても風邪をひかないじゃないかと 起きるたびに思っています。


小さい時に何度も何度も怒られたのはなぜだったのでしょう。

幼いとコタツで寝たら風邪をひくのでしょうか?

娘もコタツで眠りますが 風邪をひきません。

だから 娘にはコタツで寝たら風邪をひくよと怒ったことはありません。


今からコタツで横になってテレビを見ようと思います。

きっと知らないあいだに眠ってしまうでしょう。


今年は 急に寒くなったりするので いつまでもコタツを片付けられそうにありません。

だから 私は いつまでたってもコタツで眠ることでしょう。


あ〜極楽 極楽。


100日ブログ。 14日目。





ソナチネ 7番

娘がリコーダーで、オズの魔法使い「虹の彼方へ」を練習し始めた。

私が、笛の音に合わせて、♪さ〜〜む うえ〜〜〜 お〜〜ばざれいんぼ〜〜〜と
歌い始めると

「まま 知ってるの?」と驚いていた。

ここまでなら歌えますよ(笑)

娘はこの曲に馴染みがなく どんな感じかわからん といったので、楽譜を見てピアノで弾いてみることにした。

虹の彼方へを弾く目的だったが、横道にそれ 二人でピアノで遊び始めた。

以前に「ねこふんじゃった」を教えたことがあり、娘は久々にピアノに触るのに、覚えて弾けるようになっていた。やりますな。

娘と「ねこふんじゃった」の連弾ができるようになった。

昨日、ピアノ遊びを終えたあと、ピアノの蓋を閉めず、そのまま開けたままにしてあった。

すると 娘は朝もピアノを弾いていた。

そして、夕方、学校から帰ってきても弾き始めた。

今日は、私が弾きたくなり、ご飯の用意をしたあとに弾こうと思っていた。

昔、弾けていた曲も 今は全然弾けなくなっている。

それが悔しくて、練習したくなってきた。

私が弾くと娘が自分も弾きたいといい出した。

私と同じ曲が弾きたいらしい。

ちょっと教えてやると、何度も練習し 少し弾けるようになる。

5年生は大したもんである。

しかし、楽譜が読めない。

丸暗記。

丸暗記は、全て教えなくてはならないので大変だ。

できれば楽譜を読めるようになっていただきたい。

読めれば自分で練習できる。

娘は右手のメロディを、私は左手の伴奏を弾く。

私たちのスタイルは、私の膝の上に娘が座って重なっている。

こんな連弾ないだろう(笑)

となりに座らせようとするが、ままのお膝がいいという。

かわいいやっちゃ。


少し弾けるようになると楽しい。



できれば、娘にはピアノを幼い時から習わせたかった。

家にあるんだから、弾けるようになればいいと思っていた。

私は小学生の頃から オルガン そしてエレクトーンを習った。

習わせてもらえた理由が、

父が無駄にお金を使うなら 形になるものを買ったほうがいいと、エレクトーンを買ったのだった。

ピアノは幼稚園の先生になるために専門学校に行き、その時にはピアノを持っておらず、働き始めてから、自分で買った。

ずっと欲しかったのだ。

ピアノがないのに、どうやって練習していたのかというと、朝早く学校に行き、学校のピアノで練習していた。

エレクトーンがあるんだから それで練習すればいいではないかと思われる方もいるかもしれないが、エレクトーンとピアノは鍵盤の幅も鍵盤の数も違うので、全く異なった楽器だ。

ピアノ教室にも通っていたが、私の前の時間が空いていたため、わざと早く行って、練習をした。ある日、早く行っているのがバレたが、「早く着いたので…」と嘘をついた。

そんなこともあった。

頑張ってたな〜〜私。

ピアノが弾きたかったのだ。弾けるようにならなければ、合格しなければ単位が取れないので必死だったと思う。

もともとうまい方ではない。

いろんな曲が弾けるわけでもない。

単位を取るために必死だったのだ。


それに比べ 娘には生まれた時からピアノが家にあるという状態だ。

なんと贅沢な。

しかし娘はピアノに興味がなかった。

今でも習いに行くというのは好きではないので行かない。

私もピアノが趣味です。ということでもない。

あんなに必死にピアノを求めていた学生時代だったが、いつでも弾ける状態の今。

ピアノは 写真を飾る棚と化している。



二人で【ソナチネ 7番】を練習した。

少しずつ少しずつ 娘と練習して 終わりまで弾けるようになったら嬉しい。

いやいや 弾き始めた今も嬉しい。


ピアノは久々に本来の仕事ができて、喜んでいることだろう。



100日ブログ。  13日目。





九州 命のバトン旅F 〜ドーミーイン満喫〜

無事 用を足した娘は、ご機嫌でベッドにダイブ。

娘は、こういうホテルが大好きだ。

ホテルというよりベッドがあるところかな。

ホテルには作務衣のような宿泊着があって、それを私は着用。

娘は、旅行前日に慌てて買った、ルームウエアを着たくて着たくてたまらなくて、それを着た。アニメ ワンピースの絵の黒の上下。男前である。

私たちは、お色直しを済ませて、隣の部屋に移動。母も着替え完了。

お腹すいたね〜〜と カバンの中から食べ物を探す。

八代でもらった、ハイジの白パンのようなふわふわ白パン3つ。これは母の姪が焼いてくれたもの。お土産にいただきました。それと、カバンの奥からサンドウィッチ。
娘が「ぱぱにあげよ」といった例のもの。そのパンが丸まって団子の形で出てきた。

ハハハ こんなになっちゃった〜〜と ありえないサンドウィッチの形をみて一同爆笑。

サンドウィッチの存在忘れて歩いてたわ・・・

でもその忘れ去られていたサンドウィッチといただいた白パンのおかげで私たち3人のお腹は満たされ、お風呂に出発できたのでした。

(これで風呂上がりに夜鳴きそばを食べれば、十分だよね。わざわざどこかにご飯を食べに出なくても大丈夫。なんか1食得した感じだなぁ)と喜んでいた。

旅行中って、なんだかんだいって食べ過ぎになりませんか?私だけ?

普段家では3食きっちりと食べないのに、旅行に出ると、朝のバイキング。昼もどこかで、つまみ食いをしていても、ランチを食べ、夜ディナーみたいな感じで、食べなきゃ損損という感じで食べる。

そんなにお腹すいてないのに食べれる。旅行中の食事もその土地の食べ物で楽しみの一つなんですが、でもそんなにちゃんと食べなくても大丈夫だ。

今回は食べ過ぎにならないでいい感じだ。

お風呂に向かった13階にあるお風呂。

同じ階に、マッサージルームもあった。

ふむふむあとからここに来るとしよう。そう横目で見ながらお風呂へ。

お風呂は 木をふんだんに使ってあり清潔感もあり、明かりもほどよく・・・言うことなし。

そして、何よりも一番良かったのが、娘が、一生懸命、もうすぐ72と43の体をあらってくれたこと。

チェックインの時に、子供にだけアメニティグッズが用意されていて、その中に、子供用のスリッパと歯ブラシと体を洗うスポンジが入っていたのだ。

スポンジを入れてくれていたおかげで、娘10にスイッチが入り、私たちを洗い始めた。

背中だけじゃなく前も。

背中って洗ってもらいなれてますけど、前って、変な感じ。皮膚の強さが違うんじゃないかと思うほど背中と前とは違いますね。

私たちが喜ぶと、娘はますます頑張る頑張る。かわいいやっちゃ。

お返しにままも洗ってあげるわと娘を洗ってあげましたが、娘は生まれてこのかた体をナイロンのスポンジやタオルで洗うということをしたことがなく、初めての体験。

「痛い痛いピリピリする」といってすぐに終了。娘は痛いと感じるのに私たちは気持ちいい。もうすぐ72と43の皮膚は強いんですね。

気持ち良いお風呂を出て、体を拭きながら私はマッサージに行くことを考えていた。

「私 今からマッサージいってきていい?」

母はお風呂に入る前に私が、マッサージをしてもらおうと思うというと え〜〜そんなんしてもらうの〜〜??という感じだった。

今からマッサージをして おわったらちょうど無料夜鳴きそばの時間になるね…。

母に娘をたくそうか?と思っていたら、なんと母も初めての体験をしてみると言い出した。72で初めてのマッサージ。いやいや71です。ぎりぎり。

私たちは、マッサージルームに向かい、娘はゲームをして、そばで待っていてくれることに。いいねぇゲームは 子守をしてくれる。

私と母は二人ならんで40分のマッサージをしてもらいました。

私は、最近、温泉にマッサージがあれば必ずやってもらうようにしていて、もういくつか体験したのですが、同じマッサージというのはなくて、今回のマッサージではお尻が痛かった。それも右が痛い。

同じ力の強さでやってます??と聞いたほど、右が痛かった。

40分はあっという間だった。

母も人生初めてのマッサージを終え、「軽くなったわ〜〜」といった。

よかった。よかった。

母は、わたしがマッサージをやると言わなければ、体験することはなかっただろう。

「時々 こういうのやってもらうのもいいなぁ これから やってもらおう」といった。

もうすぐ72 新しい楽しみ発見である。

母がこうして 私と過ごして、今までにやったことがないことをやってみて楽しかった。よかった。と言ってくれると嬉しい。連れてきてよかった。

さあさあ 夜鳴きそば。

夜鳴きそばは1階。フロントの隣のレストラン。

フロントの横にはパソコンが使えるコーナーもあった。

あとで借りよ。と思いながら、夜鳴きそばをいただく。

屋台のラーメン風に簡単なセットが組まれている。

ちょっとしたことだけど、それだけでいい雰囲気である。

味も美味しかった。そばも美味しかったが、水が美味しくて驚いた。

あとで、この水をもらおうとフロントに問い合わせると、普通のお水なんですけど・・・ということだった。熊本はお水が美味しいのか?

娘はここでも、大いに働いた。夜鳴きそばを運んでくれる。水を入れてくれる。

家ではお手伝い あまりしないのに、嬉しいと動けるのだね。

お腹も満足し、母と娘は部屋へ帰った。

私は、100日ブログを始めていたので、ホテルのパソコンを借りて、投稿しようと、パソコンコーナーへ向かったが、今までは、3つのパソコンのどれも空いていたのに、3つとも埋まっていた。

あららら。待たないといけないのか…。

私は、直感的に、この待ち時間に意味があると思った。

本当に意味があった。

大きな意味がある待ち時間だったのだ。


つづく。


100日ブログ  12日目。



九州 命のバトン旅E 〜熊本へ〜

新八代まで車で送ってもらえることになり、私たちはバタバタと車に乗りこんで、カラオケ愛ちゃんをあとにした。

母の目は涙で濡れていた。

たった3時間の再会だった。もっと長い時間一緒にいたかったね。

出発前は、ちょっと顔を見るだけでいいと言っていたけれど、やっぱりもっと話をしたかったね。

あっという間に新八代駅に着いた。

そして列車に乗る前に気がついた。

あれ?実家を見せてない・・・。

熊本八代まではるばるやってきたのに…。娘に母の実家を見せないで帰ってきちゃった…私が小学校3年の時、母が父との別居生活に踏み切ったので、私たちも、約2年間ここに住んでいたのに…。

あらら。なにしてんだろ。

そう思っても もう列車に乗るしかない。

目的は家屋ではなく、血の繋がっている人に会うことだったんだね。ということにして、私たちは列車に乗った。


私たちは、熊本駅に向かった。

列車の中からの車窓が抜群に良かった。

私の住む土地も緑が豊かな方だと思うが(田舎ともいう)新八代から熊本までの道も緑が広がり空も美しかった。遠くの方まで緑。緑の奥行がすごいといえばいいのか。

そして、山の形が違うなぁ。と思ってみていた。

とんがっている山が多かった。私の家の近くは、なだらかな山が多かったんだと初めて気が付く。

わぁ〜〜綺麗だなぁ〜〜と写真を撮ろうとしたが、そんなことをするのは珍しいようで、乗客が私の方に注目していた。

おのぼりさんというのか 京都から熊本は 登ってるのではなく下ってるので おさがりさん?

この景色 こんなに綺麗なのに みんな平気な顔してるなぁ…と思ったけど、いつもの通勤通学の列車ならば、いつも見慣れている景色で、特別美しいと思うことはないのであろう。

幸せの中にいれば 今が幸せだとわからないのと同じか。

(あなたたち この景色 すんごい綺麗ですよ。わかってる?)そう心の中で教えてあげた。


そうこうしているうちに、無事熊本駅に着き さてここからどう行くのか。

八代駅の改札で駅員さんに、今夜のお宿の最寄駅 西辛島駅の行き方を聞いたけど、「そんなんしらんわ」というような言い方で、「熊本市内だから熊本いってから聞いてください」という感じであった。駅員さんなのに知らないの?と思ったが、知らなくて当たり前だった。

熊本駅の駅員さんに聞いたら、西辛島駅は路面電車であった。

(そりゃ、八代の駅員さん知らんわな。「なんで知らんの。駅員のくせに」と、ちょっとイラッとしてごめんよ)と心の中で八代の駅員さんに謝った。

路面電車は昔、京都にもあった。今はもうなくなったんだよね?あれ?違った?

娘は路面電車に乗るの初めてだったんだね。

無事路面電車を利用して最寄駅まで到着し、徒歩で今夜のお宿に到着。

「ドーミーイン熊本」

私が、自分で予約したのだが、予約の内容がちゃんと分かっていなかった。

「こちらとこちらのお部屋になります」

二部屋予約されていたことに気がつかず。

春休みプランで、大人2名小学生1名で予約したところ、一緒に泊まれる部屋があったと思って申し込んだのに、一部屋の値段で二部屋使えるというプランだったのだ。

そうだったんですか・・・。でもここまで来たら仕方ない。二部屋で泊まるしかない。

まあいっか。と思いながら、チェックイン。

「それで えっと… 晩御飯はついていたんですか?」今頃聞く私。

夕食も朝食もついていないプランでした。あ〜〜そうですか。わかりました。今頃わかる私。

ネットの口コミに書いてあったとおり、お部屋清潔感満点。お風呂雰囲気清潔感満点。夜鳴きそば無料サービスあり。で、総合満点獲得でした。

ドーミーインは東京で利用したとき、お風呂がとても良かったので、今回も熊本城近くで検索した際、ドーミーインがあったので、また風呂がいいかもと思いここにしました。正解でした。

東京も熊本も両方共とても良かったので、もしまたどこかに行くことになって近くにドーミーインがあればそこに泊まろうと思うくらいよかったです。


お部屋に着いて鍵を開ける。

もうすぐ72は、鍵を開けるのも一苦労。

こういうところ難しいもんね。

オートロックだから気を付けようといいながらドアを開ける。

娘10はこの時、尿意をもよおしており、早く早く!とドアの鍵を開けるのを急かす。

鍵は空いたけれど、電気はどう着けるのか?鍵を差し込まないと電気がつかないらしい どう差すのか?なかなか差せない。

「もう早く!」と怒り出す娘10。
 
思ったよりスムーズにできず焦る43。

「そんなん電気つかなくてもトイレ入ったらいいやん」と逆ギレ気味に一言。

娘は電気のつかないトイレに飛び込みセーフ。

今日一番の天国を感じたに違いない。

「じゃぁ ばあちゃんはこの部屋で、私たちは隣に行こうか」 とドアを開けると、スーツケースが外に置きっぱなし。

(ありえへん ありえへん 海外ならば なくなってたかも…)

一瞬ひやりとしながら となりの部屋の鍵を開けたのでした。

今度はスムーズに電気がつけられました。


つづく。


100日ブログ 11日目。



期限を決める

期限を決めるってすごいですよ。

何にも決めなければ、なんにもしないで過ぎていくのに、

この日までに これをする って決めたら、

決めた通りになるんです。

 
いのちの期限って決まってるのに、それは自分で決めてないから期限がないように過ごしてるけど、本当はあるんだよなぁと 思います。

いつまでにこれをする って 生きてるあいだにこれをする と一緒。

やりたいことは 早めに期限を設定して一つ一つやっていくと、ひとつずつやりたいことが叶っていきますね。



あなたが生きているうちにやりたいことってなんですか?

知恩寺 手作り市

久しぶりに知恩寺の手作り市に行きました。

7時半に家を出て、知恩寺には8時半につきましたが、どうせ出るなら7時に出て、8時到着を目指すべきでした。駐車場がどこもいっぱいでした。

娘が2歳の時に、友人に誘われて出向いた知恩寺。

どんな場所かも知らず、乳母車に娘を乗せて電車で行きました。

道もわからず、案の定迷い、ぐるっと遠回りをして到着した知恩寺。

乳母車なんて、押せません。

石畳で段差もあるし、人も多い。

そんなことも知らずに出かけたのが8年前です。

娘は2歳頃から乳母車に乗ってくれるようになり、その日もぐずらず寝てくれていたので、助かったのを覚えています。

子供とほぼ二人きりで生活をしている世界と、知恩寺のものづくりの人たちの世界のエネルギーの違いをすごく大きく感じて、軽い衝撃を受けました。

(あの時の衝撃 また感じるかなぁ・・・)と思いながら出かけました。

知恩寺には5年ぶりです。

昨日ちょうど昔の写真をみていて、知恩寺で撮ったものが出てきたので5年ぶりだということに気がつきました。

久しぶりの知恩寺。いいお天気でよかった。

今回、一番のお店は、【mint】というフランス菓子のお店でした。

メレンゲの焼き菓子にチョコレートがコーティングされていました。

3つで150円。安いやん。クッキー並みの値段に驚きました。

今回の出店は、ケーキやお菓子の店が多かったです。

手ぬぐいのかわいいお店もありました。

最近クッキーの美味しさを再認識しており、今回の戦利品はほぼクッキー。

クッキーだけでいくら使うねんというくらい、購入してしましました。

お昼には近くのカフェ【sizuku】へ。

こちらのカフェは映画【マザーウォーター】にも出てきたカフェらしいです。

私は、ココナツのつけ麺を食べました。

生まれて初めてのつけ麺。

つけ麺って 猫舌の人にもってこいの食べ物ですね。

というか子供にぴったり。

ラーメンを子供に食べさせようとすると麺を小皿に取り出して冷まして食べさせますが、つけ麺の場合冷めているところに温かいスープを付けるので、早く食べたいよ〜〜とお腹を空かせた子供に、ちょっと待ってまだ熱いから と言わなくていい。

いい天気でご飯も食べれてよかった よかった と言いたかったところですが、頭が痛い。

私はあまり頭痛に悩まされたことはないのですが 頭が痛くて帰りの車では寝てしまいました。


京都に行くと 父を思い出します。

そういえば 知恩寺の手作り市に行くようになって父に再会できたんでした。

知恩寺に娘と来るたびに、父が近くにいるから連絡を取ろうかどうしようか・・父に孫を抱かせてあげたい と 思ったのでした。

あの時 そう思ってよかった。

そして 連絡を取って会わせてあげてよかった。

娘と父は6年間一緒の時を過ごせた。時々でしたけど。

今回の九州の旅も もし父と娘があっていなければ、行くことはなかったかもしれません。

【思いついたことをやることが生きることだ】と 友人が言ってたっけ。


今日 知恩寺に行ったり カフェに行ったり 楽しい時間を過ごせましたが、一番感動したのは、迎えに来てくれた友人が、私にストールを織ってくれたものをプレゼントしてくれたこと。綺麗な桃色のストール。

それが 朝 慌てて家を飛び出したので、上着もストールも巻いて出なくて、寒いよなぁと思っていたら、ストールのプレゼント。

私にはこの瞬間が一番ときめきました。

いつも ありがと。


100日ブログ 9日目

九州 命のバトン旅D 〜カラオケ愛ちゃん〜

何故か鹿児島から新八代に到着(笑)

生まれて初めての新八代の駅。綺麗な駅でした。

早速 タクシーで母の育った実家へ。

いえいえ、実家のとなりへ。

実家には、母のいとこの家族が暮らしていて、昼間は仕事に出ているようで、お留守だと聞いていました。

母の実家を外から見せるだけは娘に見せようと思っていました。

タクシーの運転手さんに行き先を伝えるのは、もうすぐ72に頼るしかありません。

「大村橋を渡って・・・上野の方に・・・・」しどろもどろのもうすぐ72。

「番地を言ったら?」といっても 番地がうる覚え。

「じゃぁ 愛子おばちゃん(母の姉)に電話して どう説明したらいいかきいてみたら?」と言ったら、「電話番号を携帯に入れていない。カラオケ屋さんの方しか入れてない」と。

運転手さんは、母のうる覚えの番地を無線で本部に連絡し、調べてもらうことにしました。

もう、近くまで来ているはずなんですが、景色は随分変わっているようで、もうすぐ72の母には見当がつかないようでした。

「カラオケ愛ちゃんと言った方がわかるんちゃう?」というと、

運転手さんは

「あ〜〜カラオケ愛ちゃんですか それなら すぐそこです」といって 解決した。

カラオケ愛ちゃん。おそるべし。

みんなタクシーでカラオケ愛ちゃんにやってくるのか?

結局 ほんとうに近い場所まできており、ちょっと中に入ると、見慣れた景色が広がった。

玄関に近づくと 愛子おばちゃんと母のいとこの和子おばちゃんが出てきてくれた。

和子おばちゃんは天草から来てくれていた。

タクシーで近くまできていたが、場所がわからなかったと言ったら、

「カラオケ愛ちゃんっていえばよかったい」と二人は言った。

やはり、みんなタクシーでカラオケ愛ちゃんに来るのである。

「始めて2、3年じゃなかもん。もう20年ばい」

すごいな カラオケ愛ちゃん。


15時に到着。

それから18時までの3時間。

娘には理解不能の八代弁でおばちゃんず3人はしゃべり続けたのでした。

私は小学校3年から5年までこの場所で過ごしたことがあるため、八代弁はほぼ理解可能。

話すことはできないが、聞き取りはできる。

幼い時に学んだ言語は後々まで記憶に残るのである。

おばちゃんずの会話のほとんどが体の不具合について。

しかし、母と愛子おばちゃんは、まるっきり正反対の性格。

白い布に小さなシミを見つけたら、うちの母はシミばかりを気にして過ごし、愛子おばちゃんはシミに気がつかないような性格だ。

毎日 何にも悩みがないらしい。

母は 死んだらどうなるかとか いつ死ぬかとか 病気になったらどうしようなど 結構考えており不安になっているんだが

おばちゃんは 死ぬことなんて考えない 考えてもどうしようもないと言い切る。

9年ぶりに姉やいとこと会えた母は、嬉しそうに話をする。

連れてきてよかったなぁと思った。

娘は、わからない八代弁にまみれながらおとなしく行儀よく正座をしていた。

普段家でもあまり正座などしないのに、どうしてだろう?と思って後で聞いてみたら、

こたつに入るように勧められたけど、足が臭いからいけないとおもって正座をしていたというのだ。

そんな気が使えるなんて驚いた。

それなら靴下の替えをいっぱい持ってきたらよかったね。


母はずっと笑っている。

ここの近くに住んでいたら、母は毎日 楽しく生きれるだろうなぁと 思った。


今回の旅、母は少しの時間の滞在でいい といったので、この日の宿は 熊本城の近くにしていた。

3時間はあっという間だった。

別れ際 母の目には涙が光っていた。


もう 来ることはないだろう これで最後かもしれない。

そう思って連れてきた八代だったが、毎年ここに連れてくるのを目標にするのも悪くないと思った。

会いたい人がいて 別れが辛くて涙が出る人がいるって いいよね。

そのうち会いたくても会えなくなる時が必ず来るんだから、会えるうちは会いましょう。

毎年 毎年 この時期に また 会いに来ます。


今度は迷わず、「カラオケ愛ちゃんまで」と 言うことにします。


つづく。



100日ブログ  8日目。



ますます大好き

私は、娘に聞いてみた。

「のんちゃんは どう思う?」


私は自分の車に乗ろうとした。車の後方から運転席に向かった。

車の後ろの窓に、ホノルルマラソン完走者がもらえるステッカーが貼ってある。

この間、娘が完走した時にもらったものだ。

それを見て、愕然とした。

私が完走した時のステッカーが剥がされている……

よく見ると 剥がした跡がある上に新しいステッカーが貼ってある。

(なんで??)

不思議な気持ちになった。

うちにいる非常に親切な人は 普段大変親切な人で悪い人ではない決して。しかし時々こういうことをする。

いや 待てよ。

娘が言ったんかな?

「ままの剥がして のんちゃんの貼って」とか なんとか…そうかもしれない。


私はとりあえず娘に聞いてみることにした。

勝手にはがされててん!!という言い方ではなく、あくまでもニュートラルな感じで、

感情を入れずに、この事実をご存知?という感じで聞こうと思った。

私の時のが剥がされていることを知らなかったとして、それを知った時の娘の反応はどのようなものだろうか?というのも見てみたい。

(ふ〜〜ん そうなん…) くらいのものか

娘の心は 私に似ているのか 似ていないのか。





私は、娘に

「あのな のんちゃん エスティマの後ろにホノルルマラソンのシールが貼ってあるの知ってる?」

娘は「うん」と答えた。

「のんちゃん 知ってたんか。まま今日知ってんけど、ままの時のシールは はがしてあってん。」

私が言い終わると、娘は

「え?なんで!!」と驚いた。

驚くという反応を見せてくれたことに 私は 安心した。

そこで 私は、まだ 冷静にニュートラルな感じで話し続けた。

「ままのが剥がしてあって のんちゃんのが貼ってあってん」

そういうと娘は、

「なんでやろうなぁ…」そういって 次に

「ぱぱになんで剥がしたんか聞いてみるわ」といった。

「のんちゃんも 『なんで剥がしたんやろう?』と思う?」と聞くと、

「うん…」と答えた。

「ままもそう思うねん」

「ままがぱぱに聞いてみようかな?」というと

「いいわ のんちゃんが聞くから、ままはきかんといて」といった。

娘は、私が聞くと、口論になると思っているようだった。よくわかってる。


翌朝、娘は私がいないところにパパを連れて行き、聞いていた。

はがした理由は、【もう色があせていたから】 だそうだ。

私は驚いて、

「今回のステッカーも色あせたらはがすの?」ときくと、

「うん」と答えた。

「のんちゃんのも 色があせたら はがすんやって」と私は娘に言った。

私と娘は 顔を見合わせて無言になった。


「私が走った時のん(ステッカー)やってんから 勝手にはがさんといてよ」と私が言うと

「すみませんでした」といった。



私の時のステッカーがはがしてあることを伝えたとき

「そんなん はがしたっていいやん」という娘じゃなくてよかったと思った。

すぐに「え?なんで!!」と言ってくれたことが、ほんとうにほんとうに嬉しいことでした。


今回のことで 私は娘のことが ますます大好きになり 娘との距離がぐっと近づいた気がしました。

私がこういう思いを持つための行動をとってくれたんですね。

あ〜〜ありがたい。ありがたい。




100日ブログ 7日目

九州 命のバトン旅C 〜JR九州さんに物申す〜

京都から新八代まで新幹線だ。

切符は新八代まで一度に買えた。

しかし、乗り換えが必要だ。

乗り換えはどこでするんだっけ?小倉?博多?

その時、ちょうど通りかかった車掌さんに聞いてみた。

「新八代まで行きたいんですけど、博多で乗り換えるんですか?」

車掌さんは言った。

「博多で『さくら』に乗り換えてください。7分後に出ますが5分くらいしかホームの移動にかからないと思いますので、十分間に合いますよ」と教えてくれた。

そうか、博多で降りて、『さくら』ね。

そう私の頭に記憶された。


母の実家の隣に母の姉が住んでおり、そこが目的地。

新八代から車で5分くらいの場所です。

母の姉は、もう20年ほど前に自宅の小屋を改装し、カラオケ屋を営んでおり、私たちが行く木曜日はちょうどカラオケ店が休みだったため、町内の食事会に参加し、昼過ぎなら自宅に戻っているということだった。

私たちが到着するのに、食事の用意をさせるのが気の毒だったため、私たちは昼過ぎに着き、夕飯前にはお暇する計画で、向かっていた。

博多についたのがちょうどお昼頃だったため、急いで八代に着く必要もないし、どこかで昼ご飯を食べていけるということで、博多に来たからには、博多ラーメンを食べようではないかと、駅構内をウロウロした。

何軒か食べ物屋さんがあるが、ラーメン屋さんは見当たらない。

フードコートのような店に長崎ちゃんぽんは売っている。

なぜ、博多なのに、博多ラーメンがなく、長崎ちゃんぽんなのか。

ちゃんぽんは長崎で食べれば良い。私は博多ラーメンが食べたいのだ。

私は駅から一旦出れば近くで博多ラーメンが食べられるだろうと思い、まだ諦めなかった。

端まであるいて駅の案内所に辿り着き、駅をでられるか尋ねたところ、乗車券は有効だが特急券が無効になる。(逆だったかも)とにかくどちらかが一旦駅を出てしまうと無効になってしまうと言われたので、駅を出られず、博多ラーメンの夢は途絶えた。

だからといって、長崎ちゃんぽんを食べる気になれず、それならば駅弁を買って食べようか。ということで一同了承し、結局うろうろ時間を費やしただけでおわり、『さくら』が待つホームへと向かった。

『さくら』に乗れば良い。そう思っていた。

自由席なので、ホームの売店で駅弁を買い、次に来た『さくら』に乗った。

私たちは席を探した。運良く、3人掛けの席に座ることができた。

早速、ホームで買った駅弁『九州めぐり弁当』をひろげた。

娘はこんなところに来てもいつも口にできるような、おむすびとサンドウィッチとお稲荷さんを買った。そんなんいつでも食べれるやん。と言いたいところだが、食べたいものを食べれば良いと言葉を飲んだ。

九州めぐり弁当は、九州のそれぞれ県の特産物を使ったおかずが入っており、お品書きも書かれてあったので、「大分は・・・鳥のから揚げね。そうだね。発祥らしいもんね。面白いね。こういうのいいね」と言い合い、

「ばあちゃん 弁当の蓋、反対からあけてるやん」だの

「これ 甘いなぁ」だの

「お稲荷さんに しょうがが入ってるからいらん」など言い合って、ワイワイやっていた。

娘が選んだサンドウィッチにはマスタードが入っており、あららら食べられへんなというと、
娘は「ぱぱにあげよ。」といったので、私たちは大笑いした。

今からこれをぱぱにあげるとなると、4日後だ。腐ってるで。など爆笑ポイントもありながらのお食事タイムであった。

ワイワイやっていながら、私の耳は、車内アナウンスをときおり気にしていた。

(さっきから ちっとも『新八代』って言わないなぁ・・・)と 思っていたが、弁当を食べ終わるまでは、さほど気にとめていなかった。

腹も満たされて、やることがなくなったので、考え始めた。

(新八代には何時頃付くのかな?大体博多から1時間くらいだったはずだけど・・・)

熊本が近づく頃、娘10は眠り始めた。

もうすぐ着くんだけどなぁ・・・。とおもっていた。

あれ?もしかして 大分の方に行く新幹線もあるの?もしかしてそっち周りで鹿児島?

と真剣に悩みだし、違う、八代方面しか新幹線はできてない。と、思い出すまで、少々の時間を費やした。

「よかった。よかった。まさか新八代に停まらないかと思ったよ」

と、私の頭の中で起こったことを一部始終母にはなし、ホッと落ち着いたとき、

電光掲示板が「只今 新八代を通過しました」と示した。

は?あれ?なんで?

何十年か前の再現だ。

また水俣?

けれども今回は新幹線。

水俣も通り越し、次に停車したのは、30分後 鹿児島の川内(せんだい)という駅であった。

娘10は寝ていたので、どれだけ乗り過ごしてしまったかは実感はないであろう。

もし起きていたら、「もう ままぁ」などといわれ、母の面目丸つぶれである。まあ面目等はもともと潰れている状態のため、娘が起きていたところでさほどかわりはないが。

それにしてもなぜ、停まらなかったのか。

車掌さんは、博多で『さくら』といったよね。

川内駅で駅員さんに尋ねた。

すると、『さくら』は一時間に2本走っており、うち1本は新八代に停まらず、1本は停るという。

ということはだ。急行と準急みたいなものである。

それならば『さくら』準急とか急行とか名前に違いをつけるべきではないか?

もしくは、『さくら』が急行ならば、準急を『つばき』でも『あやめ』でもよい。

おなじ『さくら』で番号だけ違えて、停る駅が違うなんて、それってどエライ不親切やん。

これが関西を通っている新幹線なら、早々に関西のおばちゃんが物申し、とっくに改善されているであろう。

だれも間違ってないのか?だれも指摘していないのだろうか?

私が、博多ラーメンを食べたいと思ったばっかりに、博多駅で時間を費やし、車掌さんが教えてくれた列車には乗れず、次の列車に乗ったのだと思う。

もし博多ラーメンがあれば、ちょうど一時間後の列車に乗っており、うまく新八代につく列車に乗れていたのかもしれない。

すると、こういうことに気がつかなかった。でも気がついちゃった。

JR九州さん。これはちょっと改善していただきたい。



それにしても鹿児島に来るとはね〜〜

また行き過ぎちゃったね〜〜

写真撮ろ 写真。と、もう人生で二度と来ることのないであろう川内駅で写真を撮り、もう一度『さくら』に乗り込み、新八代へと向かったのでした。


JR関係の方が このブログご覧になられていましたら、どうかひとつ『さくら』の名前改訂の件ご検討下さいませ。


つづく。


100日ブログ 6日目










九州 命のバトン旅B 〜思い出の自由席〜

旅行当日 朝8時。自宅前のバス停からバスに乗り近鉄新田辺駅へ向かいました。

荷造りは、それぞれの責任で。ということで、娘の姿を見てみると、リュックと塾のカバンを持っています。

何を入れたのかと思ったら、リュックには着替え、カバンにはipadminiと DSと大きな分厚い本。

なんの本を持ってきたのかと思ったら、ゲーム本。

旅行にこんな大きな本を持っていこうと思うなんて、子どもならではの行動やなあと呆れました。

私は少しでも荷物は少なく軽くしたい方です。

まあでも本人が持つんだし、私に持ってくれと言わないならこれもよしです。


新田辺駅で母と待ち合わせ。

私はピタパでスっと改札を通りました。

娘もピタパを持ってます。

母は切符を買います。

京都駅までの切符ぐらい一人で買えると思ってました。

なかなか来ません。

娘ははじめから分かっていたのでしょうか?

私は先に改札を通ったのですが、娘は最初から母について切符の自販機へ向かいました。

随分時間が経って母と娘は現れました。

「のんちゃんにおしえられたわ〜〜」

と トホホ顔で現れたもうすぐ72。

娘10は役に立ちますな。

そして京都へ。

京都駅で新幹線の切符を買います。切符を買うとき母が言いました。

「自由席でいいやん」ともうすぐ72がいいます。

「え〜〜自由席で行くの?」と43。



昔々、母は私たち兄弟をつれて熊本に何度か帰りました。

もちろん自由席。ものすごく混んでいて座れなかった記憶しかない。

小倉から八代までの列車も、恐ろしく時間がかかったように記憶しており、こちらも自由席。

席もない。トイレの前で立っていた記憶があります。


もうすぐ72。と娘10を連れての旅は指定席でしょう。と思っていたのに、母が「自由席でも座れるんちがう?」と言いました。

ホンマに座れる?私立つの嫌やで…と思いながら、自由席のチケット購入。

そして のぞみがのぞみに乗りました。←お約束

母の言うように自由席でも座席確保できました。

春休みのはじめだとこうはいかないんでしょうね。

まさか自由席で行くとはな〜〜と思いながら座席に腰を降ろして、娘はDS私は本でも読もうかと広げましたが、私に本を読ませてはくれませんでした。

母の弾丸トークがスタートしたのです。

「昔は自由席でしか帰ったことなかったなぁ。覚えてるか?」

覚えてますとも。しんどかったよ。立ちっぱなしで。

「通り越したこともあったん覚えてるわ。八代に停まらずに。水俣までいったやん。はっきり覚えてるわ。なんか茶色い駅のホームやったわ…」

まさか まさか 

これから 私たちが もう一度何十年も前と同じ目に遭うとは、この時は思いもせず、座れてよかった よかったと 自由席の切符を買ってよかったなぁと 母の弾丸トークに相槌を打っていたのでした。



つづく。


100日ブログ 5日目。

州 命のバトン旅A 〜旅の準備〜

今回の旅は 一味違いました。

何が違うって旅の段取りを一切私がやるのです。

今までの旅行はすべて、うちにいる親切な人が全てやっていまして、

私は前日に自分の荷物を詰め ついていくという感じ。

ヘタをすれば、「どこに泊まるの?」という状態でついていくこともありました。

しかし、今回の旅は、私が思いたち、娘を連れて行くので、私がやらねば誰がやる。

初めてネットで宿を手配。

こんなことできるのね〜〜

目的地まではどうやって行けばいいか・・・

その後はどう移動するのか・・・

どれくらいの時間がかかりそうか・・・

連れて行くのは もうすぐ72歳と10歳。


熊本で母がゆっくり過ごしているあいだに私たちは大分へ行こうか?と考えて、途中熊本まで引き返して合流しようか?などと提案してみるものの、母は、「ひとりで電車に乗れない」といいます。

八代から熊本までちょっとやで? といっても それが無理らしいのです。

なので、別行動はできないので、すべて一緒に行動することとなりました。

母の実家に一緒に行き、一緒に過ごす。夕方、熊本まで戻って1泊。

翌日は熊本城散策。

熊本から大分杵築へ。

杵築で1泊。

杵築から私と娘は柳ヶ浦でおりて父の実家へ。

母はそのまま電車に乗って小倉へ 小倉から新幹線で京都へ。

というコースで行きました。


宿泊先は 熊本城周辺を探し、東京に泊まった時に温泉が良かったドーミーインにしました。

大分の方は、友人が以前貸してくれていた本に杵築の温泉が乗っており、せっかくだからそこにしようと「風の郷」というところに決めました。

予約の電話もして、準備が整いました。

父の実家には父の弟夫婦がじいちゃんばあちゃんと一緒に住んでいます。泊まるとなると、いろいろ準備など世話がかかるので、こちらもお昼に顔を出して、娘がじいちゃんばあちゃんを覚えてくれたらいいと思っておりました。

泊まりません。と連絡をしていたんですが、

おじさんから電話で、「せっかくだから泊まりなさい」と言ってもらい、父の実家でも1泊することにしました。

すべて準備が整ったと思って明日出発という日になって、おじさんから電話がかかってきました。

「それで 泊まるんか?」

「はい 泊まらせてください」と答えると、

「それならそうと 言ってくれないと準備がある」と言われました。

あれ?おじさんが泊まりなさいと言ってくれたんじゃなかったの?と思いましたが、

「今から準備が大変なら泊まらなくていいです。帰ります」というと、

「いやいや 泊まってくれたらいい」と。

はじめの電話で、私は泊まらせてもらえると思い込み、おじさんはもう一度正式に電話があると思っていたようで、なんだか出発前に嫌な感じに・・・。

(だから はじめから泊まりませんっていってるやん・・・)

とおもいながら、この旅一体どうなるんやろ?と思いながらの出発となりました。


つづく。


100日ブログ 4日目









九州 命のバトン旅@ 〜旅のはじまり〜

今回の旅は 一枚の年賀はがきから。

85のばあちゃんが毎年手書きで年賀状をくれます。

その文面の一番最後に、

「お便りください」

と書いてありました。

その言葉に ズキューンと 打たれてしまいました。

私は、こうしてほぼ毎日文章を書いている。

だけど、ばあちゃんには年に一度の年賀状くらいしか書いていない。

年賀状もみんなと一緒のものを送っているし、ばあちゃんに宛てた手紙なんてここ数年書いてない。

私は 何をしていたのか・・・ばあちゃんごめん これからはばあちゃんに手紙を書こう・・・そう考えたりしていたら、

ばあちゃん何歳だったっけ じいちゃんは?あれ?もうそろそろやばいぞ。

と思い、娘は幼稚園に上がる前に一度連れて行ったが、ほぼ記憶に残っていない状態なので、生きているうちに娘の記憶に留めさせてやろうと 思い立った。

思い立ったのが一月。

私は早速 手紙を書いた。

「春休みに そちらに伺おうと思います」

しかし 私の最近の体調は一進一退を繰り返しており、

体の調子というか 心の調子と言いましょうか 行くぞ〜〜と思って手紙を書いてしばらくしたら、行けるかな?と弱気になってみたり、そうこうしていると、本当に腰が痛くなり、やっぱり無理だなと思ったり、気分も体調も浮き沈み・・・・。

けれど、気分がいい時に宣言したことは、周りがもうそれ仕様で動いています。

実は 母の実家が熊本なので 私が娘と大分に行くのであれば、母を誘って母を熊本に連れて行くことができるな と思いついており、母には早々に提案していたのです。

私が、もういかんとこか・・・と思っているとき、

「新幹線の切符 買っとこか?」

この一言で、九州旅行決定。

母を誘っていなかったら、実現していない今回の旅。

とりあえず、気分を上げて 出発することとなりました。



100日ブログ  3日目

やる気充電

旅行から帰ってきたら、やる気が出てきました。

命のバトン旅は、娘のために行こうと計画したけど、私のためにもなっていたようです。

やる気が出ていろいろ動いていたら、こんな時間になり、もう娘を寝かせる時間なので、ゆっくり書いていられない。

わたしもきっと眠ってしまうから。

では また明日。

92と85

92のじいちゃんは、何かに似ていた。

なんだろな?と思うまもなく、それがわかった。

オランウータンに激似。

85のばあちゃんは、足が一本増えていた。

杖が手放せないのだ。

二人とも、自分で食べられるし、自分で出せるし、自分で着替えて、自分でお風呂も入る。

ただ、すべてに恐ろしく時間がかかるのだ。

年を取ると、なにをするにも時間がかかる。

みんなそうなる。

私もあなたも。



やってしもたぁ

寝てしもた。昨日。

10日も続けへんかった。

飛躍はまだ先か。


昨日はすごく良い天気で、熊本城を観光ボランティアの人に案内してもらいました。

そして、杵築へ。

夜中から、嵐です。

今日は、柳ヶ浦へ。

母とは別れて、私と娘は父の両親が住む地へ。

父のお墓もあります。

ではでは、朝風呂に行ってきます。

臨月

最近やたらと足がしびれるなぁと思っていたら

体重が一年前より10キロも増えているではないか。

臨月である。

子供を一人産むことができる体重になってしまった。

私は どこまで大きくなるのだろう。

仕上げ磨きは10歳まで bT

娘が3歳の頃だっただろうか?

初めて歯医者に連れて行ったのは。

仕上げ磨きは10歳まではしてあげてくださいと教えてもらった。

10歳まで?そんなに大きくなるまで仕上げ磨きをしてあげないといけないのか??と思っていた。

娘が自分で歯磨きをし始めるようになってからだんだん磨かなくなった。

お風呂に一緒に入っていて湯船で私は歯を磨くのだが、その時に一緒に磨けばいいのに、私が目の前で磨いていても磨かない。

仕上げ磨きどころか 本番の磨きも一からしてやるというのに拒否される。

朝は学校に行く前に磨くが10秒ほどでおしまい。

はやい。

なぜ磨かないか。娘は虫歯になっていても痛い思いをしていない。

虫歯があります。と検診で引っかかり、歯医者に行き治療する。

治療も痛くない。

娘は困っていないのだ。


私は磨きなさいというけれど娘は磨かないので、虫歯になっても歯医者には連れて行かないと宣言していた。

一度思い切り痛い思いをしたほうが良い。と思っていた。

そしたら父親が歯医者の予約を入れた。

それも平日の15時。

仕事が休みなのか?と聞くと、休んで連れて行くという。

私は休みだったので、結局私が連れて行った。


歯医者は一年ぶりであった。

「ハミガキちゃんとしてるかな?」ときかれ、

「全くしてません」と 私が答える。

「どうしてしないの?ちゃんとしないとダメだよ〜〜」と言われ 歯磨きの仕方を習う。

娘は途中で

「歯磨きってしたほうがいいの?」と質問する。

なにをいまさらきいとんねん。

「この子 歯磨きしないので 虫歯の治療は痛くしてください」とお願いした。

娘は「え〜〜〜」というが

「痛くお願いします」と念押しした。


結局この日は、虫歯が一本あるのと もう抜いたほうがいい歯が、2本あるので、次回治療をし、抜歯をするか決めることになった。

娘に今度の治療の日までに、歯磨きをちゃんとするなら 抜歯はしない。といった。

するとその日の夜から娘は歯磨きをちゃんとし始めた。

今から思うと 今までの娘の歯磨きは 歯濡らし程度であった。

「ままぁ ここは磨きにくいな」

素晴らしい。歯磨きをちゃんとしている人のセリフである。

ほんとにこの日から娘はちゃんと歯を磨いている。

今日なんかは、

「のんちゃん歯磨きするの楽しくなったわ」という。

そして治療の日。

先生に

「ハミガキ上手になったんです!!」と報告したら、すごいね〜〜と褒めてくれた。

で抜歯はどうしましょう。と聞かれたので、

「歯磨きが下手くそになったら すぐ抜いてもらいに来ます」と娘の前で言った。

先生は

「すぐに連絡してください 夜中でもいいから連絡ください。麻酔なしで抜きますので」と

娘の前で真剣な顔でいい

私は「わかりました。よろしくお願いします。」と娘の前で言った。



私は ある言葉を思い出した。

【10歳までは仕上げ磨きをしてあげてください】

10歳になると こうして歯磨きがちゃんとできるから仕上げ磨きをしなくていいのね。

大人の歯が虫歯になる前にハミガキが楽しくなってよかった。よかった。




泣いたあとにはジャ〜〜ンプ  bS

今日は4月1日。小学校は離任式がある。

娘は昨夜学校に行く用意をしはじめて、泣き出した。

離任式と始業式についてのことが書いてある、プリントが見当たらないのだ。

しばらく一人で探したけど見つからず、しばらくして

「ままぁ〜〜。゚(゚´Д`゚)゚。」と言ってきた。

まあ 少しの時間自分で探しただけ成長か…と思った。

お小言をたっぷり浴びせたあと、

「だから どうしなあかんの?大事なプリントがなくなることなんて、あるで。でものんちゃんが知りたいのは、明日のことやろ?明日のことはプリントをみないとわからんか?それしか方法ないのか?」と言った。

・友達に電話して聞く。

・多分上靴だけだろうから誰にも聞かず上靴だけを持っていき忘れ物があれば怒られる方を選ぶ。

離任式に必ず持っていかないといけないものなどない。あっても筆記用具くらいであろう。

それなのに娘は 泣き続ける。

娘は忘れ物をしたくないタイプだ。

なので友達に聞こうと思うが、もう泣いて泣いて泣き続け、友達に電話して聞くということもドキドキするため 泣き止むことができない。

娘といつも仲良くしてくれている友達なら、プリントがないとわかった時点で、「友達に電話するわ」というか、「上靴だけでいいわ。」と自分で判断するだろう。

泣く なんてことありえない。

そのことを娘に言ってみた。娘は大きく頷いた。

「でもね。のんちゃん ままはプリントがなくなったことぐらいで大泣きするあなたの性格嫌いじゃないよ。」

そういって膝に抱えると さらに音量が上がった。

結局その日は遅くなり泣き止みもしないので、明日の朝(今朝)電話することにしようと、眠った。

今朝 起きてきて電話をする寸前、また泣きだそうとする。

もういいで。のんちゃん。

私に隠れて電話をした。

そして、登校。

7時半に家を出て10時前に帰ってきた。

あっという間の離任式。結局上靴しかいらなかったのだ。

生き生きとご機嫌で帰ってきた娘、いつもよりもハイテンション。

問題が解決し、この世の地獄からこの世の天国へ。 簡単に行き来のできる地獄から天国である。

天国に登った娘は 私に昼ごはんを用意するといって ドライフルーツがたっぷり入ったパンに、ブルーベリージャムをのせたのともう一つりんごのジャムをのせ、ご飯をよそい、コーヒーを入れ、ハムをカットし電子レンジで温めた。

すばらしい組み合わせ。考えられない取合せ。

でもそんなことはどうでも良い。用意してくれるなんて初めてやん。なんだっていい。内容はどうでもいいのだ。

まあ いつもの私が用意するものと 大して変わらないのかもしれない(笑)

「うれしいなぁ 美味しいなぁ」といって食べると、

「食べきれなかったら残してもいいで」という、上から目線である。

残すものですか、全部いただきました。

お腹いっぱい。大満足。

「お皿も洗うし」と曰う。

「いえいえ 用意していただいたんですから お皿ぐらい洗わせていただきます。」というと「いいから のんちゃんが洗う」と。

そう言って片付けも全部済ませてくれた娘。

昨夜の泣きからの反動だとおもわれる。

あれがなければ こんなに天国な気分にならなかったはずだもの。

プリントがなくなるということだけで、結局 天国気分を手に入れるとは。

浮き沈みの激しい娘の物語でした。

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摩耶
京田辺在住です。

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