目指せ!京都大学への道D 9時間耐久自習会に挑戦

9月23日火曜日秋分の日

娘は、個別指導塾の9時間耐久自習会に参加しました。

本来、火曜日は、19時からの50分間、個別の指導を受けているのですが、祝日でこのような企画があり、これに行っときなさい!と、すすめました。

というのは、勉強ができる子って、夏休みとか、2つ弁当をもって、塾に行っているらしいではありませんか。

うちは、そこまでしていないですが、できる子は、どんどん勉強して、どんどんできるようになって、結局は差が出てくるんだなと思っていたのです。だからと言って、二つ弁当をもって塾に通ってほしいと思っていないのですが。

で、通っている個別指導塾でこのような企画があり、晩御飯用に弁当を持っていくという9時間耐久自習会。

一回体験してみるのもよさそう。

「もちろん行きや」というと、

「え〜〜〜」と渋い返事。

申込用紙には、お友達も参加OKと書いてありました。

先生に、費用はいかほど?と尋ねると、無料だということで。

それなら、京都大学を一緒に目指す、腹心の友を誘おうではないか。

と思いつき、さっそく連絡。


娘の口から、誘ってもらおうと、

「相手に、わかるように話してごらん」といって、電話をかけさせるものの、相手に伝わらず、お互いの母は、「こういう話を伝えるのって、まだ無理やねんな」と大人が電話を替わり説明。

運よく、秋分の日の予定がなかったらしくて、一緒に参加することとなりました。

時間は13時から22時。

お弁当持ち。

何時で帰ってもいいようでしたが、とりあえず、何時まで参加するかを記入しなければならず、子どもたちに聞くと、「のんちゃんが22時までするなら、わたしもする」といってくれて、じゃぁ挑戦してみるか。と、参加したのでした。

私は、朝からというか、昨日から、お弁当に何を持たせようかと考えており、朝から、お弁当を作っておりました。

トウモロコシごはんが大好きなので、それをいれようと思っていたら、

「まま、ごはんは何を入れるの?」というので、トウモロコシごはんだと伝えると、ふりかけがよかったと。

まだまだ、私は、娘を理解していないようです。

炊き立てならばトウモロコシ、お弁当ならばカツオのふりかけがいいのです。

今後は、カツオのふりかけにさせていただきます。


はじめてつくる、さんまのニラダレ。

みりんの代わりに酵素を入れたら、換気扇から外にいた娘に匂いがわたり、

「酵素使ったな!」と入ってきて、「ううん。つかってへんで」とごまかし。

娘は酵素が嫌いです。

でも、出来上がりはおいしいと食べてくれました。

友人母は、おやつを持たせられないのか?といい、おやつはあかんやろ?というと、愛情たっぷりフルーツの盛り合わせを弁当に持たせたようでした。

「二人が、楽しく勉強できますように」と、言葉を添える友人母。ええお母さんです。

さてさて、娘たち、あと2時間、勉強できるのでしょうか?

もうそろそろ、ギブアップの連絡が来るのではないかと思うのですが、どうでしょうか?

この結果は、また後日。

2014年 金沢の旅 その3 金沢21世紀美術館

思ったより早く到着された、レストランルスティク一家。

あきらめていた小屋見学ができるではないか!と思ったのですが、どうやら、もう、すぐにお昼を一緒に過ごすお知り合いの元に行かねばならないということでした。

なので、もともと私に頂いていた時間は30分ということだったのだと、このときやっと理解。

でもでも、小屋の内部にはいれるのが4時からだから、ここで講演会が終わるのを待って、小屋を一緒にみて、そして小屋の内部にも侵入して、それからキャンプ場に向かうのでもいいよね?とあきらめ悪く提案してみたのですが、キャンプ場には早めについて、テントを建てたりしたほうがいいといわれ、却下。

そうか、そうなのか…。


私は、残念な気持ちでしたが、YMちゃんは今から会える愛しの中村氏のことで頭がいっぱいのようで、お召しになられていたきれいな青のワンピースのように、心晴れ晴れといった表情をされていました。お付きの方、あっ間違いました、ご主人のKBちゃんはそんなYMちゃんをにこにこと見つめ、お二人で、白い壁の通路を歩いて去っていかれました。

その後ろ姿が、とてもよくて、思わず写真を撮ろうとスマホを取り出しましたが、シャッターを切った時には、お二人の人影は小さくなってしまっておりました。


素敵なご夫妻が去られて、傷心の私の心を癒してくれたのは、このとき、期間展示されていた、木梨憲武さんの個展でした。小学生以下は入場無料なので、さっそく入場。子どもたちはなんの興味もないようでしたが、ついてきてくれて、楽しむことができました。

こういう所へ来ると、お金を払って、個展の案内をイヤフォンをして聞くことができます。

私は、それを一つ購入し、聞きながら、巡ることにしました。

なんと、そのアナウンスの声の主は個展の本人、木梨憲武さんなのです。

説明を聞くとさらに深く作品を見ることができます。

私は、お勧めしますね。


YMちゃんの子どもたち、長女10歳 次女8歳とうちの娘11歳は、長男2歳の面倒をかわるがわる見てくれたので、私は木梨憲武展を楽しむことができました。

それでも、私としてはもっとゆっくり、じっくりとみたいなぁという思いが残りました。



ここ21世紀美術館では、ほかにもいろいろな展示物がありました。

有料のスペース、無料のスペースといろいろありました。

私は、美術館というところが好きだなぁとおもっておりました。

安曇野のちひろ美術館もよかったし、大山崎のアサヒビール美術館も大好きです。


お昼近くになっていたので、ご飯を食べようか?ということになりました。

美術館内にレストランがあり、どんなものがあるかなと、メニューに目を向けたとき、

バン!と大きな音がし、振り向くと、なんと長男2歳がガラス窓に激突!

え????

空を飛ぶ鳥が、窓ガラスがあるのがわからず、激突する。そうまさにそれを大地を歩く人間がやってしまったのです。

このときまで、長男2歳は、ちょこちょこと走って止まる。を繰り返しながら歩いておりました。それをうちの娘が相手して、長男に合わせて歩いているという感じでした。
娘11は、子守をする経験がこういう時にしかないので、喜んで長男2歳を見てくれていました。
しかし、娘も、レストラン前に来て、ふと気を抜いたのでしょうか?
走って止まるのは白い壁の面ではよかったのですが、ガラス張りのところへやってきて、そのガラスがわからなかったのでしょう。

娘も長男2歳が、まさかガラス面に向かって疾走するとは思わなかったのでしょう。

バンッ!

うわ〜〜〜んと泣きはじめました。

ガラスみえへんかったんか!?という驚きとシマッタ!目を離した!という後悔が一度に。

痛いよな〜〜こけるより痛いよな。激突やもんな〜

とみると、鼻血がタラ〜〜

あららら〜〜〜

ついでに唇も少し切っていて血がにじんでおりました。

大切なお子様をお預かりして、けがをさせるとは。

それも、私が見ててあげるわと言い出して、けがをさせたら、申し訳ないという気持ちがムクムクと膨れ上がり、その思いは、またしても娘を攻撃するという方向へと。

「のんちゃん!ちゃんとみててくれなあかんやん!!」

そういってすぐ後悔。

娘のせいじゃありません。

預かるといったのは私なのに。そう、私が目を離したのです。

娘にも申し訳ない思いと、長男2歳にも悪いことしたという思いと、鼻血よ止まってくれよという思いと、一気に私の体内温度急上昇しておりました。

驚いたことに、バンッという音とともに、美術館スタッフがすっ飛んできてくれました。

なぜ、こんなに早くすっ飛んできてくれたのかというと、なんと、この美術館、このような事故が多発しているらしく、

「子どもさんがよくぶつかるんです」と話してくれました。

そして、救護室で休まれますか?とまで。

歩けないなら、車いすを持ってくると。

そこまで準備万端なら、もう少し激突しない方法を考えてくれてもよいのでは?と頭をよぎりました。

「いやいや、そこまでは結構です」と、救護室行きは丁重にお断りし、鼻血を拭うべく、ティッシュをたくさんいただきました。

幸い、長男2歳の鼻血はすぐ止まり、痛いからと言って、母を求めてぐずるということもなく、私に抱かれて、しばらくすると、泣き止んでくれました。

長女10歳が、一生懸命あやしてくれました。


外から見て美しいガラス張りの美術館の中は、危険と隣り合わせなので、小さなお子様を連れて行かれる場合は、十分に注意なさってくださいね。


結局、美術館内のレストランで食べる気になれず、私たちは、早々にこの美術館を後にしました。

今夜泊まるキャンプ場までは美術館から40分ほどかかるので、それまでの道中で食事できるところを探そうかということになり、子どもたちも賛成してくれて、というか、子どもたちは特に美術館に行きたいというわけではなかったので、キャンプ場へ向かうことにしました。このとき、時間が13時半くらいだったと思います。


訪れたかった美術館を意外と早く立ち去るという、なんともさみしい感じでした。

(もう一回、来たいなぁ…)

私は、そう思っておりました。


さて、目的地は、「MISIAの森」です。

そうです、そのはずでした。

ところが、この日に泊まるテントサイトがあるのは、「MISIAの森」ではなかったのです。

そうとは知らず、私は、「MISIAの森」を目指して車を走らせたのでした。


つづく。



2014年 金沢の旅 その2 到着 

私の方の準備は、比較的簡単でした。

5人用のテント。寝袋2個。テーブル2台。椅子2脚。ウォータージャグ。お皿やコップ。ごみ袋。ライト。シート。蚊取り線香。

二日目に、海に入るかもしれないということで、海水浴の用意。ビニールベッドに日よけのテント。パラソル。

それらを前日に車に積んでおき、当日の朝はおにぎりを作って出発いたしました。

5時50分ごろ出たでしょうか。


YMちゃんが「MISIAの森」を予約してくれたということで、私はここ最近まったく聞いていなかったMISIAのCDを何枚か用意し、年代物のCDチェンジャーに入れて、車を走らせました。

娘は違う曲を聞きたかったようですが、「MISIAの森にいくのに、MISIAきかんといつきくねん」といって、一人ライブスタート。

あ〜懐かしい〜やっぱりいいね〜〜MISIA〜と思いながら、歌いますが、あれれれ、昔歌っていた頃より、私の声が出ません。

お〜〜声が出なくなってるわ〜〜と言いながら、無理やり声を出しながら、快適な(私だけ?
)ドライブ。

車一台で行くことにしていたら、こんなに歌を歌えなかったなぁと思いながら、一緒じゃないからできることを満喫しようと思っておりました。

YMちゃんたち、ちゃんと出発できたかな?下道できて、間に合えばいいけどなぁ…と思っておりました。

特に、道が混むということもなく、あと残り三分の一ほどのところでトイレ休憩を取りましたら、ちょうどYMちゃんからメールが入りました。

すると、なんと、事故渋滞に巻き込まれ、今まだ、三分の一くらいのところだと。

あららら〜〜

下道ではなく高速にしたらしいのですが、乗った途端事故渋滞。

のちに、別の友人が同じ道で同じ時間帯で同じ方向へ向かっていたらしいのですが、まったく渋滞していなかったらしく、少しの時間の差で、まったく景色が違うのだなと思いました。

私たちは、まあ約束の時間につけるなぁと思っていたのですが、降り口を一つ間違い、一つ先で降りてしまって、遠回りをし、そして、目的地付近に来た時に、中村氏の垂れ幕のようなものが目に入り、「あ!ここやわ!!」と言ったのと同じタイミングで、停車していた車を一台追い越したら、右後方から来ていた車と危うく接触!という出来事に遭遇。

クラクションが鳴り響き、冷や汗タラタラ。

(こんな所へ来て、中村氏のポスターに目を奪われて交通事故なんて起こしたら、一生中村好文を恨んでやる)と勝手に、中村氏に恨みを募らせる妄想をし、何のためにこんなところまで来たんや!ということにならないですんでよかったと、ほっと胸をなでおろしました。

21世紀美術館に入る、駐車場がわかりづらく、何度かくるくる回っていると、娘がイライラし始め、「ここやん。ここに書いてあるやん!」と言いますが、私はまったく表示が見つけられず、半ばけんか腰になりながら駐車場に入り、(地下に入る駐車場でした)駐車場内でも、どこに停めるねん?と訳が分からず、「どこや?このままやったら出口になるやん。と言ってると、「もう、まま〜〜」と、焦る私に追い打ちをかけるような言葉を発するので、

「なんであんたはこういう時に、人の神経を逆なでするようなこというねんな!」と駐車場所を見つけられないイライラを娘にぶつけ、さっきの事故をしかけたドキドキが、イライラに変換されて、発散されるという、なんとも、悪循環のループに突入してしまったのでした。
そんなこんなで、ようやく駐車できたときに時計は、10時を指していました。

(もっと早く着くと思っていたのになぁ…でも、まあ、約束の時間やな。私たちで、この時間ということはYMちゃんたちはいったいなん時に着くんだろう?)と思いました。

中村氏の小屋を一緒に見たいと思っていましたが、入館を待つと、いつになるのかわからないと思い、先に、入館しました。

(もう、YMちゃんと小屋をみるという目的は達成されないかもしれないな…)とあきらめムードになっておりました。

金沢21世紀美術館は、白い建物で、外側が全面ガラス張りで作られていました。地下1階地上1階で構成されています。

周りは緑の芝生が広がっており、オブジェなどが飾ってあり、安曇野のちひろ美術館を思い起こさせるような佇まいでした。

外から見ると、中にいる人たちが丸見えで、建物内部の壁は白いのです。人も美術作品の一部とでもいうような感じでした。

中村氏の小屋は、この建物の中央部分。中庭のような場所に建てられていました。

第一印象は、「可愛い…」でした。

中村氏の建物は黒がテーマカラーのように聞いていましたが、この小屋はこげ茶色でした。

不思議なことに、小屋の中に足を踏み入れることができる時間帯が決まっており、夕方の4時からは入っていいということでした。

どうして、時間が決められているのか不思議でした。

そうこうしていると、YMちゃんが駐車場に着いたという知らせが。

え〜〜すごい早いやん。30分も遅れずに到着。

え??あの時、まだ三分の一のところだったのに、すごい!!

少々狐につままれたような気持ちでしたが、YMちゃんご家族が到着されました。

じゃぁYMちゃんと小屋をみれるやん!!

一度あきらめかけていた目的が再浮上。

さあ、ここから、私が体験したかった、【YMちゃんとあ〜だこ〜だ言いながら小屋をみる】が達成される時がやってきました。

と、思ったのですが…

そうは行かないのが、人生です(笑)



つづく。



つづく。







2014年 金沢の旅 

金沢行は決まり、メンバーも決まり^^;

しかし、旅の行程がなかなか決まりませんでした。

決まらないというか、YMちゃんと打ち合わせがなかなかできない。

お互い忙しく、会う機会がなかったのです。

一度だけ、打ち合わせをしたときに、野外活動センターのようなところにまろうということになり、調べてくれたところに問い合わせをしてみました。

小さなバンガローしか空いておらず、とりあえず、そこを予約して、大きなバンガローにキャンセルが出たらそちらに変更させてもらうということにしました。

受付のおじさんは「私共としましても、おすすめできないところです」というくらい、いろいろと整っていないのか、汚いのか、そういうところでした。

娘にそのことを話すと、それやったら、テントに泊まったほうがいいということで、テント泊にすることにしました。

うちには使ったことがない5人用のテントがありましたので、それを持っていくことにしました。

YMちゃんは、テントを買おうと思っているということをこのとき話してくれました。

汚い?バンガローに泊まるのではなく、テント泊にしようということだけ、決めて日が過ぎて行きました。


打ち合わせしなあかんなぁと言いながら日が合わず、YMちゃんのレストランには出勤していたものの、打ち合わせできなくて、YMちゃんが考えてくれた旅の行程があるとき私のカバンに入れられておりました。

YMちゃんは検索するのが好きで、いろんな情報を仕入れて、一番いい方法を考えてくれるので、【考えてくれたように動けばいいわ】と思っていましたので、なんの疑問も持ちませんでした。

そもそも、宿泊しようと思ったのは、YMちゃんが現地で知り合いの方に食事に誘われているということだったので、(その方も講演会に行かれる方で)講演会後、夜、食事に行くのだと思い、それならば、宿泊した方が、ゆっくり過ごせるから、泊まることにしようか?と、提案したのでした。

車も1台で行くつもりでしたし、帰る時間を気にして食事をするのは気の毒だと思い、近くに宿泊することにすれば、時間を気にせず楽しめると思ったのでした。


【夜、食事に誘われたから、宿泊する】と思っていたので、YMちゃんが旅の行程を書いてくれたものをみても、まさか昼間に食事をして、それから講演会に行くことになっているなんてことを考えもしませんでした。

要するに、書いてくれたものをよく読んでいないということなのですが…。

そして、このとき、講演会にKBちゃんも行くということも思っておりませんでした。

KBちゃんは、子守のために付いてくると思っていたのです。

金沢行の1週間ほど前でしたでしょうか。連絡を取り合いましたが、その時に初めて、食事をするのは昼で、夜は、バーベキューをしようと思っていることを知りました。

私は、近くの温泉にでも行って、そこで食事を済ませて、そして、テントで眠ればいいと思っていたのです。

しかも、バーベキューの道具を購入したばかりで、試しに先日使ってみたと、言っています。

(そんな、やり慣れていないことを、行ったことのない場所でやるつもり?大変やんか)と思っておりましたが、本人はやる気満々の様子でした。

「準備とか道具とか大変やん」と言いましたが、「もう、いろいろ購入した」ということで、
温泉に入ってレストランで食事というのは却下されました。

YMちゃんは、「昼間子どもたちを預かってもらうので、夜は、キャンプを楽しんでもらおうとおもって」と言ってくれました。

準備など、すべてしてくれるということで、私たちは、自分が眠るテントを用意するだけでよいという感じでした。

そして、このとき、宿泊場所を変更したということで、最初の汚いバンガローの場所のテントサイトではなく、私がMISIAのファンだとしって、MISIAが手掛けた森というのがあるから、そこにしたよ。ということを聞かされました。「MISIAの森」というところがあるらしいのです。
「MISIAの森」というところに泊まるのか〜それもいい思い出になるなぁと、このときは思っていました。まさかこれが、また一つのエピソードになるとは思っていませんでした。

この旅を言い出したのは、私ですが、中身を考えたのはYMちゃんという感じでした。出発間際になって、「そうやったん?え?昼間に食事?」とか、「宿泊場所変更したん?」「KBちゃんも講演会にいくん?」とか、【つもりと違う】ということが、たくさんありましたので、少々嫌な予感はしたのですが、私は、中村好文氏が作った小さな小屋をYMちゃんと見たいという希望だけは叶えてもらえたらそれでいいと思っておりました。

車もバーベキューの道具などもあるから、一台では無理だということで、2台で行くことになりました。長い道のりをYMちゃんと喋りながら行くのが楽しいので、YMちゃんの車に子供たちをのせて、KBちゃんに運転してもらい、YMちゃんはうちの車に乗ってもらって、2台でいこうか。ということも考えましたが、KBちゃんが、たぶん一瞬で眠るだろうということで、その夢もたたれてしまいました(笑)

そして、YMちゃんたちは下道で行きたいということでしたので、私たちは別々で行こうということになり、8月2日の午前10時に金沢の21世紀美術館で待ち合わせをすることになりました。

高速道路に乗らなければ、相当時間がかかるよと、別の友人が教えてくれましたが、YMちゃんは下道でそれほど時間が変わらずに金沢の方まで行ったという経験をお持ちのようでしたので、大丈夫下道で。という感じでした。

私は、そうは思えませんでしたので、朝、6時前に家を出て高速道路を使って、金沢へと向かったのでした。

中村好文氏の「小屋」だけはYMちゃんと、あ〜だこ〜だ言いあって見学したいな〜〜と思いながら金沢へ車を走らせたのでした。



つづく。



2014年 金沢の旅 その前に。

2014年8月。私は、レストランルスティクのマダムYMちゃんを誘って、金沢に行くことにしました。

それは、金沢にある21世紀美術館で、レストランルスティクの設計を手掛けてくださった中村好文氏の小さな小屋が展示されていることを、偶然にも知ってしまったからでした。

8月2日は、その美術館の近くで、中村氏の講演会があるらしく、私は講演会には興味がなかったため、YMちゃんの3人の子どもたちを私があずかることにすれば、YMちゃんは愛しの中村氏の講演会に行くことができるではないかと思いついたのです。

好文さんの小屋はYMちゃんと一緒に見たいが、講演会はYMちゃん一人で行けばいいと思っていました。


さて、ここからは、金沢の旅の話をする前に、YMちゃんとの思い出を少しお話しする方が今後のお話がより楽しめると思うので、少々脱線。

YMちゃんとは、子どもが同じ幼稚園に通ったため知り合いになりました。

うちの子どもとYMちゃんの長女とは学年が一つ違い。うちの子が一つ上なのですが、私は娘を1年遅れて幼稚園に入れたため、その時に1学年下の子どもたち&その母たちと同期入園という形で知り合いになりました。

娘5歳の時なので、かれこれ6年前からの知り合いということになりますね。

第一印象は、「よくしゃべる人だな〜」という印象。

「懇談なのに、一人でそんなにしゃべったら、ほかの人がしゃべる時間なくなるやん」とおもったのを覚えています(笑)

又、のちに、YMちゃんが私の印象を、ご主人にどのように話していたかを聞く機会がありました。

「あんな闇(棘)を持った人が、幼稚園の先生をしていたなんて、信じられへん」とYMちゃんはご主人に話していたらしい。

それをご主人は、私に言う。言ってしまう(笑)そんなこと、私に言わん方がいいのでは?と思ったんですが、まあ聞いてしまったものは仕方がない。

ご主人は、レストランルスティクのシェフ。ここからはKBちゃんと記すことにいたします。

まあ、そんな感じで、お互い印象はあまり良いとは言えない感じでスタートでした。

私としては、私の印象が悪いとは思っていなかったんですけど(笑)

しかしながら、私の6年ほど前を知っている方は、よく同じようなことをおっしゃいます。

「鎧を着ているようだ」と。

どこか、いつも戦闘態勢でした。

自分でもそれは認めます。本当に、どっからでもかかってこい。と思っていましたから。

なので、YMちゃんの私に対する印象は、素直なそのままを感じたということなので正解なのです。

しかし、念のため申し上げておきますが、幼稚園の仕事をしているときは、まだ鎧を着ていなかったので、お子様に悪影響を与えたという意識はございません。

鎧を着始めたのは、結婚してしばらくしてからでしたから(笑)



YMちゃんと親しくなったきっかけは、YMちゃんの長女と同じ学年同じクラスになった男の子の母からの突然の旅行のお誘い。

この方をA子ちゃんとします。

A子ちゃんは突然、私たちに言いました。

「まやちゃんとYMちゃんと一緒に旅行に行きたいねん」

今から考えたら、よくいったなと思います。

一番上が、うちの娘。幼稚園の年長児。次にYMちゃんの長女年中。A子ちゃんの長男同じく年中。そして、A子ちゃんの次男入園前。YMちゃんの次女が2歳。

こんなメンバー構成で、長野県松本市へ。安曇野ちひろ美術館。舎ろ夢ヒュッテ。松本城。

森の中のレストランのようなところにも行きました。

母子だけの初めての遠出でした。

遠距離の車の運転に慣れていなかった私でしたが、これで、少し自信がついたのを覚えています。

このときの旅の様子もブログに書いておけばよかったなぁと最近思います。

ちょうどブログをはじめたときに、この松本の旅をしていました。


その旅も珍道中でした。


そして、それから、時々、一学期に一度くらい?私は、いつも誘ってもらって、お出かけをするようになりました。

ところが、それを快く思っていない男がおりました。

というか、私のことを快く思っていない人物。

それは、KBちゃんでした。


いつも母と子でお出かけしておりましたが、あるとき、宇陀、曽爾高原方面に行ったとき、KBちゃんも一緒でした。

とあるギャラリーでYMちゃんと私が話をしていると、KBちゃんがなにやら怒っています。

??それも、私に怒ってる?

このとき、初めて知ったのですが、KBちゃんは常々、わたしのことをよく思っていないようで、うちの嫁を悪の道に引っ張り込む人だと思っていたらしいのです。

私、一度も誘ったことがないのに、私がいつも誘ってどこかへ出かけていると思っていたようでした。そういう風に、YMちゃんがKBちゃんに話していたということになるんですが、私は、身に覚えのない罪?を着せられ、そして、他人のKBちゃんから身内のように怒られるという事態になりました。

何に怒っているかというと、YMちゃんとずっとしゃべっている。という理由。

??しゃべったらあかんかったん?

とにかくKBちゃんは、私とYMちゃんが仲良く話をするのがどうも気に食わないらしい。

それは、今でも続いています(笑)

とまあ、こんなこともありながら、それでもたまにはKBちゃんも一緒に出掛けるということを続けておりました。

私もだんだんKBちゃんとの付き合い方がわかってきており、私にイライラし始めたら、

「あ〜〜YMちゃんを愛してるんやなぁ」と思うことにしています。

私はどうやら、よそのご主人をイラつかせる存在のようで、もう一人の友人のご主人も、嫁が私と一緒だというと、不機嫌になるということがあります。

私って、男なんですね。

嫁がほかの男に現を抜かしていると思われている。

なんて魅力的な私(笑)

なのでKBちゃんだけが特別ではないようで。

この方々に共通するのが、「嫁のことが大好き」

あ〜〜なんてかわいらしいのでしょう。

かわいらしい旦那様に愛されている友人たちとお付き合いするのは、なかなか気を使います。


こちらから誘ってはいけない。

頻繁にあってはいけない。

会話の内容は秘密。

不倫のおきてのようです。


そろそろ本題に戻りますが、こうして何年もの間、時々旅行やお出かけをしており、その大半をYMちゃんに誘っていただいておりましたが、今回の金沢の旅は、私が思い付き、私が誘った旅でございました。


私は、KBちゃんまで誘った覚えはございませんでした。

しかし、KBちゃんは自分も行くと。

店を閉めて行くと。

え〜〜〜〜結構です〜〜〜来ていただかなくてもいいです〜〜〜

心の中で叫んでおりましたが、もう、行く気になっている人をとめることはできません。


という感じで、私が言い出した旅にKBちゃんが付いてくるという想定の範囲外のことが起こった旅が、いよいよ始まろうとしていました。





つづく。





ままの顔を見るために

今朝、私のパソコンのキーボードの上にたくさんのお手紙が置いてあった。

娘が、学校からいただいたプリント類だった。

「一休さんウォーク。いいやん。これいこか?」

「まあ どっちでもいい…」

あまり、乗り気ではない、娘。

まあいいわ。と思い、次のプリントに目をやった。

「わ〜〜これいこ〜〜」とすぐに決めた。

「山城こっとんくらぶ」というタイトルで、3日間かけて、綿摘み、箱織り、染めをさせてくれるものだった。

「これ、楽しそうやな。これいこ!」とよく見ると、対象が小中学生のみ。

「ままいけへんわ。のんちゃんこれいって!まま付き添いで行くわ」というが、娘まったく興味なし。

「こんな体験、なかなかできひんで、いこうさぁ」というが、渋い顔。

「ほな、まま、Sちゃんさそおっと。Sちゃんがいくなら行くやろ?」というと、「うん」と。

でも、しぶしぶって感じ。

「なんやねんな。なんでこんな面白そうなやつにいかへんの?」と、私の好みを娘に押し付ける。私が生んだからといって、私が好きなものが、好きとは限らないのだ。それはよくわかっているけど。

あんたは、対象者の中にはいっとるやんか!わたしは行きたくても、いけへんねんで。最後の手段は中学生に化けるしかないやんか。

と頭の中を駆け巡った。

「じゃぁままが中学生のフリするわ」と言葉に出していってみたが、娘ノーコメント。

私一人で、「行けるかもしれんな。ばれへんかもしれん」と言ってみる。一人ボケ突込み。オチもなし。投げたボールを誰も受け取らず。


「いろんなこと体験してみたらいいやんか、あんたは何しに生まれてきたん?ボーっとテレビ見るために生まれてきたんやろ!」

と、少々嫌味を交えていうと、

「ままの顔見るために生まれてきてん」と即答。



先日、アトピーの子どもは、ままの毒を体から出してあげるために、自分の中に取り込んで生まれてくるというような記事をみており、その記事が心によみがえった。

ままに会いたくて、ままの顔が見たくて、ままに抱きしめられたくて、ままの毒を取り去ってあげたくて、子どもは生まれてきてくれたのだ。


ままの顔を見るために生まれてきたなら、毎日、この世に生まれた目的を達成しているといえる。


私は、娘のほっぺをギュっと掌で包み込んで、だいすき(・´з`・)をした。

娘は、満足そうな顔で元気に登校していった。



でも、Sちゃんに声かけてみよ。

おしまい。

ほんとうに急がば回れです

幼稚園に初出勤する前の日、娘を連れて挨拶に行きました。

普賢寺幼稚園までの道のりで、車一台がやっと通れる幅の道があり、そこを通ると、少し時間短縮で到着することができます。

「今、その道で来ました」というと、「え〜〜あんな道をよくとおるなぁ」と驚かれました。

行き違いができないので、前から車が来たときは、バックして、行き違いができる場所まで戻らないといけないこともあります。

でも、そんなことは稀なのだろうなと思っていたのですが、その帰り、近道で、時間短縮をしようと思って、通っているのに、なんと目の前で、人が倒れているではありませんか。

バイクが溝に落ち、学生がバイクを引き上げようとしていますが、一人の力ではどうにも上がりそうにありません。

どうやら、車をよけようとして、バランスを失って溝にはまったようなのです。

溝は浅く狭いもので、バイクがすとんと入るくらいの幅でした。

そして、そこには私だけ。

「ままちょっと行ってくるわ」そういって車を停めて、バイクを引き上げる。

二人いれば、簡単に引き上げることができました。

学生さんはけがをしており、ひざと腰から血が出ていました。

あららら、どうしましょ。

「私、ティッシュくらいしかもってないです」というと、学生さんは

「僕も持ってるんで大丈夫です」といい、だけど、とても痛そうにバイクにまたがって、去っていきました。

私たちが、そんなやり取りをしている間に、前方から車がやってきていました。

バイクは、その車の横を抜けて走り去っていきました。すると今度は、私が自分の車をバックしなければなりませんでした。

車をバックさせながら、なんだかな?なんで私が急いで今、車をバックさせてんのやろ?と首を傾げる思いでした。

行き違いをして、ようやく近道を抜け、大きな道に出たときには、もうそのバイクの青年はどこにもいませんでした。

近道は、まったく近道ではありませんでした。


また別の日も、この近道で思いっきりスピードをだしたバイクとぶつかりそうになり、危ない目にあいました。

はらはらしたり、ドキドキしたり、バイクを引き上げたり、バックしたりするくらいなら、大通りから、安全に通行した方が、よっぽどマシです。

近道だからといって、必ずしも時間短縮になるわけではない。

逆に大変な思いをすることになります。

こんな思いするなら、もうこの道つかわんとこ。と強く決心した次第です。


それにしても、私の目の前では、人が倒れるようになってるのでしょうか?

みなさま、私に会われる時はご注意くださいね(笑)




揺れるブランコと赤いワンピース

9月から、幼稚園のお仕事に復帰することになり、出勤し始めました。

幼稚園の仕事は3年ぶり、以前の幼稚園とは違う場所です。

朝、8時に家を出るのは、大変ですね(笑)

いつもは朝、台所の片づけをしていたのですが、そんな余裕はございませんので、夜のうちにします。

そして、弁当も持っていく日もありますので、おかずも用意しておかないといけません。

8時までに弁当を作って家を出る。

すごいことですね(笑)

それでも、フルタイムではないので、お昼に終わったり、夕方早い時間に帰ってくるのですが、昔は、これをフルタイムで働き、おまけに、クラス担任していたと思うと、ようやってたなと自分で感心します。

しかし、私と一緒に勤め始めた同期の先生は、教頭先生になっており、おまけに担任の先生が辞められたので、急遽、年長の担任を持つということをしており、おまけに、家に帰れば2児の母。よーやるわ。すごいという言葉しか出てきません。

そんなわけで、自宅カフェ&ショップの虹夢さんは、しばらく休業することになったのですが、まあここまでは前置きでございまして…勤め始めて、数日ですが、大変驚いたことがあったので、久々の投稿です。


一つは、物忘れネタ。

物忘れ。最近はもう治ったんじゃないか?と思っていましたが、治るということはないようでして(笑)

勤めることになった幼稚園の場所は知っていました。

行ったことはあると思っていました。

それは、市内の幼稚園の研修などで、それぞれの幼稚園に順番に訪問したりするので、知っていると思っていたのです。

幼稚園の門に入っても、園舎をみても、勤めて1日たっても、その程度の認識でしたが、二日目に子どもたちがブランコに乗りました。

ブランコをこいでいる子供たちを眺めていて…、「あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」と、記憶がよみがえってきた。

あ〜〜どうして、私、忘れていたのでしょう。

この幼稚園に、私、娘を連れて通っていたのです。娘2歳の頃です。

未就園児の子どもたちが遊ぶ日があって、私は娘を連れて、ここへ通っていました。

そのころの娘は、今とは少々別の人格で、誰よりも素早くおもちゃやブランコを奪いとり、誰にも貸さない渡さないという性格でございました。

私自身は、その性格が面白いと思っており、(どんどんけんかをしてください。こうやって人間を理解していくのですよ)と思っていたのですが、けんかって力が対等な者同士なら成り立つものでして、そのころの娘は、一人圧勝しており、けんかにならずに困ったという思い出があります。

けんかにならん…

一人圧勝では、ほかの子が遊べないので、私がしぶしぶ出ていくという感じでした。

けんかをするという経験をさせるって難しいねんな。と思っていたあの頃。

いちいち親がでていかなあかんのかい…と思っていたあの頃。

それが、揺れるブランコをみてよみがえってきたのです。

そうです、この場所は忘れもしない(思いっきり忘れてたやん)一人圧勝してた場所ではないか!!

ホールで遊ぶ時も、おもちゃを大きな箱ごとすべて自分の場所に引き寄せるという、なんとも頭のいい方法で、ほかに渡さないという様子。わが子ながらあっぱれじゃ。

私は、そこで(よし!ここで、取り合いをするのだ!!)と、よその子に期待をかけていたのですが、ほかの子は、「まま〜〜〜」と親元に戻りSOSを発信。
あららら、取り合いしないのね。ということに。

娘は、取られたからと言って、泣いて怒って叫んで…ということはしないのですが、まぁとにかくすばやかった。

ブランコもおもちゃも。

獲物を見つけたら。ぴゅ〜〜〜っとまっしぐら。そしてゲット。

足の速さはこの頃からだったのか。

こんなかわいいかわいい?2歳の時を、私は、この幼稚園で過ごさせてもらっていたんだ。

と、思い出した時の、ショック(泣)


こんなことまで、忘れるんか…私。

園舎を見ても思い出さないなんてな…


忘れたことが悲しいのではなく、忘れていたことをある拍子に思い出してしまうことが悲しいですね。映画「私の頭の中の消しゴム」のワンシーンを思い出します。

主人公が、ふとした拍子に、愛している人のことを忘れていたことを思い出す。その時の悲しみ…(号泣)

大袈裟やな(笑)

悲劇のヒロイン、簡単になれます私(笑)



私は、このことを思い出したので、その日のうちに、冷めないうちに、私の頭からなくならないうちに、娘に話して聞かせました。

私が思い出をすべて忘れる前に、娘の小さかった頃のいろんなエピソードを話して聞かせたいです。

でも、私、ここにこうして、長い間、日常の何から何まで記しているので、娘はこれを読めば、自分のことがよくわかるでしょうね。ついでに、自分の母のこともよくわかる。いいのかわるいのか(笑)娘よ、愛しているよ。

もしかして、忘れてしまうから、書いてきたのかもしれませんね。

実際、昔書いたブログを見直してみても、もうすでに、こんなん書いたかな?と思うことがある(笑)

まあ、物忘れネタはここまで。


そして、もう一つの驚いたことですが、

ある日、園庭で子供たちが体操をはじめるので、私も園庭で幼稚園の門に背を向ける形で立っていました。

すると、背中をトントンとたたかれて、

「児童館の入り口はどこですか?」と声をかけられ振り返りました。

普賢寺幼稚園は、児童館と施設が併設しているのです。

(この児童館に、2歳の頃の娘と今から9歳若い私が通っていたわけです)

「はい。奥の方になるんですよ」と、返事をしながら子供を見ると、見覚えのある赤いワンピース。

「あれ?これ…」といって、母親の方をあらためてみると、

「あの時はお世話になりました」と、笑顔。

なんと、7月ごろに、うちの自宅カフェに来てくださった、その時、初対面の方だったのです。

赤いワンピースは、私が小さいとき着ていたもので、リユース品として、ご自由にお持ち帰りくださいコーナーに、置いてあったものなのです。

お世話…というのは、うちの駐車場が停めにくいので、代わりに私が停めたり、出したりということをしたのでした。

顔を見ただけでは思い出せなかったですが、赤いワンピースが思い出させてくれました。

「このワンピース、よく使わせてもらってます」と、言ってもらい、タンスの肥やしにしないでもらってもらってよかったな〜と思いました。

まさか、こんなところでお会いするなんて思いませんでした。

リユースのその後を見せていただくことができるなんて!

私が勤めるのも1か月間かもしれないし、その方が、児童館に来られるのもたぶんひと月に一度くらいですし、そのタイミングで、赤いワンピースを子どもに着せて来られるというのも確率的に低いでしょうし、私の肩をトントンとたたかれるというのも…

考えれば考えるほど、なんと、不思議なめぐり合わせだろうと。

赤いワンピースでなければ気が付かなかったかもしれません。



揺れるブランコと赤いワンピースは私の記憶を呼び覚ましてくれるものでした。



勤めて1週間ですが、驚いたこと、この二つでした。

いろいろと大変、刺激的な1週間でございました。








11歳の魂は何歳まで?

最近、反省することがあります。

それは、娘に対して、しつけをしてこなかったということ。


六年生にもなって、【そんなことも知らんのか】とか、【そんなこともできひんのか】とか思うことが多く、よく考えてみると、教えてこなかったわ(>_<)と最近気が付いた。

車道を左右確認せずに走って横切ったり、ソファーに座って足を投げ出したり、立膝ついてご飯を食べたり、食べた後のお皿を下げなかったり、人前で挨拶をしなかったり。

同世代のお友達が、礼儀正しかったり行儀が良かったり、そういうことがここへきて、この年齢にきて、グンと差が出てきたというか、躾けられているのと、そうでない子の差がはっきりとしてきたという感じである。

礼儀正しかったり、お行儀がよいことが、もう今の段階で習慣づいており、それは毎日の生活で、親の立ち居振る舞いや言葉がけがどれほどなされてきたのかというのが、よくわかる。

同世代ばかりではない。小学校に上がる前の甥っ子をみても、しっかりとしつけをされているのがよくわかる。

そういう姿は親がいない時に発揮されるので、親御さんは気が付かないことが多い。

しつけをされている方に対して、私は今まで、【そんなこといちいち言わなくても…】と思うことが多かった。【そんなこと言わなくても自分でわかるって】とか、思っていた。
【自分で考える力がつかへんやん】とも。

しかし、ここへきて、娘は【そんなことも自分でわからない】という状態になっている。

実験失敗という感じである。


娘に、今まで私が何一つ躾けてこなかったことを告白し、詫び、
「これからは厳しくいくわな」というと、「うん。そうして」といった。

娘自身、自分の礼儀知らずや身についていないマナーや習慣などがあるということが、よくわかっているようだ。

今まで、私が、何か教えようとすると、話を半分聞いているのかどうなのか?という雰囲気を醸し出していたが、それからというもの、娘は私が話し出すと真剣に聞いている。

スタートが遅くなったが、これからマナーを身につけさせようと思う。

【三つ子の魂百まで】とよく言われるが、

11歳の魂は、どれくらいの年月娘を支えてくれるのだろうか?

魂さんどうぞよろしくお願いします<(_ _)>

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摩耶
京田辺在住です。

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